一番の驚きは、最初の被害者のデブが、本作の脚本家だということ。
1度見た作品ですが、猟奇殺人ものだったなという記憶しかありませんでした。 ただ、かなり評価の高いスリラーですし、デビッド・フィンチャー監督なので、見返してみました。 結論、製作側は凝ったつもりだと思いますが、かなり薄っぺらいスリラーだなと感じました。 ただの死体ゴロゴロ殺人、日本人には到底理解できない動機。 殺人はほんとに坦々と行われ死体がゴロゴロでてくるだけ。 被害者の生前の顔がわからず、どんな人物だったかに迫るシーンもありませんし、殺害シーンもありませんから、まったく被害者や犯人の感情に移入することができません。 別にそこらへんのクズどもを殺してるだけですし。 その点『SAW』はゲーム参加者1人1人のストーリーを細かく設定しているので、罪人であっても「あーこのくらいのことをやってた人間だから殺されても仕方ないな」とか、殺害シーンでは「これはちょっとやりすぎじゃないか、かわいそう」とか見る側は思うから、緊張するしおもしろいんですよね。 おまけに犯人の動機が、『SAW』にみる「更生」ではなく、ただ神の使いでやってる的な感じにして、疎かにしているところが気に食わないです。 これこそが7つの大罪のうちの1つ「怠惰」です。 日本人には受けないんですよね、こういう神の使いとかをネタにする映画は。 信仰心ないから感情移入できないんだよ。神に代わって罰を下すなんて。 ラストシーンですが、なぜあそこで犯人を撃ち殺したら負けになるんでしょうか? 犯人の目論見通り7つ目の「憤怒」の殺人をブラピが実行してしまったから何? 犯人と争った際に生かされた時点でも負けだし、妊娠している妻を殺された時点でもブラピは負けなわけで、全てを亡くしたからには自分の手で復讐するしかないでしょうが。 それを踏みとどまって逮捕することに意味がなんてありません。 ブラピの選択は誰がどうみても正解ですね。 でも、まずはその首が本当に妻のものか調べる必要がありますよね。 もしその首が偽物だっていう設定だったら、完全にブラピの負けになったと思いますし、私は評価をあげました。 ひねりが足りないですねー。 あとは図書館の本の貸出記録がデータとしてFBI提出されているというような描写があったのですが、アメリカでは実際にそうなのでしょうか。 猟奇殺人犯を逮捕するのには使えそうですが、個人情報保護の観点からすると問題ですね。 これは余談。モーガンフリーマンが自室のダーツボードで、『ギャング・オブ・ニューヨーク』のディカプリオのごとく、ナイフ投げの練習をしているシーンありますが、現代の警察でナイフ投げる状況なんて絶対来ないですよね笑 「ギャング・オブ・ニューヨーク」は1860年代だからいいけど。
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