カッコウのような人間と、卵に涙を流す人間 - 不思議な羅針盤の感想

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不思議な羅針盤

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カッコウのような人間と、卵に涙を流す人間

4.04.0
文章力
4.0
ストーリー
3.0
キャラクター
4.0
設定
3.5
演出
3.0

目次

登場人物をリアルに書ける理由

作者の「西の魔女が死んだ」は、主人公のまいがいじめられて学校を休み、祖母の家で過ごす話だ。そんな作品を書いたせいか、作者は人に会うと「昔いじめられたの?」と言われるらしい。作者にそういう経験がないに関わらずだ。が、読者には作者の実体験に基づいて描かれたもののように思えたのだろう。案外、こういうことは珍しいように思う。小説を読んでいて、登場人物に対し、違和感があったり、引っかかったりすることがある。個人的には男性作家の描く女性に感じやすく、あとは高齢の作家が若者を描くのも、結構きついところがあるように思う。その点、この作者もお年を召しているが、「珊瑚と雪と」の主人公の、三十ほど年下の女性の描き方は、作者も同年代なのかなと、思わせるほどだった。どうして、年齢も立場も、生まれ育ちも全然違う人間の、ものの考えた方やとらえ方、また生活ぶり、日常的な言動などを、こと細やかに想像できるのか。その答えを、このエッセイに見つけた気がする。

現実だと思っているのが妄想の世界かもしれない

このエッセイを読んで思ったことは、思ったより人は人のことを、もしくは自分で自分のことも見えていないのかな、ということだ。たとえば、町など、不特定多数の見知らぬ人々が行きかう場所など、人は多少緊張気味で表情に乏しく自分に世界に入っていると、作者はいう。不特定多数の放つすさまじい情報量から自分を守るためで、いちいいちキャッチしてしまったら、疲れてしまう。キャッチしてしまうそれを、作者は人が放つ「何か」と言っているが、具体的には、人の不機嫌そうな顔だったり、いらついているような仕草だったりを見て不快になる、もしくは、目があって一瞬嫌な顔をされた、目をそらされた、すれ違うときに避けるようにされた、といった相手の反応に傷つくといったことではないかと思う。そう考えると、確かに視界いっぱいの人に対し、そんな不快さや胸の痛みを覚えていたら、やっていられないので、見ないようにする気づかないようにするというのは、分かる。ただ、少数の人がいる場、見知った人と二人きり、なんて状況でも、変わらず自分の世界に入っていて、周りが見えていない人がいる。
周りが見えていないというか、実質、人の目や顔を見ないという人は、意外に多い。急に背後から話しかけて、こちらが振りかえる間もなく「まあいいや」と去ってしまうとか、話しかけた相手に、話半ばで「あーはいはい」と顔を背けられてしまうとか。おそらくどちらも経験をした覚えのある人は多く、日常茶飯事にも思えるとはいえ、やられたほうは、なんだか後味が悪い。その人にとって、自分がいても、いなくてもいいように思えるからだ。言い方を変えると、同じ人間だと思われていないというか。相手にすれば、同じ人間だと思うと、都合が悪いのだろう。自分が同じようにそっけなくされたら、もちろん傷つく。相手も同じ人間なら、同様に傷つくかもしれないと考えるわけで、普通は同じ目にあわせたくないと思うから、下手なことはできない。だから、相手を感情も魂もない、人形のように見なして、自分がひどい仕打をしても、人形なので大丈夫だと思いたがる。でも、顔や目を見てしまうと、どうしても相手も人間だと気づかされるから、まともに向き合うのを、避けるわけだ。見ないだけで済まされるかと思うが、証明するようなこんな話がある。
英国ドラマの話だ。米国のコメディアンが、イラク人を差別したトークショーをしたことで、殺される。イラク戦争があったころで、米国は世界の非難の的になっていたから、反感をもたれるのは当たり前だ。なのに、殺された彼の母親は、なぜ息子が殺されたか理解できないようなことを言う。その後、殺人犯が二人目を手にかけようとしたとき、そんな母親を含めた米国人に対し告げる。「遠い空の上からだったら爆弾を落として殺せる。洋上の艦からだったら、いくらでも発射できる。しかし、お前らはこうして目と目が合うと駄目なんだ。人間愛が突然湧いてくるんだ。アメリカ人というのは、臆病者で偽善者だ」
爆弾をくくりつけられた相手を目の前にして、起爆スイッチを押すことができる人は、あまりいないと思う。だから、相手の姿が見えないようにしてスイッチを押すわけだが、どうにしたにしろ相手が死ぬのには変わりがない。そのくせ、見えないようにすれば、責任や罪悪感を背負わなくていいように思えるのだ。起爆スイッチを押す人は、人を殺すのが平気なわけでなく、平気でないからこそ、相手が人間だと実感しないで済むようにする。殺人犯が言うとおり、目と目が合うと、やはり駄目なのだろう。
人は生きている以上、人を傷つけないことはないとは思う。殺すまでいかなくても、時に人に冷たくしたり邪険にしたりするし、そのせいで相手が怒ったり悲しむのを見るのは、辛い。辛くなるのを避けて、相手を見ないようにしがちなわけで、かといって、そうして自分だけが人間で、他の人を人形と思いこむのは、現実でなく妄想の世界で生きているということになる。作者は、他の人も同じ人間ときちんと認識して、現実の世界に生きているのだろう。現実と向きあうだけ辛い思いをすると思われるので、これまで相当傷を負ってきたはずだ。その代償があって生身に近い人間を描けるわけで、ただ、作者のように創造できる人が限られていることから考えるに、思いのほか、世の中には妄想の世界で生きている人が多い可能性がある。そんなに簡単に目の前の現実を無視できるとは思えないが、逆に反射的に無視して、無視しないようにするほうが難しいのかもしれない。

