1990年代に作られた名作のうちのひとつ - 生きてこその感想

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生きてこそ

4.504.50
映像
4.50
脚本
5.00
キャスト
4.00
音楽
3.00
演出
4.50
感想数
1
観た人
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1990年代に作られた名作のうちのひとつ

4.54.5
映像
4.5
脚本
5.0
キャスト
4.0
音楽
3.0
演出
4.5

目次

迫力あふれる墜落の場面

この映画は、ラグビーチームが移動していた飛行機が墜落するところから始まる。いかにも学生風に楽しげだった飛行機の中の光景が一変し、アンデスの山に衝突し墜落する。墜落した衝撃で尾翼が吹き飛び、機体の真ん中くらいから裂けてしまうのだけど、その衝撃で座席ごと紙くずのように吹き飛ばされていく乗客たちがリアルで、その容赦のない描写に衝撃を受けた。
この時代の映画はCGなどの技術もいまほど進歩していないにもかかわらず、リアルに観客を引き込む不思議さがある。「エイリアン」だって完全に人が入っているような形しているのにものすごく怖かったし、「ターミネーター」の最後の追いかけられるところなんて悪夢のようだった。それくらい恐怖やリアルさをCGの力をそれほど借りずに表現できるのは、昔の映画の魅力だと思う。
この映画も冒頭の墜落のシーン、機体がどんどん飛んでいき、奇跡的に中に残された乗客たちのなすすべもない表情などが印象的だった。雪の上にかろうじて着陸したときでさえ相当の衝撃があり、その残された乗客さえそこでまたケガをしたり死んでしまったりする。やっと機体が止まったときは、こちらも息を止めていたことに気づいたくらい、のめりこんで観ていた。
映像の素晴らしさは他にも実感できる。クレパスの雪の上を知らずに歩き落ち込んだときの衝撃の映像、ナンドが登りきった頂上の山々。この映画の魅力はそういった鬼気迫る映像もそのひとつだと思う。

生き残るために

この事件が本当の話だということは知っていた。それは「生き残るために人肉を口にした」というショッキングな出来事があったからこそ覚えていたことだと思う。墜落した現場がアンデスの山中で草も生き物もなにもない状況では、そうなっていくというのは当然のことかもしれない。ましてや長距離でない飛行機に乗り込んだ人々のもっている荷物など知れているし、食料などあってもあの人数をまかないきれるものではない。ましてやラグビー選手のような屈強な男性たちを満足できる量ではないだろう。
彼らの多くがキリスト教(どの宗派までかはわからないけれど)らしく、折にふれて祈りを唱えている。そのような彼らがそういう手段を選んだことにもどれほどの葛藤があっただろうか。餓死寸前までいった人間に宗教がどのような力を及ぼすのかはわからないけれど、口にするかどうか皆で話し合うあの場面は相当苦しかったと思う。
ただいくら凍っているとはいえ、生で食べたのはどうなのかと思った。餓死寸前だから調理する暇が惜しくという割りにはそのような苦しい話し合いもしていたし、タバコをよく吸っていたから火には事欠かないし、せめて焼いた方が気が楽なのではと感じた。
ただアメリカ人は埋葬方法も火葬を嫌うし、遺体を焼くということに抵抗があるのかもしれない。とはいえ、カネッサは魂が抜けた体は肉だと言い切っていたのだし、そこはちょっと疑問に感じたところだ。

神がいるのかどうか疑いたくなる災難続き

彼らの上に確実に通ったはずのセスナだったのに、絶対気づいたはずなのに、あのセスナはいったいなんだったのだろうか。助かると思った後の絶望感はそれを見る前よりも余計高まったことだろう。その上まだ神は彼らに試練を与える。
力尽きたものは死に、食料問題も解決し、それなりに生活基盤や秩序も落ち着いたころ、残ったものは何とかこれから救助のために生き延びられるかもという希望が出始めた。ちょうどその時に、巨大な雪崩が機体を襲う。寒さを防ぐためにそこで皆が寝泊りして場所そのまま丸呑みにされ、生き埋めになってしまったあの場面は、苦しすぎた。個人的に生き埋めということが一番怖いというのがあるので、雪に生き埋めになった皆が掘り出されていくところはこちらも息がつまるくらいだった。
せっかく出来てきた生活必需品や食料もまた埋まってしまい、新たな死者が8人も出てしまった。
しかしその頃になると死者を悼む気持ちよりも、食料が増えたと思う気持ちのほうが強く感じられた。誰も口には出さないが、その表情でそれとわかる。
このころからイーサンホーク演じるナンドが山を越えようと執拗に言い出している。何度もその意見を言いそのたびにカネッサに却下され、でも引き下がらずにナンドが言った「山を降りよう。動物になる前に。」というセリフ。これは相当重いセリフだと思う。とても心に残った。

