ミロス・フォアマン監督の正気と狂気の混乱を描いた問題作「カッコーの巣の上で」
この映画「カッの巣の上で」の原作は、ケン・ケイジーのベストセラー小説で、アメリカの反体制的な若者達に圧倒的な人気があると言われている。 この映画の原題は、子守唄の「一羽は東に、一羽は西に、一羽はカッコーの巣の上を飛びました」というのからきているが、カッコーには"狂気"の意味があるのだ。
この「カッコーの巣」とは、精神病院ひいては、その象徴する非人間的、没精神的な現在の管理社会を意味しており、それに反抗して、自由な精神の翼でもって、独り飛ぼうとしたのが、ジャック・ニコルソンが熱演するマクマーフィであり、彼が落ちたその後を、その精神を受け継いで、代わって飛び立っていったのが、ウィル・サンプソン演じるインディアンのチーフであるというように、理解する事ができるだろう。
尚、カッコーは、他の鳥の巣に卵を産むというから、「カッコーの巣」には、もっと深い意味が潜んでいるのかもしれない。 仮病を使って、刑務所から精神病院に逃れて来た、陽気な刑余者のマクマーフィが、科学的な治療の名のもとに、物的に取り扱われ、死んだも同然となっている患者達に、生命の火を吹きかけ、自由への意欲を再発見させるが、病院の管理システムへの反抗が危険視されて、精神病者としてロボトミーを受けて、植物人間になってしまうのだ。
魂を失った彼をそのまま生かすに忍びず、彼を殺して、故郷のカナダへと脱走するインディアンのチーフ。 「良きインディアンが、正しい白人を殺す」初めての映画でもあるのだ。 このインディアンの父も、白人よりも優れていただけの理由で、周囲から圧迫され続け、遂にアル中となって、死んでしまったという苦しい過去が、偽の聾啞者として入院していた彼の背後にあるのだ。
冒頭、陽が昇ろうとする、薄暗い闇の中を走って来るマクマーフィを乗せた車と、最後に、逆光の朝靄の中を国境に向かって走り去るチーフの後ろ姿の二つのシーンは、重なり合い、結びつく。
この映画の主演女優は、優秀な婦長のラチェットを演じるルイーズ・フレッチャー。 病院のルールに忠実に奉仕する事が、患者のため最善であり、自ら正しい事をしていると確信している事が、結果的に悲劇を生む事になる。 しかし、彼女を冷酷非情なだけの悪役だとみてはてけないだろう。 また、そのように注意深く演出もされていると思う。 このTV出身の女優は、ジャック・ニコルソンを圧倒する演技力を示していて、アカデミー主演女優賞を受賞したのも納得の演技だ。
この映画の成功は、1969年に動乱後のチェコからアメリカへ亡命して来た、ミロス・フォアマン監督の確実な構成力と優れた演出力によるものだと思う。 彼は、この映画を撮るにあたって、次のように語っている。 「今日、社会は余りにも組織化されてしまっているから、その体制が資本主義であれ社会主義であれ、また君主制であれ民主制であれ、そのシステムを受け入れかねる個人をどうするかという、普遍的な問題がある。どんな社会でも、悲劇は我々が何の疑いもなく、盲目的にそのルールが法律になっているというだけで従っていることにある。」
チェコ出身の彼が「アメリカでは個人がシステムに抹殺されることに、非常に神経質だ」と言っている事は、今日的な意味があると思う。 この映画のほとんどがコメディ調で、"正気と狂気"の混乱を描いて笑わせるが、ラストの5分間で、我々観る者を感動で打ちのめしてしまう。
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