いろんな意味で惜しい、そう叫びたくなる作品 ある意味80年代的!
再見してみると…放送当時より面白いぞ!
1984年に放送されたこの作品、放送時はシャレたキャラ達と意識的なお色気やラブコメをちりばめることで前半は人気を博した。しかしそれらの軽いすぎるノリからのアンハッピーなラストがちょっと意外で、イマイチな作品に終わった、というイメージだった。
だが、今回54話を再見して、ちょっと評価が変わった。
「なかなか悪くない」のだ! 特に放送中は途中からだるくなったように思っていたが、今回はむしろ軽いだけの前半よりフル・フラット登場以降の中盤が一番面白く感じた。
以下、具体的にこの作品を再考してみようと思う。
ラブコメの行方…それはシリアスな恋愛論
放送当時は自分自身も若かったので、ファンネリア・アムとガウ・ハ・レッシイのどちらがダバ・マイロードを勝ち取るのか、という点に興味を持って見ていた。しかし途中からクワサン・オリビーが加わって話が変わってくる。
戦況もポセイダル軍、ギワザ軍、反乱軍の三すくみで展開するが、ダバを巡る女性関係も同様か? と危惧するも、途中からレッシイは一歩引いた状態になり、アムがダバに寄り添うシーンが増える。それなのにオリビーに固執するダバ… と、ラブコメのワクワクは急激に無くなっていく。
そして中盤以降、フル・フラットの登場によって「コメディタッチの恋愛」はほぼ影を潜め、「真の愛」とは何か、という問いが増える。
フル・フラット、ミアン・クゥ・ハウ・アッシャー、アマンダラ・カマンダラの3人が、姿こそ若いものの実はかなりの高齢者、という設定が明らかになる。それ以降は若者の熱情的恋愛と、かつてそれを味わったが、今では倦怠や嫉妬、焦燥に支配されがちな年長者の恋愛が平行して語られる。
この手のロボットアニメで年長者の恋愛をこれほど扱った作品は過去現在合わせて皆無だろう。
後にアニメ界を席巻する「新世紀エヴァンゲリオン」では碇ゲンドウと妻ユイの愛情が話の核となっているが、それは完成された双方向の関係であり、本作のような三角関係との共通点は無い。
それに加えて、ギャブレット・ギャブレーの想いや、ギワザ・ロワウとネイ・モーハンの関係なども時間を使って掘り下げられるところを見ると、結局、本作は「愛の在り方」こそがテーマだったのだ、と言えそうだ。
前半のラブコメはそこに至る人間関係構築の伏線、と考えると本作への見方がずいぶん変わってくる。前作「聖戦士ダンバイン」は方向性がブレまくった作品だったが、本作は話に一貫性がある作品と評価していいのかもしれない。
流行りに乗るという行為
本作がスターウォーズ・エピソード4~6:ルーク・スカイウォーカーを主人公とする3作を意識して作られたことは有名だ。
ダバの服装、砂漠を意識させる背景、セイバーという光線状の剣、失われつつある一族の末裔、生き別れの兄妹、強大な支配者vs反乱軍という構図、など、挙げればキリがないほどスターウォーズを意識した要素が満載だ。この「大ヒット映画を意識する」、という行為は言い換えれば「流行りに乗る行為」と言える。
また、前半のラブコメやキャラの軽さは1982年に放送され大ヒットした「超時空要塞マクロス」の影響が大きいように見える。
今の時代には信じられないような、「オマージュ」と言うより「パクリ」のオンパレードなのだ。
時は80年代中盤、日本は世界最大の貿易黒字国となっており、85年の「プラザ合意」によってバブル景気が到来する前年だ。日本企業は海外の高額絵画を買いあさり、資本力によってアメリカ企業を傘下に入れることも少なくなかった。それまで目標であったアメリカと肩を並べたと意識可能になった当時は「流れに乗る」という行為は「安全」な「攻め」だったのだ。
事実、本作は予定していた50話から4本も延長され、一定の人気を博した。前作「聖戦士ダンバイン」は玩具の販売が著しく不調だったためメインスポンサーが倒産する、という惨事を生んでいるし、「機動戦士ガンダム」「伝説巨人イデオン」など富野由悠季の代表作の多くが「打ち切り」の憂き目を見ていることと比較すれば、興行的には大成功と言えるだろう。
しかし、「流れに乗る」行為はそれまでの常識を打ち破って新しいものを生み出そう、という行為とは対極のものだ。
それよりも5年前に放送された「機動戦士ガンダム」はどうだったか。
当時はアニメと言えば「宇宙戦艦ヤマト」あるいは「子供向け」の2言で語られるほど舐められていた。その状況を良しとしなかった富野たちが、「子供向けじゃない」作品を作り「ヤマト」を超える、という気概を持って臨んだ作品だ。
その気概こそが今日の日本のアニメの地位を確立したと言っても良いだろう。
流行りに乗ったエルガイムにはそれが無い。それ故に、ガンダムより5年新しいはずのエルガイムは現在では完全に風化している、と言える。
つまり本作に革命的な何かがあったか、と問われれば、残念ながら否と言わざるを得ない。
富野作品にありがちなプロットの破綻は見られるか?
