陳腐な恋から学ぶインターレイシャル・リレーションシップの現実
肌の色について
今年はアカデミー賞に多くの黒人俳優がノミネートされました。貧困層で育った少年の成長を描いた『ムーンライト』、デンゼル・ワシントンによる舞台作品のリメイク『フェンス』など、彼らのカルチャーを感じる事が出来る名品が多く公開されました。
これらの作品、そしてこの『ジャングル・フィーバー』も含め、主人公の男性たちに共通していること、それは自分がブラックであることを主張している(ムーンライトの場合は周りがそういったプレッシャーをかける)点でしょう。
ジャングル・フィーバーはロサンゼルス暴動の少し前、オバマ元大統領就任のずっと前の作品ですが、この彼らが『自分はブラックだ』ということを認識して育たなくてはならないのは昔より変わらないことです。
『ジャングル・フィーバー』の主人公フリッパーは、はじめ、アンジーが派遣されて来た際は、「アフリカンアメリカンを、と頼んだはずなのになぜ白人が来たのか」と抗議します。人種差別を訴える形です。この一面も彼、フリッパーであることには変わりがないのですが、結局、アンジーと体の関係を持ちます。口説き文句に自分の肌の色を使って。「漆黒の夜の様に黒い肌の男はどう?」
その後、妻の言葉により、彼のセクシャルな部分の好みがはっきりしてきます。フリッパーの妻は、彼が、白人の血が半分混じって他の黒人女性よりも肌の色が明るいから自分に魅力を感じているのではないかと以前より考えていた、それがこの肌の色(白人女性よりも黒い肌の色)によって捨てられるなんて、ともらします。
フリッパーは黒人よりも白人の女性に性的魅力を感じるようですね。それを、妻は見抜いていたけれど、敢えて口には出していなかったのです。そして、恐らく彼自身も、気付いていなかった、もしくは気付かない振りをしていた可能性が高いです。
今は、ジャングル・フィーバーという言葉自体を使うことは、本当にまれです。異人種間の恋愛はインターレイシャル・リレーションシップと言われ、世界中、どこででもこのようなカップルを見かけます。圧倒的に同人種間のカップルが多いですが。そして、映画界に話を振ると、このインターレイシャル・リレーションシップがタブーとされ続けていたことも事実で、理由としては、そこにはかなりセンシティブな潜在意識が肌の色に関係なく、皆にあるからでしょう。1964年まで、アメリカでは異人種間の結婚は違法であった、と聞くとその根深さにも納得でしょうか。
フリッパーの性的嗜好と、普段の言動の食い違い、そして妻の心の中に持ち続けていた葛藤で、この「肌の色」に対する差別とは少し違う、繊細な部分が描かれます。
ドラッグとハーレム
『ジャングル・フィーバー』には、主人公の二人がお熱を上げているそばで、別の素晴らしい物語も進行していきます。
その一つがサミュエル・L・ジャクソン演じるフリッパーの弟、ゲイターを主人公にしたドラッグについての話だと、映画を見た方は賛同してくださるはず。
サミュエル・L・ジャクソンはこの映画でカンヌ国際映画際で主演男優賞を受賞しており、彼の出世作と言われていますね。
このゲイター、ドラッグ中毒で嘘つきで女好きで、とんでもない男なのですが、この彼を皮肉めいた存在にしているのが、まさに正統派・黒人ファミリーを築いた、素晴らしい両親でしょう。
お母さんはいつも優しく、金の無心にくる息子にお金を渡してしまいます。お父さんは、皆に尊敬され慕われる存在です。
スパイク・リーは、この映画の舞台をハーレムにしました。伝統的な黒人家庭、そしてドラッグ、これらはどちらも1991年当時のハーレムのリアルだったのです。
荒れ果てていたハーレムには、1980年代より中流階級家庭が増え、少しずつ平和さを取り戻していきます。この中流家庭の典型的例がフリッパーの実家です。しかし、弟のゲイターはドラッグ中毒。平和さを取り戻している一方で、ハーレムのドラッグ問題は当時本当に深刻でした。
そして一見平和な家庭から、ドラック中毒の息子が誕生する、といった図式が簡単に完成してしまうのです。
ラブストーリーは主人公たちのことではなかった
フリッパーとアンジーのラブストーリーとして紹介されるこの映画、そしてタイトルは『ジャングル・フィーバー』。
声を大にして言いたい。これは彼らのラブストーリーではないと。
その陰で繰り広げられるラブストーリー、それがアンジーの元婚約者ポーリーと、彼のお店の常連客である黒人女性との恋です。
ポーリーの恋と、主人公二人の熱が冷めて行く様を交互に移し、タイトルの『ジャングル・フィーバー』と、本当のラブストーリーを意図的に表現しているのが印象的です。
先述した通り、フリッパーは白人女性に対して性的魅力を感じている、アンジーも普段の生活に不満を持っており、男らしいフリッパーに惹かれた、というよりは、新しいことに興味があった、だから寝てみた、という感じ。そこからどれだけ燃え上がろうとも、結局この二人はお互いの人種、肌の色に対する性的嗜好、性的興味の段階から抜けれなかったのです。
フィーバーは『熱』という意味で、つまり主人公たちはインフルエンザにでも掛かって高熱を出していただけ、という事です。
一方でアンジーが男らしくないと愚痴をこぼして捨てたポーリーはどうでしょう。教養のある素敵なビジネスウーマンに恋をします。周りにどれだけ脅かされ、殴られても、デートの約束を守るために走ります。そこには肌の色は関係ありません。それだけ深い所でポーリーが彼女に惹かれているのだ、ということがわかります。主人公たちの浅はかさと、ポーリーの恋を対比させるこの手法は高く評価されています。
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