設定の哲学と背景の歴史
ヨーロッパと日本
まずこの小説の作られ方の一つとして、ヨーロッパと日本を対置していることが分かると思います。ヨーロッパがマーヤで、日本が路行をはじめとした友人たちですね。マーヤが「哲学的意味はありますか?」と頻繁に尋ねるのも、ヨーロッパ(キリスト教社会)と日本(あえていうなら日本教のようなもの)の違いにメタ的な意味で興味を持っているということです。これは、日本で小説家や思想家が物事を考えるときには避けては通れない視点であり、戦前の思想家(福沢諭吉など)や戦後の思想家(丸山眞男や吉本隆明)なんかがずっと考え続けてきたことでもあります。ヨーロッパとの違いとそれについてどう考えるかは日本にとっての主題になり続けているのです。
日本観光客としてのマーヤ
マーヤが日本観光をしているシーンは外国人を日本でガイドしたことのある人なら同じような感覚に陥っているはずです。概して、他の国から来た人はこれまで日本に住んできて意味を考えずに当然であると思っていたことに関して疑問を持ち質問してくるものです。
ユーゴスラヴィア
外国からの他者という視点とは別に、この小説には、マーヤの出生地を探るという推理小説的な意味があります。マーヤという名前に関しては、確かにセルビアでもクロアチアでもボスニアでもいる名前です。これらの国では女性の名前がaでおわることが多いので、作者はそこらへんのリサーチはしっかりできているようです。ほかにも、研究しないと分からないユーゴスラヴィア諸国の豆知識が多く出てきます。バルカン地域は意志が強い、頑固な人が多いので、そこらへんもマーヤの性格に反映されていると思います。
ボスニア紛争
ボスニア紛争はユーゴスラヴィアからボスニア・ヘルツェゴビナが独立するかどうかの争点で沸き上がった紛争です。このとき、ボスニア・ヘルツェゴビナにはボシュニャク人のほかにクロアチア人とセルビア人が住んでいました。当初はクロアチア人とボシュニャク人が独立する側としてユーゴスラヴィア軍(セルビア側)に対峙していました。ただ、途中クロアチア人とボシュニャク人の間で武力衝突が起こります。その後、アメリカが介入することでクロアチア人とボシュニャク人の仲をとりもって、最終的にはセルビアを代表するユーゴスラヴィアVS国連・アメリカを代表とする国際社会という構図を作られボスニアは独立することになりました。
国際社会の評価
ボスニア紛争や90年代のバルカン諸国で起きた紛争は、結果として「セルビアが悪」として語られることが多くなりました。日本の大江健三郎やアメリカのリチャード・ローティなど知識人に影響力を持つ人が「セルビア悪玉論」を支持したことも一つの理由です。ただ、アメリカのPR会社が「セルビア人が民族浄化をしている」と戦略的に放送したことも大きいようです。後にも、セルビア人が悪として語られることが多かったので、この作者はマーヤをボスニア出身にしたのかもしれません。
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