やっぱり1stのシャアはかっこいい!今こそ彼の魅力を語ろう
目次
結局シャア・アズナブルって何モノ?
記念すべきガンダム第一作として何十年も語りつくされてきた作品なので新解釈などなかなか無い。そう思いつつ見返してみるとやはり1stのシャアはかっこいいな、と実感しながらもシャアの心情などで語られていない部分ってまだありそうだな、と思える。そこで、本レビューではシャア・アズナブルの魅力と彼の思想の変遷について考えてみたい。
彼は本作以降、Zガンダム、逆襲のシャアの2作に直接登場する。(ガンダムZZでは直接登場は無いが端々(はしばし)に気配や影響を感じるし、ユニコーンではアムロ、ララアとともに肉体を持たない精神体(?)として登場する)
Zでは富野由悠季監督が「悩めるシャアを書きたかった」と語っている通り、かっこよく活躍するシーンは少ない。ひたすら迷い、雑魚に苦戦し、強敵に蹂躙されるシーンばかりと言ってもいいだろう。
逆シャアでは活躍はするものの1stのような戦術家・戦略家としての格好良さは影を潜め、ララァコン、ロリコン、アムロとの決着への固執、だけがが目立つ。
1stの最終決戦で、モビルスーツ戦で勝ち目なしと見て挑んだ肉弾戦でも敗れ、「ヘルメットが無ければ即死だった」という言葉でさりげなく敗北を認めた潔いシャアはどこに行ったのか?
1stのシャアは負けてもかっこいいのに・・・
戦闘だけじゃない 戦術家・戦略家としてのシャア
基本的にアムロ・ガンダムには直接戦闘で一度も勝利しないシャアだが、1stでは戦術家・戦略家としての能力は圧倒的にホワイトベース(以下WBと略す)隊より際立っている。
まずは誰もが認めるシャアの凄さは前半で既にみられる。
大気圏ぎりぎりでの戦闘を行い、直接撃破が叶わなかった時の次善の策として、地球連邦の本拠地ジャブローを目指すWBの進路をジオンの勢力圏である北米にずれるように画策するという離れ業、これぞ「戦いとは常に二手三手先を読んで行うものだ」という彼の言葉を体現したシーンと言えるだろう。
ここでちょっと「復讐」目線のシャアの考えを深読みしてみたい。
アムロとの決着に固執する前のシャアの、そもそもの目的は父の仇であるザビ家打倒だ。
ガンダム、WBという強敵と対峙して、ジオン軍でも有数のパイロットと自覚する自分が倒せない相手が地球に向かっている。彼はこれを「戦闘に乗じてガルマ・ザビを亡き者にするチャンス」、と考えたのではないだろうか?
但しガルマ一人を暗殺して目的達成という訳ではないので、機会があればガルマ暗殺、それが叶わなくてもガルマ隊と共闘してWBとガンダムを撃破できれば自分の功績にもなる、という2段構えの作戦だ。
栄達していけばザビ家中枢との距離も近くなり打倒の機会も増えるのは自明の理だ。
仮にここまで考えていたのであれば大気圏突入時の戦闘では彼は五手くらい先を読んでいたものと思われる。これぞ戦術・戦略家シャアの神髄と言えるのではないか。
しかし、疑問も残る。
ガルマを死に追いやる目的は達したものの、前述したように復讐は終わりではない。北米地上軍の司令官であるガルマが、特攻による「名誉の戦死」を遂げたのに自分ひとり(しかも無傷で)生き残れば家族愛の強いドズルから批判されるのは明白だ。計算高い彼にしては少々お粗末ではないだろうか?
