小坂健介、藤木一郎比較論 普通の人、小坂健助はどうして脇役から主役の座に登りつめたのか。 - 道士郎でござるの感想

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道士郎でござる

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小坂健介、藤木一郎比較論 普通の人、小坂健助はどうして脇役から主役の座に登りつめたのか。

5.05.0
画力
4.5
ストーリー
5.0
キャラクター
5.0
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5.0
演出
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目次

読者目線のキャラとして登場した小坂健助と『天使な小生意気』の藤木一郎


『道士郎でござる』はタイトルの通り、本来はネバダ帰りの超人武士、桐生道士郎が主役の物語のはずである。実際1巻~2巻にかけては確かに道士郎が主役という作りだった。途中で登場した小坂健助は道士郎という常識外れのキャラクターを強調させるための存在に過ぎなかったように思われる。彼はスーパーキャラクターが登場する漫画によく配置される、読者目線の登場人物としての役割を果たしていた。

初登場時から際立った個性は存在せず、部活動をしているようにもみえない。道士郎の突飛な言動に驚きながらも、彼の周りに起こる様々な暴力事件にまきこまれてしまう。この普通人といった感じが、読者の共感をあおったに違いない。一方で不良に呼び出された道士郎につきあったり、初対面の女の子の無実を信じて奔走したりと人の好いところが随所にみられ、好感度が高いキャラクターとして描かれている。

「普通のなのに頑張っている」感じがとてもいい。他の西森作品でいえば、『天使な小生意気』に登場する藤木の立ち位置に近いのではないだろうか。『天使な小生意気』では不良で腕っぷしのつよい蘇我や、武術の達人の小林とならんでヒロイン恵の敵に立ち向かい、様々な困難を乗り越えた。藤木の見どころは各所にあり、初めから強い蘇我、小林、恵などと比べると作中最も成長したキャラクターが藤木だったといえる。

「健助殿」は結構早く頭角を現している

藤木の読者人気は高く、作者の西森博之自身も藤木がお気に入りだったのか、連載終了後の外編で藤木をメインにした後日談を執筆している。読者が成長を共感できたと思われる藤木であるが、彼は結局主役にはなれなかった。ヒロイン恵は読者のだれもが予想した通り、蘇我を選んだ。

しかし健助は違う。最終的には『道士郎でござる』のヒロイン白瀬エリカと見事両想いになる(もともと最初からエリカは健助に惹かれている)。さらに作中に登場した不良たちからいつの間にかカリスマ的人望を得たうえ、本職のヤクザを警察に逮捕させるという偉業をやってのけるのである。そんな健助と藤木の違いは何なのだろうか。

出番の早さはともに同じぐらいである。

小坂健助が最初に活躍した高校での盗難事件が大きな分かれ道だと思われる。これはヒロイン、エリカが登場し、健助と近づく重要なエピソードである。健助は(エリカに対する気持ちがあったのだろうが)なりゆきからエリカの無実を晴らす。その後、真犯人に協力した教師を殴ってしまった道士郎、エリカ、前島は自主退学を迫られ、高校を辞める。

このとき健助はなにもしていないからという理由で高校に残ってもいいといわれた。しかし、健助は「僕は彼らの仲間です」と言って、道士郎達についていく。健助は最初に巻き込まれた事件ですでに「一般の生徒」ならやらないふるまいをしているのである。しかも、主体的にである。すでにこの時点でどちらかといえば道士郎の方が巻き込まれたとさえいえる。

一方の藤木は恵に惹かれながら、「普通」ならしない、ということをやらかすまでには結構な時間がかかる。また、何かに立ち向かう時も蘇我や小林についていった結果ということが多い。登場時期は似通っていても、「普通」を脱却した時期がまるでちがう。

どうして健助は主役になれて藤木はなれなかったのか


さらに健助にはこうなりたい、という上昇志向がない。むしろその逆である。道士郎が勝手に健助を「殿」と呼んでいたことから、いつのまにか何かと人望が集まり、リーダーとして期待されながらも常にその役割を降りたいと考えているのである。

健助はいつも道士郎、エリカ、前島に「自分は普通の一般人なんだ」と強調している。ラストシーンでエリカに執着していたヤクザを見事に警察送りにした後でさえそのスタンスを崩さず、エリカのもとから去ろうとする。

普通である(実は全然普通ではないが)ありのままの自分がまわりに認められることを不思議に思いながら、受け入れているところがある。

藤木は違う。彼は自分が普通であることがコンプレックスなのである。普通から脱却し、蘇我や小林に羨望の気持ちを持っている。というのも藤木は恵というヒロインを巡って、蘇我や小林と争うポジションにいるからである。恵はお金持ちのお嬢様であるということもなお、藤木の普通コンプレックスを増長させているはずだ。

エリカも極道育ちということで、健助とは住む世界が違うが、それは藤木が感じるプレッシャーとはまた違うだろう。そして道士郎は超人的すぎて健助の比較対象にはならない(だから比べても落ち込む必要がない)。

藤木の努力は読者にとって共感を呼ぶ一方で時につらさを感じさせる。読者は藤木と自分と重ねることで、現実での優れた人間と自分との差を時に自覚させられてしまうからだ。

逆に健助の活躍はのびのびとしている。それは道士郎と出会うことによってあたりまえの生き方をとびだし、普通である自分を認めながら生きていることの気持ちよさだ。

藤木はある意味で恵に縛られているが、健助は道士郎によって開放されているのである。その開放感がこの物語を大変面白くし、読者にカタルシスを与えてくれる。健助に同調していた読者は、自分もすこし勇気を出せばこのような世界が自分に開かれるのではないかというワクワクした気持ちになれるのだ(これは超人道士郎には無理な役割である)。その役割を果たせたからこそ、健助は『道士郎でござる』の主役になれたのだろう。

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