星の金貨など、彩は欲しくなかった。 - 星の金貨-Die Sterntaler-の感想

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星の金貨-Die Sterntaler-

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映像
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脚本
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キャスト
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音楽
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演出
4.00
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星の金貨など、彩は欲しくなかった。

4.04.0
映像
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脚本
3.5
キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
4.0

目次

こんなに不幸のオンパレードなんて


この物語は、親がいない上に、耳も聞こえない・話すこともできない可哀想な女の子が、幾多の辛い試練を乗り越えながらも懸命に生きて行く様を描いている。
ざっくりと、そんな風に捉える事も出来るこの『星の金貨』と言うドラマを、一度見ただけでは、その奥に潜むメッセージ性に気づけなかった。

「こんなに不幸のオンパレードな人生なんてあり得ない!」と
酒井法子さん演じる主人公の『彩』を、同じ年頃と言う理由だけで彩に同情しながらも、結局、気づけば西村知美さん演じる『園子』にしか投影できなかった人が多いのではないだろうか?

人は誰もが「シアワセになりたい」と言いながら、なにが幸せのゴールなのか、何を持ってしたら、それを「シアワセ」と言い切れるのか、誰も知らない。
「両親に愛されて、何不自由なく育った」
果たしてそれだけで「あの人は幸せだ」と言えるのか?
「目が見えない」それだけで「あの人は不幸だ」と決めつけて良いのだろうか?
結局、幸せとか不幸とかなんて、その人自身の心のモノサシでしかなくて、
話せない人は心で図っても、わざわざ口に出して相手に伝えることなどしない。

彩は、自分を不幸だと思ったか

"アナタは不幸だ"と、病院の屋上で彩が、手話で拓巳に訴える場面がある。
「伝えた」のではなく、体全体で思いの丈を「訴えた」と、その見事な演技力に私は、この場面がこの物語の一つの「核」のような気がした。

それでもまだ、この頃の彩の真意は「親が居て、お金があって、何不自由なく育ったあなたはシアワセであるべきだ」との思いがあったに違いない。

当然のことながら、私自身も一度目(若い頃)に見た時は、ここまで深く気づかなかった。

「愛された」と思っていた。
「愛してきた」と思い込んでいた。

年を重ねる毎に、娘として、女として、母として・・・「愛」について深く考察してしまう癖がついた。

だが、しかし「本当の愛」とは「こんなに愛しているのに」と訴えるものでもなければ、見返りを求めるものでもない。
拓巳の本当の父である、竜雷太さん演じる永世会病院の院長『誠一郎』とて、拓巳の事は、誰よりも愛していたはずだ。
そしてまた、この『誠一郎』も「親に愛されなかった」自覚があったが故「子供を愛するには、まずお金」と言う事が前提でしかなかったのだ。

「愛してきた」
「いや、愛されなかった」
大袈裟に言ってしまえば、このドラマの登場人物は、皆それぞれに違う形で「本当の愛」を永遠に探し続ける、彷徨い人なのかもしれない。。。

女は、気が強い生き物

最終的には、目まで見えなくなる彩だが、もしも彩に親が居たら、おそらくあそこまで気が強くはなかったと私は思う。
まぁ~元々男性よりも女性の方が気が強くて、だからこそ子供を身籠り生むことができるのだけど。
本当に強い女性ほど、好きな男の精子をゲットするまでは、見事なまでにか弱い女を演じられるのだ。
そして本当に賢い女ほど、誰の前でも本性は決して見せない。
両親が揃っていれば、そして母親が専業主婦だったら、細川直美さん演じる『祥子』や、酒井和歌子さん演じる拓巳の母のように「女としての賢い生き方」を学習できたはずだ。

彩の異常なまでの「気の強さ」は、親が居なかっただけではなく養育者が町医者だったことにも起因すると私は思った。
東京の病院周辺での「これでもかっ!」って言うくらいのドロドロ劇に、わざわざ時間をたっぷり割いてまで、北海道での出来事や彩の生い立ちを細かく描いていないのは、彩の背景を、どれくらいの演技力で酒井法子さんが見せてくれるのか・・・毎回楽しみだった。

彩は、特別な女の子ではない

普通の人(と表現するのは、いささか不満だが)が異性に求めるものは、やはり外見であったり、職業や学歴等のとかく眼で見えるものである。

親が居ない事。
それに増して、話せない&聞こえない。更に貧乏。
ここまで不幸を背負わせなくても、きっとバブリーだったあの頃の、若者の興味を引くことはできたと思う。
では、なぜここまで不幸を背負わせておいて「目が見えない」と言う設定ではなかったのだろうか?

