東ドイツと言論弾圧
東ドイツとは何だったのか?
舞台は1984年の東ドイツ。ベルリンの壁崩壊が1989年なので、その5年前が本作の舞台です。一般的に1989年のベルリンの壁崩壊、1991年のソヴィエト連邦崩壊を指して、冷戦構造の終結と呼びます。その5年前ということは冷戦構造真っ只中、東ドイツに関していえば社会主義国でした。この社会主義という社会の仕組みは簡単に要約することはできませんが、いくつか悪い点がありました。その一つに、言論の自由がないという点があります。
言論の自由がない国
言論の自由を弾圧する理由は、社会主義を達成するためでした。もともと思想統制が強い社会主義の国では、国民の不満や政府の批判が上がるとそれを権力が弾圧していきました。スターリンの粛清や毛沢東の粛清でたくさんの人が犠牲になったのも、この弾圧の一種であると言われています。東ドイツも言わずもがなこの特徴を備えていました。東ドイツの場合はシュタージと呼ばれる秘密警察があり、彼らの監視のもと「反体制派」の汚名を着せられたものは弾圧されていったのです。主人公のヴィースラーもこのシュタージの一員でした。
党の有力者に逆らえない
もう一つの特徴として、当時の東ドイツが事実上の一党独裁であったことがあげられます。これは、社会主義以外に道がないという前提のもと採用された社会システムです。ただ、この状態では、党の有力者に逆らうことができませんでした。自分の出世のことを考えると上の命令に背くことは絶対にできません。いくら大臣が自身の欲望のためだけに生きていると分かっても、それを告発すると自分の出世がなくなり、ほかの政党が社会主義党にとって代わることもできず、結果として盲目的に上の命令に従うことになるのです。
正しさを信じて
ヴィースラーは結果として、ドライマンを助けることになりました。善き人とは何なのでしょうか。もしも、善き人が「仕事を忠実にこなす人間」なのであれば、ヴィースラーはあんなに悩むことはなかったでしょう。もしも、善き人が「自分の欲望に忠実になる人間」なのであれば、ヴィースラーはドライマンを助けることはなかったでしょう。政治学哲学者のハンナ・アーレントがナチスでユダヤ人を虐殺した人間のことを「悪の凡庸さ」と形容したように、人間はときに非情なまでに残酷に人を殺し、告発し、弾圧することができます。この映画は、凡庸さを乗り越えた善き人が最後にハッピーエンドを迎える話なのです。
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