愛と希望がちりばめられた、魔法みたいな物語
目次
冒頭の『Fiasco(大失敗)』と『I'm fine.(大丈夫)』を最後まであたためる!
映画が始まり、まず冒頭に主人公ドリュー(オーランド・ブルーム)が連発する言葉、「Fiasco(大失敗)」と「I'm fine.(大丈夫)」。
この言葉は否が応でも観客側の心にグイグイ入ってくる言葉ですよね。
映画が始まっていきなりの大失敗物語、その大失敗について「I'm fine.(大丈夫)」とやせ我慢するドリューがとっても痛々しいです。
しかしこの「I'm fine.(大丈夫)」を連発する冒頭のシーン、本当にただただドリューの失敗とやせ我慢だけに焦点をあてただけのシーンと言えるでしょうか。
誰かに何かを言われる前にドリューは先に「I'm fine.」と答えています。それはつまり、「あなた大丈夫なの!?こんな失敗しちゃって!本当に御気の毒!」という言葉を制して先回りしての発言なのですが、この「I'm fine.」には映画全体に通ずる特別な意味があるのです。
「I'm fine.」つまり、「大丈夫」。これにはたくさんの意味がありますよね。その真意は本人の気持ち次第。
ご存知の通り、この物語は人生最悪の時(Fiasco)を迎えたドリューが、父親の死と思い出と向き合い、またクレア(キルスティン・ダンスト)という不思議な女性と出会う事で、立ち直っていく物語です。
最初に使われていたネガティブな「I'm fine」は、物語の最後には、最高にポジティブな「I'm fine.」に変わっていきます。
これからポジティブな「I'm fine」に変わっていくんだ!という希望を示唆する冒頭の「I'm fine.」。
そう思うと、最初のドリューのやせ我慢の「I'm fine.」は何だかとっても滑稽で、面白くさえ感じられます。
つまり私達の人生だって、「Fiasco(大失敗)」しようが、いくら損失を出そうが、気持ち次第でポジティブな「I'm fine.」に変える事が出来るのです!
私はこの物語を見る度に、最後には最高の「私は大丈夫!!」という言葉を胸に刻んで、甘くて清々しい気持ちに浸れます。
色んな意味で素晴らしい映画ですが、特にメンタルをリセットしたい時には、最高の映画だと思います!
従兄弟のジェシー(ポール・シュナイダー)が親を超えたとき
「子供が子供を育ててる」「父親と息子は友達になれないんだ」
これはドリューの従兄弟であるジェシー(ポール・シュナイダー)が、ジェシーの息子が悪さをした夜に父親に言われる台詞です。
このシーン、さほど大きく取り上げられてはいませんが、子供を育てている私の胸にはジーンと来ました。
何がいいって、この台詞を父親に言われた後のジェシーの何とも言えない微笑み!
あのジェシーの微笑みは本当に素晴らしい表情だと思います!
あの微笑みが全てを語っていますよね!
「俺とあんたは友達にはなれなかった。でも俺は子供と友達になれたんだ。」という結論と、それを言葉にも出さず、怒る事もせず、ただ微笑むジェシーは、目の前で説教をしている父親を既に超えているんですね、だからこそのあの微笑みなんですね。
何も言い返さない事で、超えてしまった親にもある意味敬意を表していると思います。
子供はいつか親を超える、親はいつか子に帰る。
人間の生の親と子という大きな転換期を、あの少ない尺で表現している素晴らしいシーンだと思います。
このシーンの直後、眠った子供を抱っこしながらドリューと一緒に「美しい夜だ」と話しながらジェシーは「星はきれいだ」と言い、美しい星空が映ります。
親の存在を超え、愛する子供を抱え、美しい星空の下、家路につくジェシーは最高に幸せな男なんですね。
はちゃめちゃ親子ですが、映画の中でこの親子の存在は、子育てをしている親にとっては「最高!」と言いたくなります!
母親ホリー(スーザン・サランドン)のタップダンスはおまぬけ?それとも?
ドリューの父親の告別式で、母親ホリーが冗舌なスピーチをし、タップダンスを披露するシーン、告別式にしては少し不釣り合いでとても印象的ですよね。
印象的ではあるのですがこのシーン、比較的尺を多くとってある為、このシーンで「退屈した」「寝てしまった」などという意見も耳にします。
全体を通しては、台詞も長く、ホリーのタップダンスもお粗末で、間延びしたシーンと言われても仕方のないシーンだと思いますが、私はこのシーンが大好き!
何故かと言うと、このシーンには、夫を愛し続けたホリーの愛の深さ、ホリーを良く思っていなかったエリザベスタウンの親戚との関係、そして父親の死と仕事の大失敗をしてきたドリューの固まった心を優しく溶かしていくシーンだからです。
愛情や幸せという言葉で繋がる人々の心温まるシーンです。
そこに完璧は似合いません、だからホリーのスピーチでは下ネタだって出るし、タップダンスだってお粗末でも充分。肝心なのは心や思いなんだ!という事を分からせてくれるシーンです。
退屈しちゃった人!寝ちゃった人!このシーンこそ、愛を感じる事の出来るあったかいシーンです!
どうかもう一度、このシーンの深さを見返してみてくださいね!
クレア(キルスティン・ダンスト)は妖精じゃないの!?
クレア(キルスティン・ダンスト)の存在、全体を通して本当に魔法みたいな存在ですよね!
誰も乗っていない飛行機の添乗員としてドリューに声をかけ、明け方までの長電話の末再会し、信じられない完璧な旅のCD集を作り、最後には再び再会!
可愛くて明るくて、現実を率直に受け止める笑顔が最高の女の子!
こんな事ありえない!こんなうまい話しないでしょぉ〜!
そんな声が聞こえてきそうですが、、、もう全てはクレア役のキルスティン・ダンストの可愛さと無邪気な演技で誰も何も言えなくなりますよね。
この役所は、キルスティン・ダンスト以外ではうまく成り立たなかったと思います、つまり、本当は妖精なんじゃないの?と思ってしまうくらいの可愛さ、不思議さ、無邪気さ、それらの全てを持ち合わせていないと、クレアの存在が嘘くさすぎて物語が台無しになってしまうからです。
私はこの物語でクレアが、実はドリューの幻想だった、という落ちだったとしても不思議はないと思っています。それくらい、不思議で魔法みたいな存在。
大失敗のどん底にいたドリューの心を埋める為に作り出したドリューの妖精。
そうだとしたらちょっと切なすぎるけど、、、、でもあの後2人がどうなったか、分かりませんよ〜
もしかしたらドリューがクレアの幻想に気付き、1人ぼっちでたたずんでいるかもしれません、、、、。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)