「物語」の中の「物語」
本という別世界に入り込むバスチアン
「はてしない物語」は、バスチアンという気弱な少年が、古本屋から盗んだ本を学校の屋根裏部屋で読みふけり、その物語の中に入り込んでしまうという物語だ。
バスチアンは物語の中で、望むものを次々と手に入れていくが、同時に現実世界での自分の記憶を少しずつ忘れていく。やがて傲慢に、自分の好きなようにふるまうようになったバスチアンは、彼を阻むアトレーユと戦い、彼を刺してしまう。一人での厳しい旅により、もとの世界に帰りたい、そして誰かを愛したい、という望みを持つようになったバスチアンは、自分の力と、アトレーユの助けによって元の世界に戻る。
この「物語」の中には物語がもうひとつある。その別の世界の物語の主人公であるバスチアンが、アトレーユを主人公に据える物語に入りこんでしまう、という二重構造になっている。
それを読んでいるうちに、自分のいるこの世界(本当の現実、今いる世界)も物語であり、気づかないうちにバスチアンのようにファンタージエンに入り込んでしまっているのではないかと途中で錯覚すらしてしまう。
実際、読み終わってもファンタージエンが物語の中の物語ということにとどまらず、平行して存在する、まさに今手にしている本の中、いや本という形で存在する「物語的別世界」だと考えることができてしまう。
まさしく読んでいる自分も本の中に引きずり込まれるような魔力を持った本であるといえる。
ファンタージエンを救う「子供」という存在
ファンタージエンは、ファンタジーを象徴した世界である。普通に考えると、子供はファンタジーの世界、ファンタージエンに生き、大人になるにつれてそれを忘れていく。そして、この世界をただ一つのものとして見るようになり、ファンタージエンを、ただ幻想のものとして片付ける。大人の頭の中では、ファンタージエンは虚偽、いつわりのもの、とりとめもなく作り出したどうしようもなく下らなく、ばかばかしいものとして生きることになる。
これは、物語の中で描かれている「誤った道」である。虚無に飲み込まれたファンタージエンの生き物は、人間を盲目にし、人間に嘘をつかせることでさらにファンタージエンに虚無がはびこるのを手伝うことになる(この悪循環は、実際問題、現実である今の世の中で、今この瞬間に行われていることだともいえる)。物語の中でバスチアンが通った正しい道は、ファンタージエンにやってきて、幼ごころの君に「新しい名前」をつけ、いろいろな体験・試練を経て、人間の世界の物事を新鮮に見る目を持ってもどってゆき、両方の世界を健全にする、というものである。
バスチアンは、ファンタージエンで大きく成長し、現実世界に戻る。そして、豊かな目と心をもって、両方の世界を健全にしてゆく。ファンタージエンが本当に滅ぶのは、人間がファンタジー、空想、幻想を忘れたときだ。しかし、それはほぼあり得ないと言っていいだろう。いつでもどこでも、私たちの住む現実世界にはバスチアンのような少年がいて、そのたびにファンタージエンを救ってくれるだろう。
子供はファンタジーの世界に抵抗を持たず入っていくことができる。彼らにとって、現実世界は好奇心を刺激される、まだまだ未知な冒険世界なのだ。それを物語と区別してしまうと、ファンタジーの世界に入るのは難しい。そうして大人になっていく。しかし、大人になってからも現実世界を本の中の物語と区別せず、いやファンタージエンを本の中にとどまらせておくことをしなければ、現実もまた物語の一つに過ぎないと知れば、虚偽は影をひそめることになるのだろう。そのような心持でいることを忘れないこと、それが作者が私たちに伝えたかった一番重要なメッセージなのかもしれない。
物語という無限の可能性
本屋や図書館で、数々の背表紙の列を見て、よく思ったものだ。この中に一体、どれだけの世界が隠されているんだろう? それらはきっと、結び目のない、つなぎめのない紐で、どこかつながっているのだろう。世界は無数の物語を内包する大きな箱のようなものなのだ。人生それ自体が物語であり、私たちはたくさんの人々や場所、時間の物語に囲まれて生きている。物語無しでは生きていけないのだ。
物語の中に何度も登場する文がある。
けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。
これは、この物語に重要な意味とつやを与えている。しかし作者のエンデ自身はその「別の物語」を、おそらく全く考えていないのではないか。つまりは「物語」はいつでもどこでも、私たちの心の中、あるいは外の世界に、いくらでも、どのような形でも、存在し得るということだ。
この壮大な名作を読み終えると、普段見過ごしてしまうような些細な物事の中にも、光を感じられるようになる。日常の片隅に、ひっそりと転がっているファンタージエンのかけらを。そこに、彼らはいるかもしれない。
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