不思議な設定と背景!?
不思議な制作意図
ラジオ番組の制作をすることがテーマで制作された作品なのだと考えられます。
しかし、合理的に考えて、作品の前提部分から不自然な点が気になる部分の作品でした。まず、ラジオ番組のメインパーソナリティに、アンドロイドを持ち出したのでしょうか。視覚の訴求が一切皆無であるラジオという媒体に、アンドロイドを登場させる必然性がないのです。MAICOがアンドロイドではなくても、作品そのものは成立したのではないでしょうか。新人パーソナリティが女性の人間だったとしても、物語本筋には大きな影響を及ぼしません。
むしろ、アンドロイドという設定を活かしたかったのであれば、ラジオ番組ではなく、テレビ番組だったのではないでしょうか。映像がなければ、アンドロイドという設定が活かしきれないのです。本編でも触れられていましたが、音声だけでは、ラジオを聞く方もアンドロイドだと信じられないでしょう。
アンドロイドとラジオ番組という組み合わせが、噛み合っていないと考えられます。
ラジオ番組が前提なのであれば、外見が人型である必然性もありません。音声のみで構成されるラジオ番組において、アンドロイドであることの魅力を100%出しきれません。そういった意味で、本当に不思議な制作意図の作品だと考えさせられます。
主人公が絞り込まれていない
この「アンドロイド・アナ MAICO 2010」という作品の主人公を誰だと思われたでしょうか。
やはり、作品タイトルが示す通り、アンドロイドのMAICOが主人公なのでしょうか。しかし、本編を観る限りでは、ADである伝助や、ディレクターである松つぁんの目線で描かれていた場面が多かったのではないでしょうか。すなわち、誰が主体で、本編が構成されていたのかを考えていくと、MAICOが主人公ではないと考えられるのです。
しかし、伝助や松つぁんにおいても、主体となる場面が行き来しており、どちらも主人公だとも考えられます。しかし、逆に、どちらも主人公ではないとも受け取れます。一般的なアニメ作品と比較しても、当作品は主人公の存在を絞り込まれていない特徴をもっていると考えられます。
やりたい放題の本編
ラジオ番組として、スタッフがやりたい放題で制作しており、リアリティーという面では乏しい内容なのだと考えられます。
パーソナリティが自由に会話しているようにみえるラジオ番組であっても、事前の打合せは綿密にされており、本当の意味では自由ではないと考えられるのです。そして、本番が始まる直前まで、制作スタッフが騒いでいる場面もリアリティーに欠けるのではないでしょうか。ラジオ番組だけに留まらず、仕事の在り様としても明らかに間違っています。
やりたい放題で自由に制作しているように映るのも、事前の打合せを描く場面が皆無だから、といえるのではないでしょうか。
特に、番組で紹介されたリスナーの応募はがきが、制作スタッフにより書かれていたことを暴露してしまったのは痛恨だったように思えます。やる気がないからと、仕事を放棄しているスタッフにも問題は大きいです。本番中であるにも係らず、スタッフの指示に言葉に対して、返事してしまっているMAICOも問題です。さらには、予定していたゲストが来ず、スタッフが替え玉となってゲストを演じていたこともありました。
アンドロイドが登場している時点で、リアリティーはないのかもしれません。
ただ、ラジオ番組を制作していくことを題材にして本編が形成されているのに、描写が過激過ぎてしまったことは否めないのだと考えられます。
死んでしまう登場人物
リアリティーが皆無であることから、当作品をギャグアニメという括りだと考えていました。
しかし、視聴者を驚かせる展開として、スガちゃんが死んでしまいました。ギャグアニメというジャンルで登場人物を死なせる作品を他に知りません。単なるドタバタ騒ぐコメディー作品ではないということの表れだと考えることができます。
登場人物の死を描くとき、そこには必ず制作スタッフの意図・意味が込められます。
それでは、スガちゃんが亡くなったことにどんな意味があったのでしょうか。それは、MIACOというキャラクターを成長させたかったのではないでしょうか。また、MAICOだけではなく、松つぁん、伝助、梅さん、イズミちゃん、カッチンの団結力も強固になったと考えられます。論理的思考が専門分野であるアンドロイドにおいて、人の心を理解するのは容易ではないと考えられるのです。しかし、死というものに直面したとき、MAICOは論理的思考ではなく、強い感情表現をしています。
また、他のスタッフにおいても、ルールを破ってまで、スガちゃんの最後の原稿を、そのままの形でリスナーに届けたいと奮闘します。論理的思考ではなく感情表現が強調され、それによりスタッフの成長や団結力が強くなっているのです。
番組作りにおける情熱
上記のことからいえることは、感情表現を強調することで、番組作りにおける情熱を表現したかったのだと考えられるのです。
だからこそ、アンドロイドのMAICOの存在が異質なものに感じられるのです。しかし、無機質である象徴のアンドロイドという存在に、人間の感情を重ねることで、番組制作における情熱を描きたかったのだとも考えられます。
また、無機質であるアンドロイドからの目線で描くと、合理性や論理的思考を強調する結果になったと考えられるのです。だからこそ、伝助や松つぁんからの目線で、本編が構成されているのだと考えられます。また、主人公を絞り込まないことで、制作スタッフのチームという括りに焦点を当てたかったのではないでしょうか。チームに焦点を当てることで、団結力や結束力を描く内容になると考えられるのです。
やりたい放題であるスタッフも、論理的思考より感情を優先させ、番組作りの土台である情熱という感情を強調したかったのだと考えられます。そして、登場人物が死んでしまうという展開も、論理的思考より感情、情熱を表現したかった表れだと考えられるのです。
以上のことから、この作品が描きたかったもの、表現したかったものとは、番組作りにおける情熱と団結力・結束力だったのだと考えられます。
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