俗世的な作品
この作品は、最初の数ページで桜庭さんの作品「私の男」を彷彿とさせる。若い女と中年男性の情事。
もしかしてまた同じパターンなのか、と少し疑問に思う。
しかし読み進めていくうちにその疑問はあっけなく打ち砕かれることになる。「私の男」は父親と娘の激しい愛であったのに対し、この作品には愛情というものが明示されていない。
確かに、砂漠の存在は解にとって「必要」であった。しかしそれは花と淳吾のような、お互い求め合う関係では決してない。それは自分の欲求を満たし、あるいは自分の孤独を癒すという利己的な目的であった。
砂漠は様々な金融会社から借金をして、遂には闇金にまで手を染めていた。「私の男」はドロドロした禁断の愛でありながらそこに共存する絶対的で孤高の愛があるが、この作品は「カネ」などといった俗世的で誰もが経験する身近なドロドロが支配している。
そのため、「私の男」と全体的な設定が似ているものの、この作品は誰しもが少なからず身に覚えがあるため、読んでいて息苦しくなるような感覚を味わうのである。
解は結局何を求めていたのだろうか。
大金持ちの妻と結婚したところで本物の愛は見出せずに居る。そんな解は妻の資金に頼らずに自立したいと考えている一方、心理的に誰かに依存して満たされたいと考えている。解はそうした二律背反な感情を持ち合わせる矛盾した存在だと思った。
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