落とした卵に悪く思いながら生きていく人間

作者が百貨店に行ったときのこと。受付の人に声をかけようとしたものを、二人とも客の相手をしていた。が、うち一人は、印をつけた地図を持ったまま、携帯電話で話しこんでいる男性客を待っているようだった。その男性客は中々話し終えようとしない。ので、先に応対してもらおうと、受け付けの人に近づいたら、男性客は話しながらも、その行く手を阻むように作者のほうににじり寄ってきた。すると、他にも待っている客がいて、男性客が移動したことで受け付けの人との間に壁がなくなり、近づこうとした。作者のほうに立ちふさがっていては、そちらを阻止しにいくことはできずに、電話を切った男性客は怒ったように店を出ていく。そして受け付けの人が後を追ってきたのに、ご満悦そうだったというのだ。
彼がにじり寄ってきたときの様子は、カッコウのひな鳥に似ていたらしい。カッコウは他の鳥の巣に自分の卵を産みつける。そして孵ったひな鳥は、もともとある卵を落としてしまう、というのは有名な話だ。残酷とはいえ、他の卵に可哀想とか、申し訳ないとか思ったら、自分は生き残れない。そうやって、人を含めた動物は、相手の生きたい思いを、感じないようにして、命を奪う。それは生きるために必要なこと、本能的なことなのだ。はずが、人間は、おそらくカッコウと同じ立場になったとして、卵を落とせないか、落とせたとしても、後悔の念や罪悪感を抱くものと思っている。だから、待ちぼうけの受け付けの人や、他の客がまるで見えてないように、ふるまっていた困った客、カッコウのようなことを平気でする人間に、呆れるし憤りを覚える。人と動物とは違うと思いたいからだろう。ので、所詮人も動物とばかり、本能のままふるまうような人の一面を、あまり見たくないのかもしれない。
それは、カッコウのような困った客も思うところにちがいない。多分、自分がしたのと同じことをやられたら、彼は憤慨する。ということは、自分の動物的な一面も、好ましくは思えないはずだ。もし、すこしでも改善したいと思うのなら、受け付けの人の困った顔や、他の客が迷惑がっている様子を、無視したくなるのを堪えて、直視する。周りが嫌そうにしてるのに気づけば、ショックを受けるとはいえ、だからこそ、大きな顔はできなくなるだろう。
現実を無視しつづけて、死ぬまで傷つきたくないのなら、それでもいいのかもしれない。でも、個人的には、作者の作品を読んでいると、自分や人のことを知っているのが、羨ましく、自分も知りたいと思う。折角、動物でなく人間に生まれて、本能にある程度抵抗できる能力を持っているのだから、傷つきながらも、良くも悪くもある現実を見ないと、もったいないのではないかと思うのだった。

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