不完全燃焼の典型的映画
出だしだけ
いよいよ、シャマラン監督も才能がつきたのか、と言われ始めた作品ではあります。始まりは見事です。すごい出だし。自分で自分を傷つける病気(行為)が世界中で流行りだすという、シーンの発端は全くもって怖い世界です。
昔のゾンビを思わせる人々の動き、「やめてくれ、やめてくれ」と心の中で叫んでしまう人々の演技。
最初はいいんですよね。
でも、だんだん、しりすぼみになっていきます。主人公たち家族の探検行のようになっていくのですが、同時に、だんだん怖く無くなっていきます。
いつも醸し出しはいいのですが、「行きそうで行かない」悪い例の代表的な映画です。
納得いかない解決法
何と言っても納得できないのは、解決法です。発端も「風」が原因なのですが、その風についての化学的要因(たとえば、風に含まれるなんとか菌というような新しい成分が人の中枢神経を狂わせて、というような説明も全くありません)ではなく、なんかわかったよなわからないような風の説明。
そして愛があれば乗り切れるという短絡的な発想。
それで解決したからといって、見る人は納得もしないし、感動もしないという、負の連鎖を生む映画の解決方法になっています。それを監督ご本人はわかっているんでしょうか?
どうしてとことんまで行かない?
いつも思うのですが、この監督は映画が単なるホラーになることをとても嫌っているというか恐れているというか、注意しているというか、そこに全神経が注がれているような気がします。「こわがらしたいけど、本当はこわいものではない」というオチにしたいのかもしれませんが、腑の落ちどころが、最悪の場合、「じゃあ何映画?怖くもないし、おもしろくもないし」という評価を生むだけになってしまいます。
いっそ、とこどんまで行ったらいったいどういう映画になるのか、逆に興味をそそります。そういう意味で割と「行った」作品としては「サイン」が挙げられますが、これは多少、うそっぽかったですね。おもちゃっぽかったというか。でもこの作品よりはよっぽどましです。
とにかく、出だしがとても怖くて素晴らしいだけでにもったいなくてしょうがないです。ある意味、シャマラン監督はアイディアメーカーなのかもしれませんが、ハッピーエンドというか、家族とかいうものをあまりに幼稚に信じすぎている気がします。もっと、悪い人視点で映画を作るべきではないかとつくづく思います。人が良すぎるということかな。
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