世界が意味するものはなにか
女のイメージ
この映画は主に3人の登場人物で構成されており、ロシア人作家アンドレイとその助手兼通訳の女性エウジェニア、そしてこの二人が旅先で出会った男ドメニコである。
男性2人、女性1人でストーリーは進んでいくが、映画の中で女性のイメージがあちこちに散りばめられる。まずは冒頭で訪れた教会で多くの修道女が祈りを捧げるシーンでは女性の存在についての象徴的なセリフがあったり、アンドレが見る故郷の夢にも女性が現れる。またドメニコの住処である廃墟にはどこからか水が溢れ出している。
「水」は「女」の象徴とされることからここでも男性二人のシーンだが、なにかしらのメタファーを感じられる。またこれ以外にも温泉のシーンなど「水」は多く多用される。
冒頭の修道女やゆるぎない「水」からは「女の強さ」を感じるが、それでいて映画の途中アンドレが自分に何の関心もないことに傷ついたエウジェニアがアンドレの元を去るシーンなどからは、「女の傷つきやすさ」「弱さ」「奔放さ」などが感じられる
ドメニコという男
登場人物の中で最も異彩を放っているのがドメニコである。過去に「もうすぐ世界の終末が訪れる」と信じ込み、家族を7年にわたって幽閉しとことから周囲には狂人扱いされている。この男は未だにその過去を正当化しているように見える。幽閉していた家族が解放された時、子どもが発した「これが世界なの?」という言葉が耳に残る。それは「一体、世界とは何なのか?」と私たちに問いかけられているような台詞である。
そしてアンドレイに「世界を救済する唯一の方法」を指示し、自身は演説後に自殺する。私は今までに何度か映画の中で自殺が行われるものを見てきたが、久しぶりに自殺が単なる自殺ではなく意味のあるものとして描かれている映画に出会った気がした。この時ドメニコは世界の救済をアンドレイに指示し、自分は民衆に向かい「生きることと世界の意味」を説き役目を終え自身で命を絶つ。
「信仰」「世界」「役割」
「信仰」とはその名の通り信じなければ何もはじまらず、存在もしない。
冒頭の教会のシーンでなぜ祈りを捧げるのは女だけなのか?という問いがあるが、受胎という神秘が女に信仰をもたらす。
ドメニコは狂人ではなく、ただ本当に「世界」を捉えようとしていた。だが捉えきれない「世界」に恐怖を感じ、遂には愛する家族を幽閉してしまったのではないだろうか。だが子どもが発した「これが世界なの?」という言葉に気づきがある。
「世界」もまた見ようとしなければ何もはじまらず、存在もしない。
そしてアンドレイに任された世界の救済という役割。
最初アンドレイはドメニコにこれを指示された時、アンドレイはこの役割を重要視しなかった。つまり彼の言葉を信じていなかった。しかし心にこの「役割」が残り続け、遂にはドメニコに「役割」がしっかりなされたか?と問われた時に、それは実行に移される。
つまり「役割」も果たすべきものが、その役割を果たす意味を信じなければ本当には果たされず、奇跡は起こらない。
ある意味でこの物語は哲学的だといえる。
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