実際にガルマを守り切れなかった責任を問われ左遷されるシャア。この時点で栄達によってザビ家に近づく道は多難となったといえるだろう。
ここで再び独自の考察を入れる。
シャアの「打倒ザビ家リスト」にはドズルは入っていなかったのではないだろうか、というのが私の想像だ。
ドズル・ザビは周知の通り、いかつい外見とは裏腹に情に厚く、部下想い、家族想いの人情派の人物である。直接の上司であったこともありシャアも彼の人柄はわきまえていたはずで、ドズルの中には「腹黒いザビ家」は見いだせなかったのかもしれない。
能力があるから拾われる、ドズル配下を離れてからのシャア
上記の疑問は残るが、結果としてドズル配下を罷免されたシャアはキシリアに拾われる。この成り行きは不明だが、ここでも敢えて独自解釈を行ってみよう。
私の解釈はシャアがガルマ指揮下にあった時点でキシリア陣営からの接触があったのではないか?というものだ。
宇宙世紀年表によればガルマ死亡は0079年10月であるが、キシリアが創設したニュータイプ研究所:フラナガン機関は同年6月に既に設立されている。
創設間もないこの機関としては研究対象を強く欲していたことは予想できる。ルウム戦役での功績からシャアがニュータイプに近い存在ではないか、と思うのは自然な流れであろう。
そしてガルマが姉キシリアを慕っているシーンがはっきりと描かれている。姉への報告なり私信なりで、学友であるシャアが自身の拠点に来ている、と喜びとともに話している無邪気なガルマも想像できる。
キシリアとしては、研究対象として、エースパイロットとして、またニュータイプ部隊の隊長としてシャアを迎えようと接触していてもおかしくはない状況なのだ。
つまり、シャアとしてはガルマ謀殺後、ドズル配下に居場所が無くなっても問題ない、と考えていたのではないか。
前述の「ザビ家打倒リスト」がシャアの脳内にあったとして、筆頭はデギンであろうが、策謀家として知られるキシリアも上位に挙がっていたことは間違いない。
この機会にニュータイプについて見識を深めておくことと、キシリアに近づくことはシャアにとってはプラス項ばかりだ。
シャアを高く評価していたキシリアであれば、ドズルよりも高待遇で迎えるという条件も提示されていたことだろう。金銭に目がくらむシャアではないが、より高い自由度と、高性能のMSに乗れる可能性は魅力だっただろう。
マッドアングラー隊でのシャア
この近辺ではドラマ性でカイとミハルのストーリーに注目が集まるが、そのミハルをWBにスパイとして送り込んだのはシャアその人だ。
ここでも彼はパイロットとしてよりも戦術家としての能力を見せる。
ミハルからWBがジャブローへ向かう情報を経てマッドアングラー隊(以下MA隊と略す)で追尾するシャア。更に彼の隊はこれまで不明だったジャブローの連邦基地の入り口を発見する功績も上げている。
ジャブロー攻略戦自体はジオン側の惨敗で終わっているが、そもそも諜報機関でもあったMA隊の隊長として、シャアは十分な成果を上げていると思われる。
ジャブロー攻略の本隊はシャアの指揮下ではないので、その戦闘の失敗は無論彼のミスではない。
連邦側の量産機ジムの工場にも潜入しており、その映像は本国にも送られたはずで諜報部隊としては間違いなく優秀な仕事をしている。(せっかく仕掛けた爆弾を子供たちに外される展開はトホホだが、カツ・レツ・キッカの3人がWBに同行を許されるためのエピソードであることと、まだまだ「アニメは子供のもの」という偏見があった時代背景を鑑みると無理からぬ展開か。)
余談になるがこの3人の子供たちがWBで宇宙に向かうことは、リアル重視のファンからは疑問視されるだろうが、最終話に人類のニュータイプへの目覚めを予期させる存在としてどうしても必要だった、と私は思う。(その後監督富野氏はニュータイプを人間の変革ではなく超便利戦闘要員としてしか描けなくなってしまうので、この話は1stのみの話でしかないのだが・・・)
MA隊所属時のシャアについてもう一つ触れておかねばならないのは、北米では打倒ガンダムよりもガルマ謀殺を優先した彼だが、このあたりからWBとガンダムの討伐が目的化しつつある、という点だ。
第26話「復活のシャア」で、ベルファストにWBが入港した際に麾下のマリガンに対して「木馬」への固執を自嘲気味に語っている。
しかし、第29話「ジャブローに散る!」で望んで再対峙したガンダムに押されるシャア。
「さらにできるようになったな、ガンダム」
このセリフはシャア対アムロの対決の分岐点と言える。
