大人向けの衝撃的なサスペンス - MW(ムウ)の感想

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MW(ムウ)

3.503.50
画力
3.00
ストーリー
3.00
キャラクター
3.50
設定
4.00
演出
4.00
感想数
1
読んだ人
2

大人向けの衝撃的なサスペンス

3.53.5
画力
3.0
ストーリー
3.0
キャラクター
3.5
設定
4.0
演出
4.0

目次

社会的タブーをこれでもかと書き込んだ作品

手塚治虫の作品は「ブラック・ジャック」や「ブッダ」のような読み応えのある大人向けのものから、「ユニコ」や「ジャングル大帝」のような可愛らしい子供向けのものまで幅広いが、この「MW」は間違いなく大人向けで、しかも社会的なタブーを多く盛り込んでおり、大人でさえ衝撃を受けてしまうものだった。そもそもこの作品が発表されたのが1976~1978年と言うだから、今よりももっと衝撃的なものだったのだろうと思う。今でこそ同性愛についてはある程度の理解がある社会が成り立ちつつあるけれど、当時からしたら相当のものだったのではないだろうか。ましてや主人公二人が同性愛に進む前はペドフィリア的な描写もある。こういうテーマを絵にしたものを見たのは個人的には初めてのことだ。
その上主人公の一人である結城美知夫が飼っている犬、巴とは時に性的行為を想像させるような描写がある。このような描写は今までみたことはない。もちろん絵柄は見知っている手塚治虫のものだからそれほどのグロテスクさはないのだけど、それでも衝撃的な内容に驚きを隠せなかった。

実際にあった事故がベースにされた話

1971年に沖縄本島の知花弾薬庫から天願桟橋まで毒ガスを運び出した話や、その前1969年には沖縄にてVXガスが漏れ、米軍人らが入院する騒ぎが実際にあった。ストーリーではまさに沖縄の離島の墓に封印されたガスはすでに運び出された後だったこととか、この島でガスが漏れて村人が全滅した話とかが実にリアルに描かれている。それらが起こった年代やその事故にかかわった人々をあたかも新聞記事のように書く手法は本当に起こったことのようで、かなり臨場感があった。
このような架空の出来事を実際に起こったように書く手法は多くあるが、個人的に一番記憶しているのは村上春樹の「海辺のカフカ」で、上空にきらめく飛行体を見た瞬間、子供たちが失神していったあのくだりである。米軍の記録レポートのように書かれた文体は、実際に起こったかのような信憑性を読者に与える。そしてこのやり方はとても好きな方法だ。
この「MW」は国ぐるみで隠蔽した大きな事故なため、詳しく調べようとしたものらが全て闇に葬られてしまう。その執拗さと確実を期すやり方は絶妙で、本当に質のよいサスペンス映画を見ているようだった。

同性愛者が描かれていることに対して思うこと

個人的にはこのような性質は持って生まれたことであり、本人になんの責任もないことから、差別だの気持ち悪いだの言う気持ちは毛頭ない。だがしかし思うことは、賀来や結城の同性愛の描写に少し不満がある。それはどこかというと、結城が女性っぽすぎることだ。もちろん同性愛者同士多少の女性ぽさは通常あるのだと思うけれど、ここまで女性のような体つきで描かれてしまうと同性愛である必要がないような気がしてしまうのだ。どちらもきちんと男性として描かれる方が同性愛の本質をついているような気がする。結城が歌舞伎役者の血をひいているのは設定としてはありだと思うのだけど、立派な成人男性があそこまで女装できるのかも謎だ。100歩譲って外見は周囲をだませても、声までは無理があると思ってしまうのだ。同様の疑問を浦沢直樹の「MONSTAR」でも感じたことがある。ヨハンがニナに化けて刑事をだましたところなどは、例えストーリーにどれほど入り込んでいたとしても素に戻ってしまうくらいのものだった。骨格にしろなんにしろ、完全な男性が女性に化けるのは相当無理があるのではないか、どうしてもそう思ってしまうのは読み手側の想像力の欠如ゆえなのかもしれないけれど。
ただこれはマンガだからまだ読めているのかもしれない。マンガだと絵が直接に視覚に入ってくるのでそれほど想像の力はいらない。だから無理があるような設定でも、可愛らしい女の子にしか見えない結城やニナにしか見えないヨハンの絵にだまされて、多少は素に戻ったとしてもそのまま読み進めていられる。なのでこの設定は個人的には小説だと読めないのかもしれないと感じた。

