何度見ても、大人が見てもあきないアニメ
倉田サナという女の子
私がこのアニメを見たのは小学校1年生のときでした。その時はなんとなく見ていた程度でしたが、こどものおもちゃはリボンで連載されていた漫画だったので、それを見返しているとアニメを見たくなり、小学校高学年の時にもう一度見ました。幼い頃には感じなかった様ざまな見方ができました。主人公である倉田サナ。私がちょうどアニメを見返した時は彼女と同じ年齢でした。そんなこともあってか私は倉田サナに強い憧れをもちました。彼女のひたむきな明るさ、そしてギャグセンス、アクティブな行動力。彼女は私の中で本当に輝いてみえました。そしてそんな彼女の中にたまに見せる弱さ。これがその時、小学校の私からしてみると、かっこいいものでした。弱さを隠すのは大人になっては当たり前のことですが、小学生からしてみればどうして隠すの、と思いながらも大人なような気がしていたのです。彼女の周りを気遣って自分の弱さや辛さは後回しにするという本当のかっこよさはその時の私は知らなかったと思います。今になっても倉田サナは私の憧れとして強く残っています。そして物語は小学校6年生から中学校へ進学します。私は中学入学と同時に転校をしました。その時、どうしたら友人ができるだろうかと悩んでいたとき、母がその時夢中だったこどものおもちゃを例にあげて、サナちゃんみたいにありのまま楽しんでいれば、きっと友だちができると言ってもらいました。そしてそれは本当でたくさんの友人ができました。
色々な恋愛模様
そしてこのアニメの重要なポイントはサナと羽山の恋愛模様です。なかなか自分の気持ちをサナに気付いてもらえない羽山は中学に入学し幼なじみの風花と再会し、彼女と付き合ってしまいます。そしてそれを知ったサナは初めて羽山のことが好きだと気付くのです。
1番近くで自分を支えてくれた人は、どうしても1番失いたくない存在です。だから下手に恋愛をして嫌いになってしまったり、関係が終わりたくない、そう思うと対象から外してしまう。大人になるとそんな駆け引きが当たり前になってしまいます。けれどサナはきっとそういう感情を抜きにして男としてではなく人としても羽山を認めていて、そして男性としても好きだったのだと気付いたのだと感じました。そして恋愛面でいうと風花は羽山がサナを好きなことを知っていた、けれどそれでも羽山を好きになってしまうのです。風花の気持ちを軸に物語を見ていくと違った目線でより切なくみることができます。
親子の愛
恋愛だけではなく、家族についても考えさせられるアニメです。サナの母である実紗子は実の母親ではありませんでした。実の母親を見つけるためにサナを芸能界へ入れたのです。それだけを考えるとなんてひどいのだと思ってしまいますが、このお話の最後に母がサナへ言うのです。サナは私の子だよと。それをはっきりさせるために実の母を捜したのでした。親子は血が繋がっているから親子ではないのです。子どものことを愛しているかどうかなのだと思いました。愛していると伝えることは照れくさいけれど、毎日の積み重ねの中にある愛を見つけ、自分は愛されているのだなと実感しなくてはいけないと感じました。今見てもこのアニメは感動し、考えさせられる場面が数多くあります。また繰り返し見たい作品です。
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