持たざる者は、救われる。 - 介護入門の感想

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介護入門

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文章力
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ストーリー
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持たざる者は、救われる。

4.04.0
文章力
4.0
ストーリー
3.0
キャラクター
2.5
設定
3.5
演出
3.0

目次

気づけば横たわる、心と体のスピードの齟齬

人間は変わる。自分というものはいつの間にか変容し、鏡をふと見た時に「あれ、前より額が広く?」「あら、ほうれい線が深い・・・?」と気付く。しかしながらこんなのはあくまでも主観的な視線だからまだまだ修正の余地はあって「いや、別に禿げてない。禿げてない」「ちょっとえくぼが深い。いつもよりえくぼが」みたいな暗示を自分にかければなんとかやっていける。本当に恐ろしいのは主観ではどうにも改変できないもので、変容を逃れようがない形で突きつけるのはいつも自分の内部ではなく外部の他者だ。だからなのか、あまり他人と関わらない人はいつまでも若々しかったり、幼稚であったりする。

個人的なもののようで実は自分で決められないという意味で他者で外部なのが年齢だ。負うのは自分でも、認識させるのは実感ではなく無慈悲な数字で、自分ではまだ20歳の若造のつもりでいたら数字は実感のはるか遠く離れた場所に行ってしまって、社会的にも個人的にもその置いて行かれた自分の内面と外部を擦り合わすため人は四苦八苦しなければならず、陳腐な表現をすれば「救い」を求める土壌が作られて、いつまでも同じところに居ることは人間誰しも出来ないということに心の底から気づいてしまった時、老化が。これは別にモラトリアムとかニートとかに限った話でなく、その場しのぎに現実をこなしているだけの労働をしていれば、あっという間に体と心のスピードがバラバラになる。

さらに年齢の怖いところは、自分一人だけの問題ではないところだ。自分がプラプラしている間に家族はあっという間に老いる。「介護入門」の主人公も30近くなるまでプラプラのミュージシャンもどきで、気づけば祖母の介護をせざるを得ない立場。自己実現や自分の可能性といったものを開くのはいつだって若者の特権で、その往生際がいつになるかは人それぞれだけれど、たまたま彼は30手前にして祖母の介護と向き合うこととなってしまった。

個人的な、あまりに個人的な

その特徴的な文体は「マリファナ中毒だから」というエクスキューズと解釈することもできるが、基本的にマリファナで見える幻覚も介護も「個人的な世界である」という点で一致している。個人的な世界を救うものは個人的なものでしかない。社会的なもの集団的なもの制度的なものを救うのが政治で、私的なもの感覚的なもの個人的なものを救うのが文学なのだから、別にあえてマリファナを文学に寄せたわけでなく、誤解を承知で書くならマリファナは文学的で文学もマリファナ的。両者は個人の救済という意味で大して相違のないものだと言える。私はヒップホップに明るくないので詳しい言及はできないけれど、音楽もそうだ。

善悪は別としてマリファナしてたら文学だったし、文学してたらマリファナだった。どちらにせよ介護というある種の地獄からの逃避であるから、この作品の文体が文学的に優れたものになるのは当然で、仮に主人公がマリファナ吸ってなくてもラップやってなくてもこの作品の文体はこうなっていただろう。

政治や制度や慣習といった環境が個人を救わないのなら、個人が個人的に思い込むことしか救いはない。

「此処で生きることが即ちどこででも生存できる俺を作る、と覚悟を決めれば、否、決めねば、<<成功>>なんてありえない」

思いを加速させるのはマリファナであり文学であり音楽で、これら全て物語でなく、瞬間であり流れだ。主人公には「血」という世間一般に信仰された物語への反発がある。祖母の枕元で優しげな言葉をかけても隣室では途端に冷淡になる叔母の態度は、その昔感じた「記憶」の瞬間だけが介護動機の主人公には許しがたい、血の物語と接続しただけのだらしない姿に映る。

衝突し続ける瞬間と物語

より正確に言えば、実感の持てない空虚な物語へのアンチ。主人公は自分の実感と瞬間に基づき己の物語を作っている。「年長者を世話する時の気持ちに、人種も時代も大陸も関係はない、祖母がこのおばあちゃんだったからこのあたりまえに気づくことができたのだ」という結論がそれだ。

叔母は「血」という物語を許容しながらしかし本音のところの「面倒臭さ」を手放さず、本音と建前を使い分ける。しかし、主人公にはそんな賢い立ち居振る舞いが出来ない。己の実感瞬間と常に真っ向勝負をして、ありものの物語に立ち向かい疲弊する。彼の中では「血の物語」と実感に基づく「記憶の物語」が常に戦っているが、そんな戦いは恐らく主人公だけがしていることで、叔母には痛くも痒くもない。さらに言うなら自分自身が持つ「記憶の物語」と、瞬間で感じた新たな実感(思わず祖母の死を願ってしまうような)が対決することもあって、心が休まる暇はなく、マリファナとラップで頭を痺れさすしか打つ手が無い。事象の渦中にある当事者は、ある結論を寄す処にしながら、現実の瞬間と立ち向かう事しか出来ない。誰もが準備万端に挑めるわけではない。

主人公は愚かである。しかし、美しい。愚かだから美しいのではない。文学の美しさは当事者性にしか無い。その人の血が、呼吸が、動きが、いかにスムーズに文体と結びつくか、いかに当事者性を輝かせるか。そこにしかない。持たざる者だけが救わて、美しさだけが個人を救う。「介護入門」は、主人公の不器用さがあまりにも滑らかに文体へと流れている。だからとっても美しい。

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