チェーホフの世界を見事に再現した、現代に通じる知識人の物語
この長い題名の映画は、チェーホフが大学時代に書いた戯曲「プラトーノフ」を基に、「地主屋敷で」「文学教師」「三年」「わが人生」などの、短編のモチーフを加えて創作されたものだが、まさしく見事に"チェーホフの世界"であり、しかも、チェーホフの時代と人物を借りての、むろん現代に通じる知識人たちの物語なのです。
1900年代末のロシア。緑したたる田園風景。古びた貴族の屋敷。蒸し暑い夏の昼下がり。屋敷のあるじは、色香を残して華やぐ、将軍の未亡人アンナ(アントニーナ・シュラーノワ)だ。
そこへ近隣の地主や、退役大佐や、その息子の医師や、若い妻を連れた小学校教師プラトーノフ(アレクサンドル・カリャーギン)らが、訪れてくる。
都会から帰ってきた将軍の先妻の息子セルゲイ(ユーリー・ボガトィリョフ)の、美しい新妻との顔合わせを口実に、だが彼らは長い冬眠から目覚めたような、この久方ぶりの集会に、なんらかの刺戟を期待しているのであろう。そして、女主人のほうも、ここらでは珍しい、高価な自動ピアノの購入で、客人たちを驚かす魂胆なのだ。
人々の軽いざんざめき。蝿の羽音が聞こえる、時折の静寂------。どこか澱み、優雅に怠惰に、頽廃の気分の中で、傲慢な毒と艶めいた危険をはらんだ会話も交わされ、やがてそれは彼らが期待した、スキャンダラスな、一つのドラマに凝縮されていくのです。
実は、セルゲイの新妻ソフィヤ(エレーナ・ソロヴェイ)こそ、プラトーノフの初恋の人であったのだ。かつては理想に燃え、愛に燃えて、大成を夢見た青年も、今ではしがない田舎教師だ。そしてソフィヤは、それが両親の反対に引きずられて、彼を捨てて去った女性なのだ。
だが今、あまり賢くない夫に飽き足らぬ彼女にとって、プラトーノフは、彼女自身にふさわしい知識人なのだ。いつの時代でも、世界のどこでも、若い女の恋ごころとは、なんと身勝手なものだろう。そう、女はいつだって、男の上に自分自身の勝手なイメージを描き上げるものなのかも知れない。
男にとって、それは迷惑なのだ。今更、迷惑だけれど、彼女の熱い眼差し、思いつめた囁きに、どうして動揺せずにいられよう。
プラトーノフは、その動揺に気づかれまいと、人々の前で、自ら道化役を演じ、劣等感を自虐の苦渋にすり替えて、更に乱れてしまうのだ。
雨になる。豪雨をついて、重体の女房への往診を、懇願しに来た貧しい農夫を、にべもなく追い返す医師をなじりながら、けれどプラトーノフだって、花火と乱痴気騒ぎの後の水辺で、ソフィヤと抱き合ってしまうのだ。だが、どうなるものか。時の流れは、呼んでも帰りはしない。二人の語らいは噛み合わず、昔を取り返すすべもないのだ。
むしろ初恋の女の出現は、彼女との再会は、ソフィヤの愛の告白は、ようやく埋もれ、忘れかけた男の挫折感を、一挙に爆発させてしまうのだ。男は狂ったように叫び、暴れて、好奇の人々の視線から、飛び出して行く。
ダメだ、ダメな人間だ、人生の敗北者だ、と水辺の死の淵に向かって、よろめく。そうしたプラトーノフに追いすがり、彼をかきくどき、かき抱くのは、まだ小娘のように幼げで、鈍くも見えた若妻のサーシャ(エヴゲーニャ・グルーシェンコ)だ。
誰よりも、あなたを愛している。あなたを尊敬している。あなたを必要としている------。そのひたむきな真心が、プラトーノフを赤子のように包んで、彼は母の胸に甘えるように泣くのだ。
男に、"悲劇と安らぎ"をもたらす、二つのタイプの女の原型を、この映画で観たような気がします。
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