自分は深夜食堂でなにを注文するのだろうか
配役の魅力
このドラマは、安部夜郎による漫画をドラマ化したものである。漫画が魅力的だと、ドラマでそのイメージを壊さないようにするのは難しいことだと思うが、このドラマの魅力は、その世界観を壊さない、みごとな「配役」にあると感じる。特にマスター役の小林薫がいい。作務衣と前掛けで厨房に立つ後ろ姿、カウンターのテーブルを無心に拭く姿、シャイな笑顔で「いらしゃい」とかける姿。一話簡潔ドラマなので、かならずこれらのシーンが出てくるのだが、このシーンを見ると、ああ、今夜も、深夜食堂を見ているのだな、と思うと同時に、自分が、今夜も深夜食堂にやってきた、と錯覚するような気分になってしまう。いつもあるべきところに、あるべきものがある安心感、そんなマスターの存在感を見事に出している、小林薫の言葉少ないながらの渋い演技が、このドラマの何とのいえないいい味を醸し出しているのである。
また、店にやってくる客の配役もいい。私のお気に入りは、小寿々さんという年配のおかま役、東京乾電池の綾田俊樹。この深夜食堂がゴールデン街にあるという設定がら、新宿2丁目の店が終わるとやってくるオカマ、といった設定なのだろう。見た目はどう見たって、がっつりおっさんなのに、時々、小寿々さんが、愛らしくみえるのは、東京乾電池の俳優たちが持つ怪しい魅力がここで花開いてるといったところか。その小寿々さんが思いを寄せるヤクザ竜ちゃんに、松重豊。この人は、いつも新しい役をやるたび、これがはまり役!と思わせてくれるのだが、このドラマで、サングラスのまま、たこの赤いウインナーを無言で食べる姿を見ると、この人以外、竜ちゃんはないよなぁと思ってしまう。
ゴールデン街と主題歌
このドラマの冒頭に流れる主題歌が、なんともゴールデン街を匂わせるいい味を出している。ゴールデン街というのは、決して明るいだけのエネルギーがある街ではないのだけれど。でも、人生で、切なくなったとき、やりきれなくなったとき、この闇の中にそっといるとなんだかやり過ごせそうな、そんな街ではあると思う。深夜食堂のメニューは特にない。その押し付けがましくないところが、ゴールデン街っぽくていい。
旨いということ
このドラマは、「旨い」と感じるとはどういうことか、ということをしみじみと考えさせてくれるドラマである。そして、人間にとって、味覚を通した記憶、というのがどれだけ深いものであるかと言うことも。
これだけ美味しいものが食べられるような世の中になり、どんなに高級な食材を食べられるようになっても、結局は、人生で一番深い体験をしたときの”あの時のあの味”というものを超える食べ物はないのだと。そして、そこには必ず「愛」があるのだと。
世の中には、グルメ評論家のような人たちが大勢いるが、味覚とは完全な主観である。お母さんのお弁当は、どんなグルメレストランよりおいしいのに、人のうちのお弁当は、おいしい以前に食べる気がしない。それは、旨いとか旨くないをこえて、味覚とはそういうものだからだ。
自分は、深夜食堂で何を頼むのだろうか。それを考える時間は、自分の生きてきた人生をいとおしむいい時間だなと思う。
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