堤幸彦監督が認められたTBSの代表的ドラマ番組
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コメディとシリアスのバランスが絶妙
中谷美紀と渡部篤郎が主演の堤幸彦監督作品、と言えば「ケイゾク」だ。未だその人気は衰えることなく、ケイゾクのあとは「TRICK」「SPEC」「SICKS」と堤幸彦イズムを継承した作品に引き継がれていく。「事件が起こり、解決する」という、いわゆる一話完結の刑事もの、推理モノの作品ではあるが、過去の有名作品へのオマージュが強く、コメディ色も濃厚なのが見所だ。シリアスシーンとコメディシーンのバランスが良く、全体を通して完成度が高い。そのため、放送中はあまり視聴率に繋がらなかったものの、終了後に人気が爆発し、特別編、映画化、と続いた稀有なドラマ作品である。ちなみに、映画版のラストでは次回作の予告を思わせる演出もあったが(中谷美紀がウエディング姿で登場する)実際は続編に続かなかった。ファンの間では、未だに続編を待ちわびる声も上がっている。
オープニング映像と曲に注目
ケイゾクで注目すべきは、本編のほかに、センスが爆発したオープニング映像だ。スチール写真を並べた一見するとなんの脈絡もない映像の中に、毎回事件解決のヒントが隠されている。ただのおしゃれな映像ではない。また、若干グロテスクな表現もまじえつつ、ケイゾク全体の物語の雰囲気を凝縮したようなものになっている。また、映像だけでなく、中谷美紀が歌う主題歌「クロニック・ラヴ」は、坂本龍一プロデュースの曲だが、原曲となったのは自殺したアイドル岡田有希子の「WONDER TRIP LOVER」である。ケイゾクの作中、飛び降り自殺現場の地面に寝転ぶシーンがあるのは意図的かどうかは定かではない。
野々村係長は死なず
竜雷太演じる野々村光太郎は、「太陽にほえろ!」で竜雷太が演じたゴリさんをそのまま引き継ぐ形で作られたキャラクターであり、作中にもオマージュと思しきセリフが登場する。「SPEC」まで見るとわかるが、ケイゾクとSPECの世界観の橋渡しをする役割であり、なぜか死なないキャラクターでもある。続編の「SICKS」では弟の野々村光次郎という男が登場する。作中、仲間が殉職していく中、唯一の揺らがない柱として存在するので、物語全体のキーマンとも言える。愛らしく人間らしいキャラクターとして愛され、仮面ライダーでいうところの「おやっさん」の役割を果たしている。竜雷太はそろそろ高齢だが最後まで頑張っていただきたいと思う。
オマージュを探せ
「ケイゾク」は割と真面目なドラマなので、オマージュは控えめだが、それでも堤監督の遊び心が現れている作品だ。まず、主人公の名前「柴田淳」は「太陽にほえろ!」のジーパン刑事の名前と同姓同名である。柴田が刺された時も「なんじゃこりゃ」というセリフを使っており、「太陽にほえろ!」へのオマージュが多い。また、その後「TRICK」や「SPEC」に継承されていくが、お馴染みの俳優が起用されている、役名が同じ、スタッフが顔出し出演している、小道具が同じ、パロディになっているなどの関連が多く見られるため、一瞬も目が離せない作りになっている。間違い探しのごとく、細かい設定をチェックしていくとおもしろい発見があるだろう。より深く味わうためには、関連作品と並行して見るといいだろう。
「ケイゾク」は完結しなかった?
ケイゾクは一話完結の刑事ものだが、後半は真山徹VS朝倉の対決になる。真山の妹を強姦した少年グループのリーダーで、大人になり区役所に勤めている。一見すると真面目な好青年だが闇が深く、顔を変えられたり(実は別人がなりすましていた)コントロールされたりと、実態が掴めない。結果的にドラマ版では早乙女管理官が朝倉であったという形で死んで終わるが、一体誰が朝倉で、朝倉とは何者なのかはわからないまま完結する。また、その後の堤監督作品においても「朝倉」というのはキーワードになっている。「SPEC」における津田助広のように、複数人いる可能性もある。結局のところ、真山徹は朝倉に復讐することはできず、おかげで殺人犯にならずに済んだとも言える。ドラマ特別編、そして映画版と、朝倉は関与するが、はっきりとストーリーに関わってくるわけではない。結局のところ、この「真山VS朝倉」の対決は完結せず、ケイゾクは今もなお継続していると言えるだろう。ちなみに、この朝倉という存在が、その後の「SPEC」における一種のスペック(能力)である可能性も十分にある(人格転移など)。新世紀エヴァンゲリオンが人気作になったのと同様、この作品も「あえて完結させずに泳がせておくことで人気が途切れない」という作風なのかもしれない。
狂気=かっこいい?
真山徹、という視点で言えば忘れてはならないのが「狂気」である。妹が少年グループに強姦され、自殺したという経験があり、少年らへの復讐心に燃える真山だが、朝倉をストーカーし、その状態に酔いしれているような表現がある。また、妹が強姦されたシーンを反芻してトランス状態になるなど、真山の中で様々な感情が混沌としている様子がある。おそらく本来、根は限りなくまともな人間なのに、朝倉に翻弄されることで上記を逸脱してしまう(殺人にも手を染めようとする)一歩手前まで行く、というギリギリのところを描いている。この状態に「かっこよさ」を見た視聴者も多いのではないだろうか。
ラブストーリーと言えるのか?
一部の人は「ケイゾクはラブストーリーである」とも言う。これは、柴田と真山のキスシーンから逆算すると、パートナーである柴田と真山が、今までお互いに全くの恋愛感情がなかったにも関わらず、真山にとって柴田は亡くなった妹の影であり、柴田にとっては亡くなった育ての父を真山に見たからである。単純に「恋愛」でくくれるものではなく(恋愛の描写はそれまで一切ない)、過去の刑事ドラマでもあった「男性同士の友情、バディ関係、強い絆」といったものが見える。男女だから単純にそれが恋愛に発展するものとも言えないが、少なくとも見ている側は意識してしまうだろう。ちなみに映画版のケイゾクでは、真山が柴田にパンツ?を履かせるシーンがあり、これを見る限り恋愛に発展するまではまだまだ時間がかかりそうである。
柴田淳のその後
「ケイゾク」は特別編、映画と続き、その後作品は発表されなかったが、柴田淳のその後については「SPEC」において野々村光太郎の口で語られている。柴田淳はその後出世し、公安部参事官(警視正) 第五課課長兼、特務事項担当部長に就任しているという(キャリアなので)。またSPECにおいて、野々村光太郎を未詳事件特別対策係の係長に任命したのが柴田淳である。映像版には登場しないが、ノベライズ作品には登場している。今もなお物語の中枢に深く関わる主要人物であることは変わらない。ちなみに真山は捜査上で殉職したことになっている。ここからわかるのは、柴田と真山はその後恋愛関係になって結婚する、などといった平凡な関係に落ち着かなかったということだ。いわゆる一般的なハッピーエンドは、求めてはいけないだろう。
オカルトへの警鐘
ケイゾクでもTRICKでも言えることだが、堤監督のこれらの作品群で「オカルトは畏怖すべきだが無闇に信用してはいけない」という警鐘が促されている気がしてならない。もちろんスペックホルダーという存在はフィクションであるし、マジックには必ずトリックがあるのだが「安易に信用するのは危険だよ」というメッセージに聞こえる。オカルトは楽しいし、見ていて不思議に思うが、科学的な視点も重視すべき、かつ、科学的だからといって全部信用してはいけない、という矛盾も提議しているような気がしてならない。
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