私も言いたい「オイアウエ!」 - オイアウエ漂流記の感想

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オイアウエ漂流記

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私も言いたい「オイアウエ!」

4.04.0
文章力
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ストーリー
4.0
キャラクター
4.0
設定
4.0
演出
4.0

目次

冒頭から引き込まれるスタートダッシュのよさ

のんきな始まりから飛行機事故へと一転する展開なのだが、最初の1ページ目から目が離せない。荻原浩作品でよくある登場人物それぞれの立ち位置からの表現により、同じものを見ていても違いが感じられて奥行きが広がり、読み手側の世界も広がる楽しみがある。ただこの設定の難しさは、登場人物の個性がしっかり確立されていないとかなり混乱するが(他の本ではそれは時々よくある。そしてちょっと前のページを繰ったりをしなくてはならない)、彼の作品ではそういう心配はない。
トンガという国にゴルフ場開発するための下見にきた社員5名(得意先含む)、新婚旅行中の薮内と早織、環境保護団体に属するサイモン、慰霊にきたおじいちゃんと孫の仁太とパイロットと犬、総勢10名と1頭が飛行機が海に不時着(パイロットはこの時死亡)して漂流し、小さな無人島にたどりつく。このパイロットは陽気なコンガ人で、冒頭のコメディタッチをうまく彩ってくれるのだが、荻原浩の作品でいいのは、そのコメディ色が決して強くなりすぎないところだと思う。やりすぎるといたたまれなくなって読み進めるのがつらくなってくるしリアリティも当然乏しくなる(こういうのは映画でも小説でもよくある)。それが彼の作品にはなく、ちょっとにやけてしまうちょうどよいくらいの面白さがいつもあるのが魅力の一つでもある。
もうひとつ、コンガやラウラ、タイトルにもなっている「オイアウエ」や「ヘインガペ」など、架空の言葉がよく散りばめられているのだけど、その全てがなにか愛らしくほんわかしていて荻原浩ならでは温かみを感じさせる。彼のこういった言葉のネーミングセンスのよさは、他の作品にもよく見受けられ(印象的なのは「オロロ畑でつかまえて」。これもいい好きな作品のひとつ)、物語に彩りを添えている。

登場人物それぞれのリアルな反応

冒頭のドタバタ感から一転、嵐にまきこまれて海上に不時着を余儀なくされた時、前述のパイロットが死んでしまう。ここは個人的にはショックで、いつまでも実感がわかなかった。実はどこかの別の島で生きているとか(サイモンの相棒が生きていたニュースがこのパイロットだったら良かったのにと何回も思った)そういう設定にして欲しかったけれど、そこは甘い読者の感想でしかない。
無人島に漂着した時の登場人物のそれぞれの反応はそれぞれの個性に反することなく現実味にあふれ、どこか甘い見通しのままだらだらといってしまう危機感のなさに腹がたつのだけど、それはきっと都会人なら誰もがそうするだろうと思う。漂流当初はもっていたものを利用し、なんとなく文明の利器から離れられないままだったけど(ライターとかゴルフクラブとか除光液とか)、無人島生活が長くなるにつれ生活の知恵がついてくるところは読んでいてかなりリアルに感じた。椰子の実の割り方や火のおこし方、そういうものは覚えておけばもしかして役に立つようなサバイバルの雑学にもなりそうな描きこみ具合に、読み応え抜群だった。
また登場人物それぞれに実は役に立つ知恵や力があり(パワ原さんでさえ!)、全員が全員決して無駄な存在でないところも荻原浩作品にあるような優しさがある。荻原浩作品にある家族もの「ビューティフルライフ」や「愛しの座敷わらし」などによくみられる、決して力合わせて一致団結!ではないのだけど、反目しあいながらもなんとなく肩をよせあい、なんとなく一つの目的に力を合わせるといった穏やかな展開がここにも見られる。
逆にみんなが協力しすぎるのはいくら無人島生活というような非常事態でもありえないことだと思う。それぞれがそれぞれの我を抑えきれず、ぶつかりあってしまうのが当然かもしれない。この作品でもそれはあった。抑え続けられていた課長が感情を爆発させたのも(ただの一度で済んでいるのが奇跡のような展開)、早織さんが魚を渡さないと言ったときも、それは無理はないと思わせるシビアな状況だった。このままでは救助は無理かもしれないとうすうす感じながら認めたくないという精神状態は、長くは続かないだろう。それでもところどころ混じるユーモアや、話し手側の立ち位置からの突っ込みが、物語をシリアスにしすぎないうまい展開になっていた。

