難解な医学書のような作品 - 神々の沈黙の感想

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神々の沈黙

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難解な医学書のような作品

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文章力
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ストーリー
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キャラクター
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4.0
演出
4.0

目次

専門書のような文章と用語

吉村昭は「星への旅」などしんしんとした静かさを湛えた文章が衝撃的で、時々読む。他にも「漂流」は恐らく膨大な取材のもとで書かれたであろう緻密な描写が素晴らしく、サバイバルの厳しさに手に汗を握る秀作だったし、「羆」は短編でありながら救いようのない暗さを書き上げたもので幾度か読み返したものだった。それに比べて今回の「神々の沈黙」は心臓移植をテーマにしたもので、作品中は終始ドキュメンタリー調で余計な装飾などなく、ただ事実のみを書くことに専念しているように感じられる。使われる言葉は専門的なものが多く(血圧でさえそのような専門用語のようなものだった)、一見かなり読みにくい作品だったことは否めない。にもかかわらず、最後まで読んでしまったのはその事実に興味深いものが多く、患者と臓器提供者の心理描写だけでなく医療者側の背景や気持ちが詳しく描写されており、彼らに感情移入してしまったからに他ならない。

心臓移植への長い道のり

少し調べてみたら現代の日本の心臓移植の実績は10年生存率が実に96%となっている。またその費用は保険適用となっているので、恐らく心臓移植という手術はすでに技術として確立しているものなのだと思う。しかし当然ここに至るまでには数々の失敗が礎になっている。この作品はその心臓移植に尽力した医師バーナードの話が中心に書かれている。
心臓移植というテーマの本を読んだのはこの作品が初めてなので、その研究が犬の心臓を使って行われていることは知らなかった。人間と犬とはその体の成り立ちなどが大幅に違うように思われるのだけれど、研究に用いられるということは心臓の組織構成などは近いものがあるのかもしれない。にしても犬の心臓移植になんとか成功して、次に間をなにも挟まずに人間の心臓移植を行ったことは、私のような素人でも時期尚早なのではというような気がした。
1967年にバーナード医師が初めて心臓移植を行って(アメリカでなくケープタウンというのが意外だったが。後にやはりバーナード医師も自身の業績の扱いが軽すぎると不満を申し立てていたが、恐らくそれは被害妄想でもなんでもなくそのとおりだったのだろうと思う)、以降次々と競うように心臓移植が行われるが、実際成功と思われる例はプライバーグ唯一だった。当時の医療技術の水準がどの程度だったのかはわからないけれど、相当に難しく無茶とさえ思われる手術だったに違いない。

提供者の死の見極めと、その家族への残酷さ

心臓移植を受けるためには、脳死判定を受けながら生き返る可能性がない患者から心臓を提供してもらうわけなので、いわば他人の死を待つわけである。とはいえ完全に死んでしまっては心臓の価値がないので、本当に死の境目にいる患者を待つわけである。第三者からすればなんともいえない気分になるけど、移植される側としては新たな心臓を手に入れないとこちらが死んでしまうわけだから、縋るようにその死を待っているのだろう。
ひとつ印象に残る手術があった。ある黒人男性が心臓発作を起こして緊急に病院に搬送されたのだけど、違う病院のほうがこの症例には強いということで新たに別の病院に向かう。しかしそこには新しい心臓を待ち構えるスタッフが勢ぞろいしていたのだ。生きたまま搬送したほうが理に適っているとはいえ、この黒人男性の妻は「そんなつもりでこの病院に来たのではない。治そうと思ってきたのだ」と必死に抵抗するが、弁に長けた医者たちに言い負かされてしまう。このあたりが当時の有色人種に対する蔑視という背景があるにせよ、あまりにもひどいと感じた。しかもその病院にいくまでは助かると思い込んでいたわけだから、この妻の衝撃は想像するに難くない。
バーナード医師やその他心臓移植に尽力した人たちの功績はもちろん素晴らしいものであることには変わりはない。のだけれど、これだけでなくいくつか書かれている提供者の死の描写を読む限りでは、医療者側の提供者に対する礼儀や敬意などがあまりにもおろそかになっているような気がした。

