「私」を語るということ 根本正午“マージナル・ソルジャー”
人生という檻社会にでてびっくりするのは、驚くほどルールがバラバラであることだ。社風という名の雰囲気であり、人間関係という実でもあるそれは、たとえ同じ職種であっても細かい業務上の違いがあり、ゴミの分別から挨拶の仕方、上司の接待からWindowsの弄り方まで。技術とは別の価値。作法、マナーのようなものが社会に、会社の、その数だけある。表現を志す人間というのは大概が極端なのだが、それはある意味純粋とも言える事で、拘泥する何かがなければ自己表現などという一部の天才を除いて途方無い役に立たない一文にもならない聳え立つ糞を生み出すことなど出来ようはずがない。業である。カルマである。しかし世界は世界でいつだって無慈悲で、世界は世界なりに極端だ。それがマナーであり作法でありルールであり、とある誰かAの極端を認めてくれるようにはどの世界もできていない。一つの檻がある。いや一つとは限らない何重にもなる檻。その中の...この感想を読む
3.03.0
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