「おれは直角」身分社会で人を信じるには
この作品は恐らく江戸時代の話だと思われるが、それに関して詳しい記述はない。文明開化、藩の改革、廃れていく武士の心などから、大体の時代は想像できるし、この話が何の時代に起きたことなのかということは話自体にあまり影響はなく、深く考える必要はなさそうだ。
恐らく時代考証はある程度してあるのだと思うが、すんなりと読めるのは主人公のキャラクラーと、学園ものだということからかもしれない。しかし矢張り身分社会なので、本音がなかなか見えにくい時代だったようだ。
名門?明倫館
毎年幕府の昌平黌(しょうへいこう)に多くの生徒を排出しているという明倫館だが、入ってみると名門とは思えないほど荒れているのである。裏でタバコを吸う者あり、女を呼べと言い出す、成績が悪いものもいるし、気に入らなければ即リンチである。これでは最早ただの不良学校である。
入ったのが剣に秀でていた直角だったから、大勢の不良にからまれても何とか太刀打ちできた。だが普通の生徒がやられたら、言われることをそのままに聞くしかない。桂川先生に推薦を受けたのは、明倫館が不良ばかりいる学校だと知っていて、この不良たちに負けない剣の力があったからなのか。
この作品では戦って負けた人が仲間になるという方式だが、どうしてなのだろうとずっと疑問だった。雪佐はまだかばってもらったので分かるが、剣術で負けただけで仲間になるのはどうなのだろう?と考えた時に、ヤンキー漫画だと負けて相手に惚れる、そして仲間になるという図式が成り立つことを思い出した。
つまりこれは(特に前半)不良漫画の江戸時代バージョンで、剣を交えることで心が通い、そして勝った者の周りに人が集まっていくというストーリーなのである。
まっすぐな性格?直角とは
直角はまっすぐな性格になるようにつけた名前と書かれているが、だからといって素直で明るい性格とは言えない。
彼はいつも笑っているし笑わせることが好きなようなので、周りは直角を陽気な人間と誤解しているようだ。しかし時々見せる追いつめられたような表情から、かなり悩んでいるのが見て取れる。これだけの人間に囲まれていながら、一切その悩みを口にしていない直角は、性格的には孤独な、心を開けない人間だと言える。
武士の時代の話だから、この時代の人は皆そういうものなのか?とも思ったが、直角以外の人間がそうでもなく、悲しみや苦しみ、悔しさなど、人間らしい感情をかなり全開にして表現していた。恐らく直角が、特に自分の内面を外に出さない、もしくは出せない性格なのだろう。
しかし、だからこそ周りは彼をリーダー的体質だと感じる。もしくは感情的に言い返してこない直角に安堵する。だから安心して勝手な思いをぶつけ、頼ることができる。同年代の生徒たちも、大人でさえも皆直角に頼り過ぎというくらいに頼って、こんな子供に負荷をかけすぎなのではないかと思う程に直角一人に背負わせるが、直角は弱音一つ吐かない。
しかし父親がいくら説教をしても、いい返事をしながらずれた行動しか取らない直角である。実は周りがわいわい話をしてきても、右から左であまりよく聞いていない、ということもあるかもしれない。
こういうストレスを貯めこみそうな人間は、実際これくらいのスルー力を備えていなければ精神的に病んでしまうので、注意しなければならない。あるいは本能的に自己防衛の為に、直角は人の話を聞くことができないと言い換えることもできる。
悲惨な境遇・・・照正
照正の境遇はかなり悲惨である。これは幸せな家庭で育った直角とは正反対で、むしろ照正の方が主人公向きとも思えるような、孤独な家庭環境だ。こんなおかしな顔でなければ、奇行も寂しさからくる悲劇の照正主人公のストーリーが出来上がっていたかもしれない。しかしいかんせん顔が変なので主人公にはなれないのである。
照正は豪華な物をみせびらかすことで、人望を集めようとするが見向きもされない。この方法は、祖父が照正を可愛がるときに溺愛しすぎて示した間違ったやり方で、自分もそれが嬉しかったわけではないのにこの方法しか知らずやってしまうのである。
しかし人とは物で心が動くわけではなく、皆直角の方ばかりにいくが、どうすればいいのかということが分からない。
「友達になって欲しい」という今では簡単に言える言葉が、この身分社会の時代には簡単に口にできない。しかも照正は身分が上の立場なので、言うと命令になってしまう。照正は直角とその仲間たちのような、本音で付き合えるような友達が欲しかったのである。とはいえ上記したように、直角は誰にも本音はいっていないのだが・・・。
この話では直接いいことも悪いことも伝わることがなく、間接的に、あるいはたまたま聞いてしまうという形で伝わることによって知ることになる。
