私小説から幻想文学までの距離 藤枝静男“田紳有楽”
切り取られる「私」の物語赤羽の桜は8分咲といったところで狂ったような美しさを見せるのにはまだ時間がかかりそうだが、行き場のない婦人たちによる情報交換とイエスタディ・ワンス・モアが充満した喫茶店の一席で何となく、そこにこそロマンチックな気持ちを覚える曇り空の春を窓から眺め、ちょっぴりおセンチな私を演じるように藤枝静男『田紳有楽』の書評を書いていました(完)。…と、こうしてただあったことだけを書き綴った退屈な文章を私小説とは言えない。と決めつけるこの決めつけ、が私小説と日記の違いで、フォーカスという写真雑誌が昔あったが、その名の通りとある出来事にピントを合わせて事件の詳細を綴っていた。写真雑誌特有の胡散臭さとは、ある一場面を切り取った一葉の写真に何かしらのキャプションをつけることでとある物語を作るところにあるのだが、ではその一体何が胡散臭いのか?本当は、誰にも、写真と文章の相関関係がわからな...この感想を読む
5.05.0
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