目が見えたからこそ、彩に「男を見る眼」があった。
だからこそ、相手役の男優は、大沢たかお&竹野内豊でなければならなかったように思う。
「優しい人が良い」「イケメンは苦手」等と言いながらも、ほとんどの人は、見えてしまうから、理想のタイプの顔を持つ男性を選ぶ。
それは、それぞれの基準で「美しいものが良い」と思う本能。
たとえ話せなくても、たとえ聞こえなくても・・・だ。
それから、付き合っていくうちに、ココロを知る。
「こんな人だとは思わなかった」と嘆いて、一つの恋を終わらせて「今度こそは」と、なるべく内面で選ぼうとする。

そう、彩は決して特別な女の子ではない。
極端に言えば「本能丸出し」の女の子。しかも、見本となる、学習すべく女性を誰も見ることなく育っている。

母親が居れば、自然と母親の振る舞いや言葉を学習してしまう。「こんな女にはなりたくない」と母親を反面教師にしている人もいるだろう。けれど、反面でもとりあえず「母」の居る子は、「女」としての教師が居るわけだ。

恋をして、追いかけて、嫉妬して嫉妬されて、
・・・何処にでもある、普通の女の子の恋愛話。
ただ普通の女の子の恋愛話と、大きく違うところはたった一つ。
彩は「愛を乞いはしなかった」と言う事だ。

この人よりマシ

このドラマを、まだ見たことがない人に「面白い」と表現すると、おそらく「ハッピーエンド」を連想するだろう。
私は、不幸そうな人のノンフィクション番組が好きだ。
実はこう思っていても、誰にも共感されないとわかっているから公言しない。
人は皆、自分より少しだけ劣る人、自分よりも少しだけ不幸な人に共感したがる。
同情しているふりをしながら、実は心の中で「この人よりマシ」と自分に言い聞かせているに過ぎない。
決して、そんな醜い感情は悟られてはならない。と分かっているんだ。

あまりにも不幸すぎる人には、同情などしない。
あまりにも不幸すぎる人には、自分を投影することも寄り添うこともできないから。その人に同情はしつつも「自分には決して起こらない」と何の根拠もなく、そう思い込んでいるからだ。

思い込みの相違がドラマを二度面白くする

あくまで、これはフィクション。
こんなことが現実に起こるわけがない。
しかし、誰もが明日不幸になる確率はゼロではないのだ。

「私は不幸」と、ただの一度も言わなかった、彩の奥底を感じるならば「不幸」と言う表現を使うことは、このドラマの感想には不釣り合いだろうけれど。

言葉を話せなくても、その表情やしぐさ・態度で伝わる。
眼が見えなくても、気配は感じる。
耳が聞こえなくても、振動は伝わる。
たとえ肉体がなくても、魂がそこに存在する。

「シアワセになりたい」
そんな欲が、
「不幸」と言う得体の知れないものを呼び寄せているのかも知れない。

~ 彩は、とても幸せな人だ~
そう思い込んで、もう一度、このドラマを観て頂きたい。


余談。イメージダウンだなぁ

こんなに良いドラマが、あんなに良い演技をした女優が、いとも簡単にイメージダウンしてしまった事は、たいへん嘆かわしい。

彼女もまた「シアワセになりたい」と、心で見詰めないで「眼」だけで男を選んでしまった普通の女だったのか。。。
「子供の事を思うと」と離れなかった言い訳があるとしたら、それは虚しすぎる。
離れられなかったわけではないはず、己の意思で離れなかっただけだ。 

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