死の判定を2度受けた患者

心臓を手に入れたいとあせるあまりなのか、クーリー医師が死亡と判定した患者に疑惑が巻き起こる事件があった。暴力事件で致死的は怪我を負ったニックスを脳死判定後、待ち受ける心臓移植のために3時間以上もの心臓を生かし続けたという。死の境目が人工的に伸ばされた彼は、脳死と心臓を取り出された時と2度死を宣告されたことになる。そのおかげで暴力事件の犯人の処罰が殺人か傷害かと変わってくるのだ。このあたりの展開は本当に驚き、こちらの心臓の鼓動も高鳴るくらいだった。脳死で死んだのなら犯人が殺人犯となるし、心臓を取り出されたことで死亡したのならクーリー医師が殺人犯になるというのだ。この展開は事実なのにもかかわらず、まるで映画を見ているようだった。
難解な言葉ながらこのような文章が頭に映像を結ぶことができるのも、数々の事例をひきだしながらそれぞれがこんがらがらずに理解できるのも、吉村昭の文章がきっぱりとしてわかりやすいからかもしれない。時として頭にまったく入ってこない文章がある(それはまるで質の悪い翻訳の文章のように)。難解な文章とそれとは意味が違う。言葉は難しくても、文章はきちんと頭に入ってくるものだし、映像を想像できるし、感情移入できるということを吉村昭の文章で理解できた。

唯一成功した事例であるプライバーグの傲慢な態度

バーナード医師が手術した中で唯一長く生きた患者のプライバーグの態度には、どこか割り切れないものを感じる。もともと歯科医であり裕福な彼は、有色人種の心臓を得て、長く生きながらえることができた。しかしインタビューを1社だけに契約することで高い契約金を手に入れ、まるでなにか立派な功績でも挙げたようなその傲慢な振る舞いには疑問を感じる(手術を受けた夫だけでなく、妻の態度も甚だひどいものがある)。すべて人の手によって幸運にもたらされたもので、周りに感謝するどころか何をするにも金銭を請求し、心臓をもらった相手にさえ謝意を表すこともなかった。どうしてこのような狭量な人間にこのような幸運がもたらされたのか、不公平さを感じ得ない。彼に心臓をもたらした有色人種は、前述した心臓移植のために病院を移動させられた夫婦だ。ここはなにかしら後味の悪さを感じる話だ。

タイトル「神々の沈黙」という意味

心臓移植の権威と呼ばれるようになったバーナード医師が各地を回り、賛辞を受けるところがある。そして彼はバチカンのローマ法王とも対談をした。もともと地球が丸かったことさえ認めようとしなかった宗教が(科学と宗教との戦いは昔から続いているし、医療もその戦いに巻き込まれていることは映画でも小説でもよく読む)、彼の心臓移植技術を賞賛したという。ここの描写はほんの少しのものだったけれど、周りの聖職者たちの意見はこれほど温かいのもではなかったのではないだろうか。このあたりは個人的に興味があるので、もう少し深い話を読んでみたかったとも思う。
この本では心臓を“取り出す”とは言わず、“えぐりとる”と書く。そこにはどこか深刻で残酷な、軽い気持ちでなく必死で、といったイメージがある。医師たちは決して功をあせるわけでなく、人を救いたいという気持ちが必ずそこにはある。しかし人の生死を結果的に決めるという不遜な立場でもある。タイトルの「神々の沈黙」というのはそういうことなのかもしれない。しかも現在は当時よりも技術は進歩している。神々さえも黙らせる技術を人間が持ち始めたということを彼らはどう思っているのだろうか。
この本は私にそのようなことを思わせる読み応えのある名作だった。

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