「夜長姫と耳長男」美しい姫の幻想的で残酷な心の闇とは?
坂口安吾の世界に惹き込まれた私
私は、はずかしながらこの齢まで、彼の作品に目を通したことは、ありませんでした。
今回「夜長姫と耳長男」というおとぎ話のようなタイトルに惹かれ読んでみることにしました。この作品は、彫物師である耳男の目線で語られており、職人気質のぶっきらぼうで、まだ女性経験のない堅物な若者の表現が、素朴で小気味よく、不思議な魅力を感じました。
私は、読み始めてから息つく暇もないほど、一気に耽読してしまいました。耽読した後、これは、作家坂口安吾の筆力の凄さだと痛感いたしました。久しぶりに退屈することなく、興味深くそして考えさせられる作品に出合えたことを嬉しく思いました。
現代にも息づく無類の作品!
私は、作家坂口安吾が、「どのような人生を歩んだ作家」なのか非常に興味をもちました。ネットで検索すると、薄幸な生い立ちから始まり、アウトロー的な生きざまで、なんとも気の毒としかいいようのない生涯を閉じた方だということがわかりました。しかし、彼の作品は、読み手を飽きさせない非凡な魅力があります。「夜長姫と耳長男」は、昭和27年に執筆された作品ですが、彼独特の表現力は、他の作家には、決して真似することのできない、現代にも息づいた無類の作品なのではないかと思いました。
無邪気な笑顔の奥に潜む心の闇とは!?
「夜長姫と耳長男」の作品でとても印象に残り続けるのは、やはり夜長姫の無邪気な笑顔の奥に潜む心の闇です。この作品の凄さは、目に見えない心の闇にスポットを中てて描かれているところです。
夜長姫の父親である長者は、このストーリーに何度も登場してきますが、夜長姫の「母親らしき」人の登場や気配も書かれていません。これが、私自身一つの謎です。
夜長姫の「母親」とは、どんな人物だったのか?私は、想像を膨らませて憶測してみました。もしかしたら?身分の低い長者の館にいた美しい女中だったのではないか?と思いました。夜長姫を産み落としそのまま息を引き取ってしまったのか?それとも夜長姫の生まれ持った「残虐性」を見て、将来が恐ろしくなり自ら命を絶ってしまったのか?それは、私の想像なので定かでは、ありません。夜長姫の「残虐性」のカギは、決して登場してくることのない「母親」が握っているのかもしれないと私は、思いました。
長者は、年老いたころに生まれた「珠のような娘」を溺愛し、物心つくまでに善悪を教えることもなく育てたのが、「心の闇」の原因なのか?わかりません。その無邪気な笑顔と美しさ故、誰一人として姫に逆らうことがなく、何不自由のない豊かな暮らしをしても、夜長姫の心の中は、「いつも空虚に満たされていた」ことを、誰一人として見つめてあげる人がいなかった。その孤独の闇に、夜長姫の心の中に、次第に悪魔が棲みついてしまったのかもしれません。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)