厳しい美しさとおかしみの漂う人間ドラマの秀作「摩天楼を夢みて」
この映画「摩天楼を夢みて」は、デヴィッド・マメットのピューリッツァー賞受賞の戯曲「グレンギャリー・グレン・ロス」をジェームズ・フォーリー監督が名だたる名優、演技派俳優を揃えて映画化した作品だ。
舞台はニューヨークには違いないが、邦題のあまりにもひどい「摩天楼を夢みて」というような、華やかさだの浮かれた感じといったものは全然なくて、詐欺すれすれのきわどい商売をしている、不動産会社のセールスマンたちの話である。
六人の不動産会社の社員と一人の客----登場人物はほとんどこれだけ。場所も不動産会社のオフィスと向かいのバーくらいのものである。人物も空間も小さく限定しているところ、たくさんのセリフのぶつけ合いで進行していくところなど、かなり演劇的な構成になっていて、映画を観ているというより、あたかもブロードウェイの緊迫した舞台劇を観ているような気分になってしまうほどだ。
この映画は、とにかく、厳しい美しさとおかしみの漂う人間ドラマなのだ。 うらぶれた不動産会社の支店にある日、BMWに乗って本社の幹部(アレック・ボールドウィン)が激を飛ばしにやって来る。若くてハンサムだが、名乗ることもせず「クソッたれというのが俺の名前だ」「お前は韓国製の車。俺はBMW----それが俺の名前だ」と言い放つ。 そして、「今夜すぐにセールスして歩け。一等はキャデラック・エルドラド、二等はナイフ・セット、三等は----クビだ」と容赦ない。汚いスラングを連発し、「それでも男か」と罵倒する。
中年セールスマンたちのプライドの、特に性的な部分を痛めつけて挑発していく。いかにもアメリカの二、三流企業にいそうな泥臭いエリートだ。いつもはバリバリのハリウッド型二枚目を演じているアレック・ボールドウィンが、珍しくテンションの高い長ゼリフをこなしているのに、まず驚く。 あっけにとられたセールスマンたちが、「顧客情報が弱くて----」と、言い訳すると、その幹部はもったいぶった手つきで、金のリボンをかけた箱を見せつける。その箱の中にはグレンギャリーという開発地に関する重要情報が入っているのだ。彼は「黄金の情報だ。成績の一番いい奴だけにこれをあげよう」と言って、去ってゆく。
この幹部の激は、セールスマンたちの心に大きな波紋を広げることになる。キャデラック・エルドラドか、クビか。天国か地獄か。「男」になるか、「クズ」になるか----。という厳しい生存競争で、四人のセールスマンたちがしのぎを削ることになる。
強烈なハッタリでもっかトップを走っているリッキー(アル・パチーノ)。人当たりのよさと粘り強さで勝負するベテランのシェリー(ジャック・レモン)。冷ややかな皮肉屋のデイブ(エド・ハリス)。押しが弱いジョージ(アラン・アーキン)。----この四人だ。これをコネ入社で現場の苦労を知らない支店長のウィリアムソン(ケヴィン・スペイシー)が見張っているという構図なのだ。
何と言っても切ないのが、叩き上げのシェリーだ。トップの座を後輩のリッキーに奪われたうえに、可愛い娘は病気で入院。まさに背水の陣だ。プライドも何もかも捨て、支店長を買収して「黄金の情報」を得ようとするが、失敗してしまう。仕方なく雨の中をとぼとぼとセールスに出かけていくが、得意の口車もつうじず、あっさり断られてしまう。
ジャック・レモンが、深みのある哀愁を帯びた、素晴らしい演技を見せてくれる。電話で不動産の勧誘をする時の、この男はもう何年もこの手口でやって来たのだなというのがわかる、もの慣れた喋り方。 そして、支店長との緊迫したやりとりの時の、反射神経の鋭さ。間の絶妙さ。本当にジャック・レモンという役者は、どんな役を演じても、その人間の持つ弱さ、ずるさ、愚かさ、悲しみまでも全て体現出来る、凄い役者だなといつも思ってしまう。1992年度のヴェネチア国際映画祭で、主演男優賞を受賞したのも納得がいく名演だ。
アクの強いリッキー役のアル・パチーノも素晴らしい。従来のアル・パチーノは、ジャック・ニコルソン同様、いかにも「うまいだろ、唸るだろ」と言わんばかりの演技が多少、鼻につくところもあるが、この映画では珍しく引いていて、しかも十分、陰影のある演技で非常に好感が持てた。
ほとんど詐欺師のようなソフトな老シェリーとハードなリッキーの仕事ぶりを見ていると、そしてその破綻ぶりも見ていると、みじめでみじめでたまらない気持ちになって来る。この世の中から、一ドルでも余計にお金をもぎ取ることのしんどさに、胸がつぶれそうな気持になって来る。シェリーとリッキーをついつい、「かわいそう」なんて思ってしまうのだ----。
ところが、この二人、「かわいそう」なんて思う私なんかより、実はずっとタフなのだ。リッキーは逃げる客を引き留めるために、老シェリーを巻き込んで、土俵際、徳俵で踏ん張るような、インチキ芝居を打つのだ。詐欺師同士の"あうんの呼吸"。プロフェッショナル同士の見事なコンビネーション。 結局、その芝居は失敗してしまうのだが、リッキーはシェリーに「見事だ。さすがベテランだ」と賛辞を送る。失意のどん底のシェリーは、この一言に救われるのだ。金のため何もかも捨てた男に唯一残された、プロの誇り。この映画の中で一番美しいシーンだ。
そして、インチキがバレて、一瞬目の前が真っ暗になりながら、次の瞬間には、もうちゃっかり次のカモを狙って電話をかけている----このリッキーの立ち直りの早さも、おかしくて、タフで、美しい。 この映画の凄いところは、登場人物をみじめさのどん底まで追い詰めておきながら、我々観る者の甘い同情だの憐みだのを、はじき返してしまい、逆に我々に「こいつらに、負けた」と思わせてしまう----そういう人物像を生み出した、この原作者でもあり、自身で脚本も書いた、デヴィッド・マメットはただ者じゃないと思う。
最初はジャック・レモンとアル・パチーノにばかり目が行くが、他のエド・ハリスとアラン・アーキンのセールスマン、そして支店長のケヴィン・スペイシーや客のジョナサン・プライスまでもが一人一人、非常にはっきりした輪郭を持った人物として浮かび上がって来るのだ。 まったくもって、俳優全員が、何かに感染したかのように、ほとんど最高の、しかも、しっかり分を守った演技を見せつけるのだ。
俳優と俳優との間にある空気が、こわばったり、ゆるんだり、冷えたり暖まったりというのが、いちいち目に見えるようだ。その「緊張と緩和」のリズムが心地良いのだ。演劇的な構成なのに、ちっともスタティックじゃなく、ちゃんと映画的に動いているのだ。
いちいち発言者にカメラが行くという、本来、私が嫌っているカメラワークなのだが、これが意外にも成功しているように思う。「緊張と緩和」のリズムを非常にうまく伝えているのだ。 どうでもいいような映画もどっさりあるが、時々、フッと、こういうプロの凄みを見せつけるような傑作が出て来るから、アメリカ映画はやっぱり見逃せない。
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