私は本作をルパン原理主義的経典と名づけた
ルパン三世劇場版アニメ第一作、40年近い歳月が過ぎても色あせない
最初からシリーズ化が約束された一部の例外を除き、映画を作るという行為は、二作目のことなど考えず、その時のベストを出し切るものだろう。本作はまさにそのような気概が感じられる。これぞルパン三世! そういう作品だ。
アクション、お色気、緊張感を伴うチームワーク、痛快さ、困難なチャレンジ、娯楽性、どれが欠けてもルパン三世とは呼べない。それらを2時間に満たない尺にぎゅうぎゅうと、これでもかと押し込んで、しかしすっきりとまとまった作品だ。
しかも、1978年の公開から、実に40年近い歳月が流れているのに、全く色あせていない。
何故そんなことが可能なのだろうか、以下にその考察を語ろう。
ルパン原理主義を貫いた作品
テレビシリーズではマイルドになりがちなルパンファミリーの各キャラの特徴が、本作では非常に濃い。
ルパンはとにかく好色で、短絡的で、負けず嫌いに描かれている。どのシリーズでも女好きではあるが、テレビシリーズでは対象年齢が低いせいか、スケベという言葉で総括できる程度の表現になりがちだ。しかし本作では彼の行動は明らかにセックスに直結している。時代を反映しているのかもしれないが、彼が求めているのは楽しいデートではなく、性的欲望を満たす情熱的一夜だ。
彼にとってキスは行為の入り口であり、挿入を伴わないゴールは無い。
マモーも再三供述し彼の意識が表す通り、下品で性欲旺盛、これこそ原初的、プリミティブ、あるいはモンキーパンチ的なルパンと言えるだろう。
この解釈をルパン原理主義と私は名づけた。
本作ではマモーとの対決に尺を割いているのであまり描かれていないが、彼の本業はどろぼうである。何故どろぼうなのか? 理由なんか無い。彼は欲しいから取るのだ。
学術的価値とか売って現金にしよう、などと考えているわけではない。その美術品が欲しい、それだけが行動原理なのだ。
不二子についても同じだ。美しくセクシーだから彼女とセックスしたい、実にシンプルだ。
そして障壁が高いほど何としても盗んでやる、と燃え上がるのもまた、彼の原初的渇望だ。
今回の敵、マモーはシリーズ中最強と言ってもいい。その無敵のマモーから不二子を奪還する、これこそルパン三世だ。叶わないかもしれないとか、死ぬかもしれないなどという逡巡は一切描かれない。
次元がマモーにはとても叶わないとみて撤退を勧めても、彼はその障壁の高さゆえにより一層挑まざるを得ないのだ。
次元はシニカル、一歩引いて事態を見守る、ある意味一番大人であり、この人は最も普遍性が高いキャラかもしれない。
五エ門はシリーズごとに微妙に解釈が変わる。ストイックなのは共通だが、2枚目、かっこいいという表現が似合うキャラに描かれることも多い。ルパンがひょうきんに描かれるとそのカウンターとしてハンサム化が進むのかもしれない。
本作での彼は、少々気が短いキャラに描かれている。テレビ第一シリーズでも、意にそわない場合、ルパンであれ次元であれ、切る対象になりえたのでそれに近いだろう。
好色でお調子者のルパンと衝突する構図はどのシリーズでも見るが、本作では次元vs五エ門の衝突が描かれておりこれは結構珍しいシーンと言える。
不二子はとにかく利己的で常に裏切り行為を行う。いや裏切るのではない、最初から計算通りに自分の徳を考えて行動しているのだ。ルパン同様、欲しいものは欲しい。しかしルパンと違うのは、欲しいものを手に入れるのに他者を利用することだ。
本作の不二子は快楽を求める短絡的な女性としても描かれている。
ラストシーンではキスの途中でミサイルが飛んでくるが、それでもルパンを離さない。
他のシリーズでは命惜しさに我先にと逃げ出して、ルパンがこれからがいい所なのに!と言いながら追いかけるシーンが想像される。この作品独自の利口過ぎない不二子だ。
幼年期にはこの不二子が愚かに見えたが、現在の私にはこの彼女がとても可愛く見える。シンプルであることはやはり魅力的なことなのだ。
まとめよう。
