もう1人の主人公マミ
なぜマミのエピソードを入れたの?
「イグアナの娘」は約50ページの短編。作中では、主人公のリカが産まれて結婚し、子どもができるまでの割と長いスパンの時間が流れる。
加えて、この作品は娘を愛せない母ゆり子と母に愛してもらえない娘リカの苦悩がテーマになっている。また、作者も母親にスポイルされて育ってきた経験があり、内なる母から解放されるためにこの作品は作られたと言われている。
きっと作者は、エピソードを厳選してこの話を書いただろう。50ページしかないのだから、全てゆり子やリカにとって大事なシーンとなっているはず。
しかし、そうした貴重なはずの1ページがリカではなく、スポイルされていないマミの為に使われている。そのページとは、マミが彼氏を家に連れてきた時に、彼氏がリカのことを「美人な上に頭がいいんだ」と褒め、マミが「うそォ」と反応する。そして、場面転換して学校の進路相談で、マミは自分の学力ではH橋大学に入れないと言われ、ショックを受けるシーンのことである。
このシーンをきっかけに、マミはリカへの見方を変える。リカにとってはありがたいエピソードなのかもしれない。でも、テーマを踏まえて読んでみると、本当に必要なシーンとは思えない。
テーマを考えたら、母娘の確執をもっと強調すべきでは?
ゆり子とリカの苦悩がメインと言われているが、苦悩がはっきりと描かれているのはリカの幼少期のみ。リカの中学校時代に関しては何も描かれてない。高校時代はリカは自分をブスだと思い込んでいて、ゆり子からの呪縛はかろうじて感じられるが、ゆり子の苦悩など全く読み取れない。
中学・高校時代は親の価値観以外の価値観にも触れ、自立心が芽生えてくる時期じゃない?IQの高いリカのことだから、当然ゆり子の決めつけに疑問を持ち、自立しようとすると思う。ゆり子は、そうさせまいと一層支配力を高めようとするだろう。リカをもっと否定するかもしれない。
マミのリカへの見方が変わるシーンよりも、中高時代のゆり子とリカの確執シーンを入れたほうが、ラストのシーンが生きてくると思う。現状の話の流れを読む限り、リカは自分がイグアナに見えることを受け入れており、あまり母娘の確執に苦しんでいるようには思えない。
スポイルされていたのは、リカだけではないから
自身もスポイルされた経験を持つ作者が、ゆり子とリカの関係の変化の重要性に気づかないとは思えない。だから、筆者にとってマミのシーンは必要だったのだろう。それは、なぜ?
確執があったのは、ゆり子とリカだけではなかったから。マミもある意味スポイルされた子どもなのだ。だから、筆者はマミも救済する必要があった。
リカへの見方が変わるということは、母の価値観に疑問を持つということ。つまり、マミがゆり子から自立しようとするということだ。現にその後のシーンでは、ゆり子に意見するマミが見られる。
だから、リカにとってはあまり意味のないマミのシーンに、作者は1ページも費やしたのだ。マミも「イグアナの娘」、つまり主人公だったのである。
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