これ以前はガンダムというMSの性能に屈してきたという気配が強いシャアだが、この時点でパイロット(アムロ)の能力をはっきりと認めたのだ。
一方のアムロは、再び現れたシャアに脅威を感じながらも、既に互角の戦いができるようになったことを肌で感じている。
不利と見て引き下がるシャアのズゴックの撃破を試みるアムロは、立ちはだかるゾックに対して「邪魔をするな!シャアを討たせろ!」と叫んでいる。
ここからパイロットとしてはアムロ優勢ながらも、戦術的にはWBを追いたてるシャア、という緊張関係が構築されていく。
思えばアムロ自身は終始パイロットに甘んじており、戦術や戦略を考える必要はない。言ってしまえば作戦を遂行しているだけだが、シャアは士官あるいは隊長として戦場を設定し、部隊を率いなければならない。
宿命のライバルとは言いながらも二人の関係は常に対等ではなく、目の前の戦闘に集中できるアムロが圧倒的に有利だったことは記述しておくべきだろう。
宇宙に上がってからは冷静な指揮官に復帰
宇宙での初戦、シャアは自分自身は出撃せず、ザンジバルで全体の指揮を執っている。WBの先行が陽動であることを早々に気付き、ザンジバルで特攻をかけてWB隊に強大なプレッシャーをかけるあたりで、やはりシャアは優れた戦術家であることを見せつける。
当然話の展開上、この中盤でWBやガンダム撃破は叶うはずもないのだが、WBクルーの恐怖が非常に大きかったことが何度も言語化されており、やはりシャアは指揮官としては優秀であることが見て取れるのだ。
これに続く戦闘でWB進行方向近くにいる旧知のドレンを呼び寄せるあたりも判断が早い。
しかしこの頃からアムロ・ガンダムだけでなくWBの経験値もシャアの予測を超えていることが顕著になる。
以降シャアはいよいよ劣勢に立たされることになるのだが、それでも尚1stのシャアはかっこいいのだ。むしろここからが見せ場と言ってもいいかもしれない。
シャアが考えるニュータイプ社会とは?
ドレン隊が撃破された後、コンスコンがWBと対峙している間にシャアはキシリアの了解を得てフラナガン機関からララァを連れてくる。
もともとザビ家への復讐をもくろんでいたシャアはこの時何を考えていたのだろう。
この時点でシャアは既にニュータイプの時代を予見している、と私は考察する。
最終話でアムロに対して自分に合流するよう勧め、はっきりと拒絶されるシーンがある。
では彼はアムロを何に誘ったのか?おそらくはニュータイプを中心とする社会なのだろう、とは誰しも想像できるが、それはどんなものか?
1stの段階では彼はザビ家打倒を目指していただけで自分が征服者になるような考えは見えない。
この時シャアは20歳、若い彼が父ジオン・ズム・ダイクンの意思を正確に継いでいれば、かなり理想的な国家(あるいは集団)が形成できたのではないだろうか。
この後のララァを失う悲劇で、シャアは冷静な戦術家・戦略家としての資質を失ったと私は見ている。
Zでも戦術的な失敗が目立つし、逆シャアではざっくり言えば「アムロ打倒」ですらなく、「アムロと闘いたい」だけの駄々っ子になっている。
冷静に考えればアムロは「敵軍の士官でありエースパイロット」のシャアに対して恨みを抱く必要はない。ララァの件さえなければ、だ!
つまり、ララァが死ぬ前にララァと3人でニュータイプの理想社会を作ろう、とシャアが誘えば、アムロを筆頭にニュータイプとして覚醒を始めたWBクルーも同調できたかもしれない。
そのうえでザビ家を打倒し、セイラ(シャアから見ればアルテイシア)と手に手を取ってジオン公国を納め、連邦と和平を結び、自治権を得て宇宙に上がった人類の覚醒を見守る。これこそ彼が進むべき道だったのではないか?
無論、歴史に「たられば」はない。
彼はこの唯一のポイントを失ったばかりに、むなしい戦いと固執の日々を迎えることになる。
それでも1stのシャアのかっこよさは最終回最後のシーンまで健在だ。
前述のようにアムロとの私闘に敗れたことも潔く認め、アルテイシアに別れを告げる際も「いい女になるのだな。アムロ君が呼んでいる」とアムロを認めつつ彼についていけ、と最愛の妹を託す。
更にマスクを取って最後の雄姿でファンサービスしたうえで、きっちりと当初の目的であるザビ家打倒の仕上げとしてキシリアを討つ。
最終話のガンダムのラストシューティングはあまりにも有名だが、このキシリア打倒シーンはシャア・アズナブルのラストシューティングとして40年近くがたった今でも私のお気に入りのシーンだ。
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