全ての娘たちへ
天才萩尾望都が母娘関係の本質を描くとこうなる
これを読んで何も感じない女性は果たしているだろうか?
毒親という言葉がネットスラングではなく一般に浸透し、ワイドショーや雑誌でも母娘関係の葛藤が取り沙汰されるようになった昨今、自身の育った家庭環境の問題を自覚している人は読んですぐに涙腺を直撃され涙が止まらないだろうし、いわゆる友達親子を自認し、お母さんにはなんでも話せる!お母さん大好き!(そしてそんな自分が大好き!)な人でさえ、読了後何かしらの居心地の悪さを感じるだろうと思う。
男性の場合、『イグアナの娘』を読ませても、恐らく女性よりは遥かに淡白な反応が返ってくることが多いだろう。
余りにも生々しいこの作品の母娘像は、母娘問題の当事者にはなり得ない男性からすると、人ごとのように感じるかうっすらと嫌悪感を感じるかに大別されるように思う。
しかしもし男性でこの作品を真っ向から受け止める気があるならば、此れ程母娘関係を、ひいては女性という存在の本質を理解する手助けとなる作品はないと思う。
結婚を控えている男性やこれから子供が生まれ、父親になる方には是非一読をお勧めしたい。
イグアナの娘・リカにかけた母の呪い
主人公の母は長女・リカが醜いイグアナにしか見えず、リカをどうしても愛せない。
ママ、ママと寄ってこられても気持ち悪いだけで抱きしめる事などとても出来ず、触らないでと冷酷に言い放ち主人公の心を踏みにじる。
冷たい態度を周囲から咎められても、事実イグアナにしか見えないのだから優しくしようがない。母親も苦しみ、娘も苦しむ。
しかし母の苦しみは、愛らしい人間の赤ちゃんの次女・マミを産んだ日から一変し、夢だった娘との甘い生活に酔いしれる。
愛らしいワンピースを着せ、お菓子作りを2人で楽しみ、マミを溺愛する。母の目にリカは映らない。
この辺りの、リカを踏みにじり続ける母の描写は嫌になる位ディテールが細かく、容赦無い。
リカの容姿を本人や知人の前で平気でけなし、マミを褒める母。
リカが褒められたくて勉強を頑張りテストで良い点を取っても決して褒めず、何故100点じゃないんだと粗探しをする母。
母の日のプレゼントを一生懸命考え、喜んでほしくてもじもじしながら渡すが、こんなものいらないと投げ捨てる母。
圧倒的なリアリティーで読みながらリカがかわいそうで胸が苦しくなる。
この母はリカを殴ったり蹴ったり、身体的な暴力を振るっているわけでは無い。
だが、リカを決して褒めず、認めず、笑いかけも抱きしめもしないで否定し続け、愛情を欲してやまない娘の前でこれ見よがしにもう一人の娘に笑い、語りかけ、抱きしめる。
これがどれだけリカの心をズタズタに傷つけ、健全な自尊心を奪うのか、読んでいくうちに素直で普通の少女だったリカが、自分に全く自信が持てず、成長しても周囲との付き合いもギクシャクとしてかみ合わなくなっていくのを悲しく感じながら、物語は進む。
さて、成長したリカは当然の帰結として自分に全く自信が持てず、自分の容姿も醜いイグアナとしか思えない女性に育つ。
現実のリカは容姿端麗、学業優秀という人物なのだが、低い自己認識は彼女を縛り、本来のポテンシャルを発揮出来ず、交友関係から異性との交際、結婚後の育児に至るまで彼女を縛り続けるのだ。
その様はもはや呪いである。
その呪いの原因はただ一つ、母親に愛されなかったという事実だけなのだ。
しかしこの事実はあまりにも重い。
最後の名文に涙腺崩壊
主人公は出産後、自分の子への愛情に不安を感じ、夫に泣きながら「子供を可愛いと思えない」と訴えたりするが大らかな性格の夫は主人公を暖かく支えてくれる。
そして突然訪れる母の死。
葬儀の日に見た母の姿は、生前の美しい姿ではなく、自分そっくりのイグアナだった。
この辺り、作者は詳細をあえて明かさない。
母にだけリカがイグアナに見えた理由、母の死後初めてリカにも母の姿がイグアナに見えた理由。
多くは読者の想像に委ねられ、物語はラストのあまりにも美しい名シーンへと続く。
夫と子供と3人で公園を歩くリカ、子供を抱きしめながら、胸に去来する母への新たな思い。
リカは語りかける。
お母さん
私を愛せず苦しかったでしょ
愛せなくて苦しかったでしょ
あたしもまた苦しかった
母に好かれたくてでも嫌われて
母を愛したくてでも愛せなくて
最後に含蓄に富んだ示唆がある。
作中でリカは産まれた時からずっとイグアナとして描かれ、結婚しても夫や子供は人間の姿だがリカだけはイグアナのままなのだ。
しかし、最後の一コマ、木漏れ日の中で歩く3人のシルエット、そこに描かれるリカはイグアナではない。
そこには女性がいる。
腰をかがめ、歩き出した我が子の手を取るショートカットの女性。
作中で初めて、リカが人間の姿で描かれる。
そして、そこに重ねられる一文…
どこかに
母の涙が凝っている
『イグアナの娘』を読み終えた時、短編の読み切りの漫画であるにも関わらず、大河ドラマや長時間映画を見たときのような余韻が残りしばし呆然とした。
完璧な構成、突出して秀逸なエピソードやセリフ、比喩ではなく本物のイグアナの
姿の主人公という唐突な設定でありながら作品を貫く圧倒的なリアリティー。
全ての娘たち、全ての娘だった母達に読んでほしい珠玉の作品だ。
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