映画「MW」

実はこのマンガを読む前に、先に映画を見た。なのでストーリーを全く知らないまま、主演玉木宏と山田孝之というビッグネームに惹かれて観たにすぎない。そしてこれはとてもまれなことなのだけど、最後まで観ることができなかった。あまりにもストーリーが稚拙で、展開がひどすぎたからだ。これはもちろん俳優たちのせいではない。彼らは監督の言うとおりの演技をしているはずだからだ。このままで終わるはずがないと思いながら限界まで見続けた挙句、我慢できずに観るのをやめたのは正解だったように思う。ただ、玉木宏の悪役はキャストとしてはよくはまっていた。冷たい目と端正な顔立ちは原作通りだし、実際今回マンガを読んでみて、冒頭のグラサンと付け髭の結城の顔は玉木宏を彷彿とさせたくらいだった。逆に賀来が山田孝之というのはどうしても腑に落ちない。美男同士にしたかった思惑はよく分かるのだけど、神父役を彼にしてしまうことでたくさんのストーリーの改変が必要になったのではないだろうか(イメージやらなんやかやで)。これくらい文句の多かった映画だからこそ今回このマンガ「MW」を読んでみたのもある。あの映画のままのマンガが名作として歴史に残っているはずがないのだから。
あの映画とマンガとは実写化とは言えまるきり別のストーリーということになっているらしいが、だとすればこの「MW」というタイトルをつけなければいいのにと思う。映画と原作では結城と賀来の知り合う設定もまるっきり違うし、女装や男娼まがいのことにはほぼ触れられていない。匂わせる程度、という文章があったけれどほとんどわからなかったくらいだ。だからこそ、マンガ「MW」ほどのインパクトもアクの強さもなにもない、実に中途半端な仕上がりとなっている。
もしマンガを先に読んでいたら、もっと早くに途中で観るのをやめていたに違いないとさえ思った作品だったと思う。

実はたくさんあるすっきりしない場面

結城は自身毒ガスに犯された経験と数々のむごたらしい死体を見たという精神的ストレスから、悪魔的所業で多くの人を殺している。これは個人的な見解なのだけど、どれほどひどい境遇で育ったにしろ、人を殺すという大きな壁を越えてしまった人間には同情ができないという思いがある。どれほどひどい目にあったかもしれないが、殺してしまったらもうおしまいだと思ってしまうのだ。
吉田修一の作品で「悪人」というのがある。唯一殺人を犯してしまった主人公だけが朴訥で正直者で、周りの人々の性格の悪さや犯罪すれすれの悪どさが対照的に書かれていた作品だったけれど、どれほど朴訥で正直者で人が良くっても、人を殺したという壁の向こうに行ってしまっている以上なにも同情はできなかった。結城も小さいころにそのような凄惨な現場を目の当たりにし、自らも毒に犯され余命は短いというが、これほど人を軽々しく殺している人間にはどうしても同情も好意も持てなかったというのはある。
またやたら賀来が「我に許しを!」と思っている割にはすぐ結城の誘いに乗るところとか、酒はいらないといっておきながら、次のコマではバーボンらしきものを飲んでいるところとか、実はすっきりしない場面は多く見られる。勢いで読んでしまうのだけど、2回目読み直すとそういう粗らしきものはよく目に付いてしまった。多分この物語は全2巻では少なすぎるのではないだろうか。手塚治虫はもっともっといろんなことを詳しく書きたかったのではないだろうか、そういう消化不良を若干感じさせる作品だった。
とはいえ、当時の時代にこれほどの問題作を書き上げることの勇気は素晴らしいと思う。そういう意味でこの作品は歴史に名を残したのだろうと思った。

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