私が想定するルパン原理主義的キャラクター解釈は、ルパンが性欲旺盛で野性的、五エ門は直情的、不二子は快楽的、これだ。
大事な人物を忘れていた。
銭形だ。彼はどのシリーズでもしつこくルパンを追い続けるが、本作では特に執拗だ。ルパン逮捕のためなら警察機構から退くことも辞さない。
本作ではどのキャラも泥臭い、それも原理主義の特徴として付け加えておこう。
短い尺でこの満足感、演出が上手い
本作はわずか1時間44分、映画としては短いと思うが、見終わって物足りなさを感じたりはしない。むしろ2時間半くらいの作品を見たような満足感がある。
各キャラの性格や能力、立ち位置が明確な本シリーズであればこそできる芸当であろう。
通常の映画であれば、主要人物の境遇や個性を観客に理解させる時間が必要だ。主要キャラが5人もいれば、そこには10分から20分を要するだろう。
ルパンファミリーならそれが不要だ。だからこそ自由な演出ができる。
例えば冒頭のルパン絞首刑のシーンで、あのルパンが死ぬはずがない、これは何かの伏線なのだ、と思わせて中盤以降にクローン話をすることの布石としている。
オープニングで客をつかむ効果もあり、固くなりがちな科学的説明をわかりやすくする見事な演出テクニックだ。
更にコウモリ型ハンググライダーで銭形から逃れるシーンでルパンシリーズ共通のエンターティメント性を見せつけ、ピラミッドからの逃走シーンでは次元、五エ門との連携を見せる。ここまでの経過時間12分弱、キャラの立ち位置を明確にしたうえで客をその世界に引き込むという冒頭でやるべき使命を十分にこなしている。
余談だが、見ていてニヤリとした所が2か所ある。
マモーは事業に携わるときハワード・ロックウッドと名乗っており、このハワードを冠したハワード財団という言葉が出てくる。
本作はルパン映画シリーズの中でも屈指のSF作品だが、SF小説マニアがハワード財団という言葉を聞けば、ロバート・A・ハインラインの「メトセラの子ら」や「愛に時間を」という作品を思い浮かべるだろう。
上記の作品でハワード財団は人類の寿命を延ばすことに尽力し、数百歳まで生きる長命人種を生み出している。本作でしばしば出てくる永遠の若さというキーワードと重なる、製作者のお遊びだろうと思われる。
2点目はマモーがルパンの精神や心理を見ようとするシーン、表層意識では全裸の不二子、食べ物、セックスそのもの、などが出るが、更に奥底を覗こうとすると、アクセスできず装置が壊れる。
これはどう見てもドラゴンボールのスカウターと同じパターンだな、と笑ってしまう。しかし冷静に考えると本作は1978年上映、ドラゴンボールは少年ジャンプ連載開始が1984年なので明らかに本作の方が古い。
詰まるところ、敵対する勢力が主人公の能力などを知ろうとしても、主人公は計り知れない能力を持っているぞ、数値化は不可能だぞ、という展開がお約束なのだ。
シンプル is 良作
当時10歳だった私は、本作の良さを全く理解できなかった。性的表現が露骨だったこともあり、どちらかと言えばニガテと思ったかもしれない。
制作意図が大人向けのルパンという事なので当然の成り行きでもある。
更に不幸なことに翌年上映された「カリオストロの城」が(というよりクラリスが)アニメファンの心を鷲づかみにしてしまったため、本作の評価が相対的に低くなってしまったように思う。アニメ誌はこぞってクラリスを特集し、紳士なルパンを良しとした。
今思えばこれは下品なルパンが皆の心にあってこそのカウンター攻撃がヒットした結果だったのだ。「カリオストロの城」も何度見ても良い、それは事実だ。
しかし、 前述したように、本作は皆の心にあるシンプルで原初的ルパンを描いている。奇妙に紳士的なルパンとか、声優が物まね然とした亜流のルパンではない。好色で、下品で、生命力に溢れた、時代におもねることなきルパンなのだ。それ故に、時間が過ぎても色あせない、恐らく本作は日本のアニメ産業がある限り見続けられるだろう。
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