人間の内面に潜んだエゴイズムやごまかしなどを、繊細かつシニカルに描いた、芥川龍之介の「枯野抄」 - 枯野抄の感想

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枯野抄

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人間の内面に潜んだエゴイズムやごまかしなどを、繊細かつシニカルに描いた、芥川龍之介の「枯野抄」

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「枯野抄」は、芥川龍之介の歴史小説の中で、"江戸物"の一作ですが、芥川との私の出会いは、自意識に目覚め、自分もその一存在である"人間"というものに、追求の眼を向け始める青春時代に遡りますが、その時代はまた、文学というものへの"開眼"にも繋がる時期だったと思います。

私を含め、芥川の文学から文学の世界に入っていく人が多いのは、芥川の文学というものが、自意識に目覚め、人間の本性に追求の眼を向け始める青春期の人々に、十分に応え得る内容を含む文学だからだと思います。
その意味からも、芥川の小説は、"青春の文学"だと言えると思います。

芥川の自分の歴史小説における人間の描き方について、自著の「澄江堂雑記」の中で、「今、僕があるテーマをとらえて、それを小説に書くとする。そうして、そのテーマを芸術的に最も力強く表現するためには、ある異常な事件が必要になるとする。その場合、その異常な事件なるものは、異常なだけそれだけ、今日この日本に起こったこととしては書きこなしにくい。---ところで、この困難をのぞく手段には、---昔か日本以外の土地、あるいは、昔、日本以外の土地から起こったこととするよりほかはない。僕の昔から材料をとった小説はたいていこの必要に迫られて、不自然の障害を避けるために舞台を昔に求めたのである。」と書いています。

こうしてみると、芥川にあっては、歴史小説に描き出される人間像というものは、彼自身の見た"現代人の姿"そのものに他ならないと思います。
つまり、芥川は現代人の複雑な心の動きとその姿を、歴史上の"昔"に舞台を借りて、鋭くシニカルに描き、人間の内面に潜んだエゴイズムやごまかしなどを、容赦なく取り上げて、それに冷笑を浴びせるように、読者の前に提示してみせるというやり方が、芥川の最も得意とする"歴史小説の手法"であると言えます。

「枯野抄」は、松尾芭蕉の臨終の床を取り巻く、門人たちの複雑な心理を、いかにも芥川らしい、鋭くシニカルな感覚で抉り出した短編小説で、この蕉門の弟子たちの師の死を見送る態度は、そのまま芥川が、自らも含む夏目漱石の門下生たちの、師の死を見送る姿を投影させて描いているのは明らかです。

そして、芥川の歴史に題材を選び、背景を借りてくるとしても、芥川の筆から生まれてきた主人公たちは、その舞台となった歴史的な過去の時間には住んでおらず、その時代から飛翔し、現代人と変わらない心で、自分の心の内面を見つめていて、芥川はその心の内面を、まるで顕微鏡でのぞく外科医のような鋭い視線で、精細に描いてみせるのです。

この小説の主人公である芭蕉の弟子の其角は、師の芭蕉に今生の別れを告げようとしますが、師の醜い死相に烈しい嫌悪感を覚えます。
現実の醜い全ての事に対して、かねてより持っていた反感を、この偶然の契機により、師の病躯の上に洩らしたのか?
"生の享受者たる其角が、生を脅威する"死"を自然の威嚇と感じたのか?----。

師との今生の別れに際して、何の哀しみも覚えなかった其角は、これではいけないと自責の念を感じながらも、その強烈な嫌悪感は否定しがたかった----と芥川は容赦のない筆致で描きます。

師の末期の水を取るという場面を通して、人間の内側に姿を隠した、社会通念の枠に収まりきらない、自己中心的なエゴイズムの微妙な心の動きを、芥川は繊細でシニカルに描き尽くします。

この「枯野抄」で描かれた、芭蕉の弟子の其角を初め、小説に登場する芭蕉の弟子たちの師の臨終を見送る姿勢。
それは、"予測された限りない悲しみとは全く別個の、様々な思惑に基づいた、自己中心の現実感覚"に彩られたものでしたが、そこには、歴史的な一事件の再現というよりは、現代に生きる現代人というものの内面世界に、明晰な理性をもって、様々な角度から光を照射しようとする、情熱と誇りに満ちた、若々しい芥川龍之介という作家の姿が、生々しく投影されているのだと思います。

それはつまり、我々人間の常識的な精神の内側に姿を隠した、自己中心的に偏した、異常なエゴイズムの微妙な在り様----。
芥川は、それを人間の本質的な真実の姿として描き切ろうとしたのだと思います。

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