インドを旅する心
インドという国の魔法
この監督は、多分とても旅行者として外国人として、インドを愛している。
私もインドを何度か旅行した事があるが、この映画の主人公の三兄弟には、とてもシンパシーを感じた。
メイキングでこの映画のセット、列車の車両を手作りしている裏方が紹介されていたが、本当に手仕事が細やかで監督のインドの伝統工芸への愛が感じられる。
この映画は、インド好き同士なら「そうだよね!そこがいいんだよね!」と手を取って喜びあえる、そんな映画だ。
洋服を身にまとい、物質主義から始まって…
最初は兄弟は全員洋服を身にまとっている。
母親に会うという目的だけで、来たくもないインドにやってきて、高価なiPodドックやヴィトンの靴、かばんを大事に持ってやってくる。
そう、最初インドに到着したあたりでは、まだカメラが大事、靴やかばんは高いお金を出して揃えた自慢の品、いつでも思い通りの音楽を聴いて旅の気分を盛り上げたい、それでおしゃれでかわいいお土産でもたくさん買えたらいいななんて大抵の旅行初心者はそんな気持ちでいるのだ。
それでもインドとは、なぜか目論みが全て思うように行かないように出来ている。
見たかった史跡は前触れもなく工事中、泊まるホテルはネットで見たきれいな写真とは雲泥の差、買いたかった列車のチケットは満員、でもうちの旅行社だったらチケットは確保してあるから、うちの提携のホテルに泊まるなら特別に列車チケットを売ってやる。だから金払えよ。
そんな事ばかりが起こって、何もかもが思い通りに行かず、ぼったくられ、どうしてこんな所に来ちゃったんだろう帰りたいと宿の汚いベッドで涙する事になるのだ。
最後は何故か自然とスピリチュアル
それでもそのうち、思い通りに行かないなら行かないなりの行動をとれるようになる。
慣れてくると、人の顔をじろじろ見てくる日焼けした人たちは、見た目こそ怖いけどよくよく話してみると親切で気さくでお調子者の愛くるしい人々というのがわかってくる。
この映画の中でも、最初はインド大嫌いだった三兄弟は、どうしても乗らなければならない列車に高価なかばんを置き去りにして身ひとつで飛び乗る。
途中でiPodは壊れる。
旅の途中で、だんだん先進国で手に入れた自慢の品の価値が薄れてどうでもよい物に変わってゆく。
実は自分が大事にしていたものは、生きて行く為には大して必要のない物だという事に気付くのだ。
そして中盤のクライマックス、増水した川の事故で怪我をしてまで子どもを助ける。
いや、子どもは結局助からないのだが、行かなきゃいけない場所もあって助けたって一文の得にもならない事を、インド人の為に骨を折ってする。
村まで子どもを送り届け、そして葬儀に参列する事を許される。
その時の兄弟の服装はもうインドの伝統衣装に変わっており、村では完全に「観光客」ではなく「大事な客人」としての扱いを受ける。
三人でバイクに乗って疾走するシーンは、今まで大事だと思っていた事に価値がないと気付き、本当に大事なものはなにかという答えにたどり着けた三兄弟の心の晴れがましさが見事に表現されている。
そして中盤では「やってらんねえよ」と投げ出された三人で力を合わせて祈るおまじないが、ラストでは気合いたっぷりに遂行される。
そう、インドに着いたばかりの時は「あれが買いたい」「あれを食べたい」「あそこの高級ホテルに行ってみたい」とそんな物欲ばかりだが、インドを旅し続けるうちに何故か次第に「あの人にもう一度会いに行きたい」「周りの人にちゃんと感謝したい」「この場所にもう一度戻ってこられますように」とどんどん願いがシンプルになっていく。
便利すぎる文明社会にいると人の力を借りずに全ての事が出来るから、人に感謝するというとてもシンプルな気持ちを忘れてしまうのだ。
この映画の監督も、多分インドに行ってそんな事を感じたのではないだろうか。
序盤の父親の死、中盤の川の事故での子どもの死とこの映画には二つの死が登場するが、最後に兄弟の1人に子どもが生まれて、失われた命は新しい命につながっていく。
この「輪廻転生」の概念は東洋人の私たちにはとてもなじみ深い当たり前の事だが、西洋人にとっては異質な考え。
やっぱり「死んじゃったけどまた会えるよね」という思想は、時に西洋人から見たらうらやましく映るものなのかもしれない。
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