イデオン以降の富野作品では、プロットが破綻している作品が多い。世界観や初期設定だけが入念に作られるものの、核となるテーマ=「言いたい事」が無いため、意味不明な戦争が続き、主人公が何をしたいのかわからないので感情移入できず、無意味に人が死んでいく作品ばかりだ。
では本作はどうか。
英雄流浪譚と恋愛の2軸は最初から最後まで守られており、多少のブレはあるものの、他作品ほど荒れてはいないと思う。
途中から出て来たクワサン・オリビーに恋愛部分を全部持っていかれて、初期から活躍していたアムとレッシイはどうなるんだ、という意見もあるだろうが、そもそも論で言えば、お話の前半(2話だったかな)でダバはクワサンを探すことが旅の目的と明言しており、実は初志貫徹しているのだ。
むしろアムとレッシイの登場こそが旅の途中のイレギュラーであると言っても過言ではない。
その点においては、ザブングル、ダンバインを超えた作品とも言えるかもしれない。
この一点においては、主人公が何をしたかったのか1ミリも理解させようとしない「Gのレコンギスタ」とは比較にならない良作である。
本作の全体評価
結論として本作をどう評価すべきだろう。
30年たった今、これが「歴史に残る傑作」でないことは明らかだ。「後の世に大きな影響を残した」とも言えない。
では駄作か? というとそれも違うように思う。
「無敵超人ザンボット3」「聖戦士ダンバイン」で激しいバッドエンドを書き続けて来た富野氏には珍しい、「やるせないラスト」が心に残る。
主人公たちは「打倒ポセイダル」を成し遂げているので、敗北したわけではない。
前述の年長者3人と悪の権化ギワザ・ロワウは別として、主人公側やギャブレー麾下の主要人物の死もない。
主人公ダバ自体は健在で英雄として終戦を迎えているし、婚約者であるクワサンと故郷に帰るのだから、ある意味目的は十分果たしている。
そんな視点から見れば「無敵鋼人ダイターン3」に近いラストという位置づけができるかもしれない。
ダイターン3はドンザウサーとメガノイド軍団を倒した後、特にどこに行くとも語ることなく主要キャラたちが解散していく。それまでの軽妙なノリと比較すると何か物悲しいラストだったが、他作品にない余韻を持っていたのは事実だ。
思えばスーパーヒーロー波乱万丈を取り巻く二人の美女、ビューティ・タチバナと三条レイカの存在はアムとレッシイとの構図に酷似している。可愛らしさ、一途さが取り柄の女性とクールで実力派の女性、というダブルヒロインだ。
更に、エルガイムがスターウォーズに影響を受けていることは前述したが、ダイターン3もスターウォーズ初劇場公開作品エピソード4に影響を受けている、という記事を目にしたことがあるが、これは偶然のなせる業だろうか…
評価に戻ろう。
私は本作に点数を付けるとすれば70点としたい。
マイナス要素は敢えて深堀りしないが、後半のダバの感情があまり表現されていないこと(スターダスト作戦への固執とオリビーへの愛情が回よってばらついて見える)、フル・フラットはいい味を出していたのにアマンダラ・カマンダラがやたら三流の小悪党にしか描かれていないこと、あたりが惜しい。
本作の後番組である「機動戦士Zガンダム」が近年「新訳」と銘打ってリニューアルされたことを想えば、本作もリメイクする価値はあるように思う。
多重な恋愛を描きつつ、流行りに乗りすぎたため「惜しい」ところが目立った作品だった。
所々に「残念」という言葉を吐いてしまうが、でも54話を見る価値はある、それが本作の評価だ。
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