サバイバルものとしての素晴らしい描写とストーリー

リーダーとして皆を鼓舞し、守ろうとしたアントニオもこの雪崩で力尽きた。キャプテンという位置から皆の前に立ち秩序を保とうと必死だった彼の心が折れた瞬間は、かなり現実的で、実際にもそのようなことを描いた本を読んだことがある。
吉村昭の小説「漂流」もサバイバルを描いた名作である。この小説では漁船が漂流し無人島に漂着するのだけど、そこでもリーダーである漁船頭が一番に弱気になり倒れた。背負っているものが重すぎると、折れ方も勢いがつくのだろうか。
このキャプテンは自分が不安な気持ちを隠しながらも皆を鼓舞しようと心がけていたからまだ彼よりは強かったのかもしれない。
ただし冬山の厳しさの描写は「八甲田山」や、マンガ「神々の山嶺」には劣るとは思う。雪の怖さや凍傷の怖さ、また崖の際で寝ることの危険(ここは、大丈夫なのかと心配する場面が時々あった)寒さからくる幻覚など、私が知らなかった世界をこれでもかと見せてくれた。しかしだからこそ、彼らが助かることが出来たのかもしれない。
また生き抜くために数々の彼らの努力があり、その多くは実際の話から来ている。あの神に見放されたような雪崩も真実だ。そのうちのひとつで印象的だったのはナンドが言った(実際に言ったのはナンドではなかったけれど)捜索が打ち切られたことを皆に伝えるセリフ。「いいニュース」として知らせたその言い方は皆を十分鼓舞するものだった。もうひとつ、皆が絶望で飲まれそうになった時に皆で祝った誕生日。あれを言い出した彼は、救助を見つけるといった直接的な戦力ではなかったかもしれないが、人間らしく生きられるように常に誰かを笑わせようとしていたように思う。そしてこの誕生日を祝う場面は、少しでも楽しさを感じたいと思う彼らの切実な気持ちが痛いほど伝わってくる。これらのことは実話だからこその重みを感じられた。

イーサン・ホークの演技

イーサン・ホークの演技は素晴らしいし、彼がいるからこそこの映画が締まったとは思う。しかし個人的には彼にあれほどメンタルが強くマッチョなイメージがなかったので、少し違和感があった。吹雪の中倒れた同行者を背負って山を降りるというようなことがどうしても、彼らしくないと思ってしまうのだ。
イーサン・ホークといえば追われたり焦ったりしているときの表情と演技がとても素晴らしいと思う。だからこそこちらも胃が痛くなるほどの彼の焦燥感を同じように感じることができる。「その土曜日、7時58分」や「ガタカ」「トレーニング・デイ」など彼でないとできない映画は数多い。だからこの映画は逆にイーサン・ホークでなくとも、全員無名の俳優だけでも十分だったのではないかと思ったりもした。
とはいえ、小さいながらも彼の演技を楽しめる場面はある。墜落前の飛行機の中で、先生らしい人に親しげに腕をたたかれてちょっとびっくりする表情や、人肉を食べると言い出したもののちょっと怯えのようなもの(妹が死んだ直後だからこそ)を感じさせた態度など、あのあたりは彼らしいいい演技だと思う。

観るべき映画のひとつ

この映画は、数ある映画の中でも観るべき映画のひとつだと思った。そのような映画をいくつ挙げれられるかはわからないけれど、絶対その中には入ると思う。昔の映画ばかり評価するつもりはないけれど、やはり心に残る映画は昔のものが多い。これもそう感じたもののひとつだ。またこの映画の元になった事件をもう少し調べてから再度この映画を観るのもいいかもしれない。
ただイーサン・ホークの演技に関してはちょっと観たいものが観れなかったという残念さがあるので、また違う彼の映画を探してみたいと思う。

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