直角も照正も割と鈍い人間で、照正は周りの評価を気にする性格の癖に周りの反応に鈍感だし、直角は直接何を言われてもあまりピンときていない。しかし間接的に言われたことに対しては、かなり心が揺れ動く。この身分社会では建前ばかりで本音を知るということは難しかっただろう。しかも北条は照正を猫かわいがりしてばかりいて、逆に距離ができてしまっていた。そんな中で照正が本音を聞けるとしたら、立ち聞き以外のどの方法があっただろうか。
タイミング悪く北条の言葉を聞いたことにより、自分の評価を知ってしまった照正が、バカになりきってしまうところはヤケクソ気味でもあるが自分だけを苛めていると見ることもできる。本来ならどんな人物であろうと、身分が上である者を貶めるようなことを言う事が許されないのが身分社会の習わしだ。もし照正が気に入らないとなれば、どんな些細な理由でも家を取り潰すことなど容易である。
しかしそういった仕返しのようなことは全く考えず、自分を貶めることだけに徹して、更にみじめな状況を作り出す。これこそ照正の優しさをよく表現しているところなのだ。
人を信じる方法
直角は思ったことをあまり口にしない、できない性格だと書いたが、それを言わせたのが百叩きの刑のシーンである。これは立花がわざとそうさせたのだが、直角はこの「照正は立派な老大になれる」ということを思ってはいても直接本人には伝えていない。伝えていても恐らく照正は建前だと信じなかっただろう。
照正がこの言葉を信じたのは、自分自身に言わなかったからであり、叩かれて尚言い続けた言葉だったからである。ここでも間接的に聞かされる言葉に照正は大きく心が揺れ動いており、この作品において人の言った言葉を信じるには、他者を介在するか間接的に知る、というワンクッションが必要であるという人間の複雑な心理が描かれている。
立花はこのことをよく分かっていて、直角を刑に処して本音を引き出させ、その言葉を照正に聞かせた。直角がどう思っているのかは知っているし、直角から直接言えばいいと助言もできたが、それでは駄目だという事も分かっていたのである。勿論、立花は照正を買っていたので、立花自身が照正を励ますこともできた。しかし直接言うのでは効果は見られないことが分かっていた。
更に直角に拷問を加えることにより、その言葉が真実であることを照正に伝えたのだった。これは今の時代ではできない芸当だが、身分社会という建前だけしかないと言ってもいい世の中で人を信じるには、この方法しかなかったと言える。こんな方法を取ることでしか本音だと感じられない照正、その時代をとても悲しく思う。
「おれは直角」を別角度から読む
この作品は直角を主人公として読むのも勿論楽しいが、立花を主人公として読んでみるとまた違った感想を持つことができる。
立花から見ると、この話は全て都合よく動いている。明倫館は不良共が直角によって撲滅され、直角によってわがままな性格が直され、照正は直角によって老大の自覚が芽生えた。この様に立花の角度から読むと、いかに直角が立花にとって便利に都合よく動いているのかが分かる。照正においては、自分がバカだと気が付いたのは立花と北条が話しているのを聞いたからだが、それもわざと聞かせた立花の計略と見ることもできる。
この話は直角のサクセス・ストーリーとして読むこともできるが、立花にとってもサクセス・ストーリーなのである。直角は立花の言うとおりに動く部下にすぎず、最初から最後まで立花に洗脳・コントロールされている。
この作品はラスト、直角が立花の側近として働くという事になり終わる。つまりこれからも立花の部下として目的の為に使われるという事である。下級武士の子供としては出世には変わりないが、直角の意思はそこに何もなく、常に立花が動かしているのである。
照正と仲のいい直角を傍に置くことにより、これからの立花の地位は揺るぐことが無いのは勿論、これからの直角がどのような武士になっていくのかも立花が握っていると言える。
番外編~細刈先生について~
直角には特殊な才能が剣以外にもう一つある。
それはカラクリの才能で、小屋でトレーニングしているのを見ても教室での仕掛けでも分かる通り、直角は手先がとても器用なのである。それを見た細刈先生は直角の才能を見抜けないばかりか、点数だけで直角を頭が悪いと判断するのは先生としては失格だと言える。
しかし番外編での細刈先生と生徒の関わりを見ると、細刈先生は生徒からとても信頼を得ているようでとても心が温まる。これは細刈先生が常に生徒を第一に考え、明倫館をいい学校にしたいと常日頃から考えている証拠である。
欠点もある先生ではあるが、生徒に愛されている先生というのはその逆よりもずっと素晴らしい。
別角度から読むと立花の陰謀論的なことが浮かび上がって色々書いてしまったが、矢張りこのような心温まる話、世界観こそが小山ゆう独自のものといえるだろう。
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