無人島で過ごす生活

食べ物と気持ちの余裕がなくパイロットの犬を追い払ってしまったところは、現実味があるところかもしれない。これが1人や2人なら寂しさなどを紛らわせるために側に置いたかもしれないけど9人もいれば寂しさなどは感じないし、あるのはただ食べ物への執着感だけだろう。しかしそのうち島での生活も慣れ、食べ物も充実してきて余裕もでて初めて、彼らは犬のことを案じ始める。もともとは心の隅に悪いことをしたという気持ちがあったのだとも思う。あのあたりはもしかしたら賛否両論あるのかもしれないけど、少なくとも個人的には責めるという気持ちはでてこなかった。
無人島生活を描いた作品は多々あるけど、この作品は漂流した人たちの人間性やその関係を深く掘り下げるというよりも、どうやってここで生活を行ったのかということに重きをおいているように思う。食べ物の調達やその料理の仕方、どうやって食べたかとかそういうことが事細かに描かれている作品はあまり多くはない。個人的にはいつもそういう小説や映画を観ながら、「何を食べてるんだろう」ということが気になっていたので、興味深くそのあたりは読むことができた。ウミガメのくだりは素晴らしいと思う。食べることは殺すこと。田舎で育ったパワ原さんの「食うためには殺さなくちゃならんだろが」という言葉をもっとも実感せざるを得ない生活だと思う。過激環境保護団体のサイモンでさえ自らの信念をなにか封じ込めた、というよりはその信念にもっと深みを与えた出来事なのかもしれない。ウミガメのステーキはかなりおいしそうだった。椰子の実を大事に食べること、食べたあとの藁で縄をなうこと、女性陣は体を洗ったあとレモンのようなものをこすりつけたりしているところ、椰子の樹液でお酒まで作るところ、すべてが生き生きと描写されていて、私もやってみたいとうらやましささえ感じた。

ちょっとした伏線?

ラウラ行きの飛行機に乗るとき体重によって席を振り分けられる描写がある。女性2人のうち、賢治の目から見ると菅原さんは細く見えるのに56キロだった。のち、彼女は無人島を探検するとき切り立った崖をするすると登っていく。実は彼女はフリークライミング暦8年の強者だったことがわかるのだが、筋肉は重い。だからこその56キロなのかとちょっとにんまりした。あとは早織さんが魚の配分のことでヒステリックになってしまった時。のちに彼女は妊娠していることがわかる。ホルモンバランス異常による精神不安定だったからこその行動なのかと思った。ただ無人島生活だというのに妊娠するというのは、読み手にかなりのストレスがかかる。ドラマの「LOST」でも妊婦が一人いて彼女が出てくるたびにどうしても気になってしまった。薬も医者もいないのにどうやってと思うと、こちらまで不安になる。個人的にはこの設定はあまり必要としないものだった。

ラストの疑問

結局賢治が発案したHELPと書いたイカダを流す計画によって最終的には救援ヘリが来るのだけど、ここでいくつかの疑問がでてくる。仁太の日記で物語は終わるのだけど、そこに、パワ原さんと課長、サイモン、野々村がでてこないのだ。あとパイロットの犬が残した5匹の子犬たちもいない。たまたまそこにいなかったから仁太が書いていないだけなのかもしれないけど、3度目のイカダを流しにいって帰ってこない菅原さんと賢治(これはいつものように、と書いているので不自然はないし、3回ともこの2人がイカダを流していると考えてもおかしくない)のことは書いているのに、その4人のことは抜けているのはどういうことなのか考えたのだけどどうしてもわからない。1度目は確かにメッセージのみのイカダを流している。3度目のイカダを流しにいったときに救援のヘリが来たということは2度目のイカダがキーなのかもしれない。そもそも複雑な海流が島を取り巻いているので人が乗っていくのは無理ということで、メッセージのみのイカダを流したはずなので、2度目のイカダに人がしかも4人も乗っていくのはあまり考えられない。しかも身重の早織さんをおいて薮内が行くはずがない。どうしてもここがわからなくて、ここだけは気になるところだ。
あと奥牛穴ロッジの冬季管理人、私は是非いってみたいです。

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