メッセージ性の強い児童向けホラー - 地獄堂霊界通信の感想

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地獄堂霊界通信

4.174.17
文章力
3.83
ストーリー
4.17
キャラクター
4.17
設定
4.17
演出
4.00
感想数
3
読んだ人
3

メッセージ性の強い児童向けホラー

4.04.0
文章力
3.0
ストーリー
4.0
キャラクター
3.5
設定
4.0
演出
4.0

目次

効果的に使われる主要キャラクター

主人公の少年たちは、それぞれタイプの違う仲良し三人組。授業をサボったり喧嘩をしたりと社会的に分類すると悪ガキにあたる三人だが、その本質は実直かつ自由奔放で、決してグレているわけではない。

物語は基本的に、この三人悪の視点で描かれる。子供は正直とよく言うように、彼らは本書の地の文において尊敬する者は素直に賞賛し、悪いヤツや嫌なヤツには見下すような感想や辟易している様子が描かれている。

この、世の中には善と悪のふたつしか存在していないという考え方は、まさしく子供の価値観である。

もともと児童向けに執筆された本書は、こういった(基本的には)子供らしい思考の三人悪を通して、人間の憎悪や欲望、狂気といった負の側面を描いている。

素直で真っ直ぐで明るい、いわゆる陽属性にあたる三人悪の性質は、相対する人間の負の側面、つまり陰属性の感情を持つ人間との対比になっており、その異常性が際立つ構図となっている。

また物語に繰り返し登場する地獄堂の謎めいたおやじは、主人公の少年たちに力を与え、物を教え導くことで、事件を解決する鍵を与えるキャラクター。両者の関係は創作物における作者(物語世界の支配人)と登場人物の関係そのものであり、おやじが彼らに繰り返し説教を垂れていることからも、このおやじは作者自らの化身であることがうかがえる。

本書は怪奇小説という娯楽であると同時に、子供たちへの作者からの教えが詰め込まれた、口の悪い道徳の教科書のような存在でもあるのだ。

随所に散りばめられた風刺

本書に登場する人に害を与える霊、あるいは生きている人間は、みなそういった負の感情にとらわれ、結果他人に攻撃的になったり、破滅の道をたどったりしている。

児童向けの物語として単純にそういった存在を異常者扱いし、反面教師として描くだけでなく、そういいった人間はこの世にたくさんいるのだと、作者は(作中においては地獄堂のおやじが)そう伝えている。

不倫をした女の夫が善良を装うも内心は悪意に満ちている、というエピソードは特に、人の悪意や(悪い意味での)欲望がいかに身近に潜んでいるか、ということを上手く表している。

物の怪に翳を食われることで負の感情が膨れ上がり、人が不幸になる、というエピソードがある。だが本編内でおやじが言っているように、不幸になるのはみんなが物の怪のせいではない。

人を殺めるのも、自害をするのも、すべて自らの内の負の感情が膨れ上がり、爆発した結果である。他人を疑わず慈悲の心を無くさなければ他人に殺意を向けることはなく、自尊心と希望を持ち続ければ自らの命を絶つこともない。

翳を食われぬためには心を強く持てと、おやじは言う。これはそのまま、作者が読者に伝えたいことだろう。

巷に溢れる暗いニュースは心の弱さが招く不幸だから、読者はそうはならぬように。そんな作者の思いが伝わってくる。

また、風刺的といえば「フツーの人は化け物を見てもサッカクということにする。そうしないと生きていけない」という台詞がある。

これは化け物に限らず、すべての異常事態において同じことが言える。つまり、臭い物には蓋をする、思考停止、現実逃避、見て見ぬフリ、といったことだ。

物事をありのまま受け止め、いかなる困難にも立ち向かうてつしたちの姿勢が模範であるかのように描かれていることからも、そういった逃げ腰を作者は非難しているのだと思われる。

先程取り上げた台詞の少し後に、「自分に都合の悪いことや理解できないことに蓋をすれば、自分は悩まなくて済む」という台詞がある。

これも先程同様、作者からの痛烈な批判である。それは世の中において必要な処世術のような気もするため、正直それを駄目だと非難するのも気の毒に思わなくはないが、そういったことが必要とされる世の中そのものをも、作者は嘆いているのかもしれない。

狂気とは紙一重である

人の憎悪や欲望が狂気として描かれている本作だが、軽度であればそれは狂気とは見なされない。嫌いな物がない人間などおそらく存在しないし、我欲のない人間も存在しないだろう。重度であれば狂気だというなら、その境界はどこなのだろうか。

例えば第五話の『生霊を追って走る』では、恋に狂った女の狂気が描かれている。

だが、すべての行動の根底にある『愛しい人を想うあまり思い詰め、執着心にとらわれる』というのは、少なくとも私にとっては、普通の恋愛感情である。

(その結果取った行動が病的とはいえ)それが狂気として描かれているのを見るだけでも、私と作者にとっての狂気の基準が違うのが分かる。

つまり正気と狂気の境界線は非常に曖昧なものであり、白と黒のように、はっきりと区別のできるものではないのだということが分かる。

多数決や主観的好み、宗教などのさまざまな理由によって、世の中における物事の捉え方や常識は変化する。

それは重んじるべき多様性であり、時として争いや問題の種にもなる。

自分と人は違う。大事なのはそれを認めて理解することだと、改めて思った。

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