芥川賞だけどなにも残らない作品
他人の日記を読んでいるようで、
芥川賞という分類は間違ってはいないと思うのですが、純粋に文学を追求して、人間の深層心理に近づこうとしていた芥川作品と比べるといささか幼稚で、作品自体が優れているかと問われると、いろいろな不純物を抱えている作品だなあと感想を持ちました。西村先生は私小説が主流の作家さんで、こんな人生を歩んで芥川賞作家にまで昇りつめたのか、とその数奇な生き方に、波乱万丈さにはあっぱれします。昔は先生のように日雇いで食いつないでいた方が多かったのか、私が世間知らずなだけなのか、きっと両方なのですが、こうやって必死に生きている人もいる、という新たな発見をしたことで、安穏と暮らす自分の平凡さが少し恥ずかしくなりました。日雇いながら真面目に働き、こつこつと経験を積むことで主人公もあたたかなご飯を食べるまでになるのですが、自分の人生を卑屈に考え、どうせ俺なんか、という気持ちからやる気が失せてしまいます。もう何してるの?とラストで少しイライラさせられました。きっと主人公が普通の波風立たない人生を歩み始めたら、この作品は決して芥川賞を獲らなかったことでしょう。でも、面識ない他人の日記を読んでいるようで、感動も何も残るものはありませんでした。読後感はほとんど無、ですね。強く衝撃を受けたという内容ではありませんでした。
惰性
全てにおいてその時だけ良ければいいという、主人公はその日暮らしで後先を考えていません。お金がないのに風俗へ行ったり酒を飲んだり、そんな生活を送る主人公の精神力は単純に凄いと思いますが、すべてが刹那的で読んでいて鬱々とした気分になりました。いつでもやる気に満ち溢れているような他人に誇れる人間ではないですが、独り身だった頃もここまで自分を痛めつけるような生き方は、誘惑こそ感じましたが、引きずり込まれるようなことはありませんでした。一歩踏み込む勇気もありませんし、いつかしっぺ返しがくるだろうという本当にくるかもわからない不幸が恐ろしかったからです。けれど、主人公はその不幸が全く怖くないのでしょう。むしろ、不幸の中にいるからこそ有効的な生き方を主人公なりに見出したようにも思います。別次元に存在する彼を本気で理解するには、同じ目線に立たないと無理でしょう。身に降りかかる出来事全てに納得できるだけの器があるかどうか、いや、その現実に起こりえた理解できないほどの不幸を見ないための誤魔化しか。私はその世界に自ら触れることはきっとこの先ないでしょう。勇気が欠片もないですし、その世界に魅力も感じません。何かがぷつりと切れて自分の肉体と精神の区別がはっきりとしたら、きっと主人公のような人生も屁でもないと生きていくのだと思います。けれど、それも自分の足元ばかりを見つめた惰性でしかないとも思うのです。努力がかっこ悪いとか失敗がダサいとか、無駄なプライドや諦めで主人公は縛られているなあ、勿体無いなあと薄っすら思いました。
温かいご飯は急速に冷める
やっと手に入れた優遇を見事なまでに蹴り飛ばします。今まで本能を抑えられなかった小さな理性が顔を出して、欲を丸め込んでどんどんと成長していたのに、それを蹴破るくだらない嫉妬心のおかげでその日暮らし生活が再び始まります。こうして再び底辺に落ちた主人公はいったい何がしたいんだと純粋に思いました。本音は普通の暮らしなのでしょうが、中卒ですし、満足に働くことも難しい厳しい条件を背負った主人公は未来がありません。描かないように強烈な拒絶が自堕落な生活となって現れています。夢を見れば見るほど自分の立っている場所の劣悪さが浮き彫りになり、生きていることが阿呆らしくなるのでしょう。ようは努力しても実らないと自分に見切りをつけているんだなと。できる努力を自ら放棄して他人が羨ましいだなんて、幼稚だと思いました。やっぱりイライラしてしまいますね。この主人公のダメ男っぷりには腹が立って仕方がないです。主人公は温かいご飯を食べられて嬉しくて、冷や飯の弁当を食べている日雇いたちを見て優越感に浸ります。このまま真面目に実直に仕事をしていけば、その温かいご飯を継続して食べられたのに、それを捨てます。そして感情が乏しい。
しかし、この苦役列車の解説を石原慎太郎先生がされていまして、絶賛されているのです。実にしたたかで太い人物だと仰っているのですが、それは私も思いました。"したたか"という言葉は的確で、自分の生い立ちが材料になり、その変わった人生を歩んできた彼は自分の不幸をもネタにする。そしてウケる。不幸ながらに不幸を楽しんでコケにして、富を得ている彼の才能は、平穏な生活と引き換えに与えられたんだなと思いました。あまりにも不憫で見ていられないと神様が授けたのか、いや、彼はきっと勉強も仕事も熱を帯びればきっと本物にしてしまえる力を持っているんでしょう。西村先生のような人生を歩みたくはないですが、やはり、平凡な自分にない鈍く光る才能は羨ましいと思います。- あなたも感想を書いてみませんか?
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