漫画の元ネタとなった実体験が満載 - あのころの感想

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あのころ

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漫画の元ネタとなった実体験が満載

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目次

ちびまる子ちゃんのエピソードの実体験を楽しめる

このエッセイを読むと、この話ちびまる子ちゃんのあの回のエピソードだなぁ、と既視感を感じる。

最近のちびまる子ちゃんのアニメは個性的なキャラクターが増えてきたため、キャラを立てる話が多くなってきており、脚本も他の方に委ねられているようだが、当初はアニメも原作に忠実だった。

その原作も、架空のキャラや実際のエピソードを面白おかしくさくらさんがデフォルメすることはあったと思うが、概ね体験に忠実であったことが、このエッセイで発覚して大変興味深い。

また、漫画より実際にさくらさんが体験したエピソードの方が状況が深刻だったり大恥だったりすることも多く、漫画の後日談のような感覚でも楽しめる。

しかし、驚愕するのは、一般的に大人になって、小学3年生のころの記憶を、ここまで鮮明に覚えている人というのは珍しいのではないだろうか。それだけ充実した学生生活を送られていたのだと思うが、この記憶力こそが、ネタの宝箱だったのだと思うと驚愕する。

表紙の手作り感にさくらさんの温かさを感じる

エッセイのおまけページのさくらももこだよりによると、この作品の表紙はさくらさんの手作り作品で、絵ではあるが、立体作品となっている。卵の殻を使ったモザイクで描かれたまる子や、ボタンやサプリメントを使った装飾、なんとまる子の目は実は正露丸を切って貼ったものとのことで、さくらさんのセンスと器用さ、多才さを感じる表紙となっている。

また、中表紙も、紙をパンチ穴で開けた時に生じる丸く切り抜かれたものに顔を描くという、気が遠くなるような手法でデザインされたものになっている。

さくらさんは、大人になってからの近況を記したエッセイも多く残しているが、どちらかというと幼少時や学生時代の回想をネタにしたものの方が読者受けが良い。

そういう意味では、手作り感のある表紙は、非常にノスタルジックな温かさがあり、つい手に取ってしまいたくなる魅力がある。

実は女子が嫌がるポイントを見事に突いている

この作品を読むと、さくらさんは宿題をギリギリにやる、もしくは父親にやってもらうなど、大胆にさぼったりする図太さがある割に、神経質な一面もあることがわかる。

トイレのない遠足が憂鬱だったり、七五三で着物を着ることが大して嬉しく無かったり、マラソン大会が異常に嫌で、何日も前から憂鬱になったりすることなどだ。

しかし、こういう不安や不快感を伴う行事などへの嫌さというのは、昔は強制的であったインフルエンザや日本脳炎の予防接種などと同様に、その行事が終わるまでいつまでも憂鬱でいなければならぬほど、心にのしかかる重苦しさがあった。

マラソンが得意な男子や、遠足の先でも立小便をしてしまえば良いような男子と異なり、女子は色々悩むこともある。そういう子供のころの嫌さというのは、大人になると、マラソン大会自体出る必要がなくなり、どこかへ行くにもトイレが不安ならそういう場所に行かなきゃいいという事で解消され、子供のころは色々悩んでいたっけなぁということで、記憶がおぼろげになっていくものだ。

しかしさくらさんの記憶は非常にビビットに残っていて、どういう段取りの時にどう嫌だったかまで細かく描かれているので、そういえば自分もそうだったかもと思い出すことができ、非常に懐かしさを感じる。

例外的には漫画同様、さくらさんは実は長距離はかなり速い方だったにもかかわらずマラソンが嫌いだったという点であるが、足が速い人でも苦痛だったのだというのは不思議な感じであった。もっと自分の脚力に自信を持ってもいいはずなのに、どこかさくらさんは、ドジキャラな自分が自信を持つなどとんでもないという、妙な謙虚さを持つ子供だったのかもしれない。

各エピソードの詳細が、事実は小説より奇なり

収録作品のうち、七五三のエピソード以外は殆ど、このネタは漫画で読んだと覚えている人も多いだろう。てきやさんが売っている怪しいカードに種も仕掛けもあった話は漫画にもあったし、夏休みの宿題に家族を巻き込む話もあったが、エッセイでは思いのほか父が作った工作の出来栄えが良かったために逆に自分を窮地に追い込んでしまう実話が書かれている。

洪水で町が浸水してしまった話は、原作ちびまる子ちゃんだけではなく、さくらさんのデビュー作である、「教えてやるんだありがたく思え!」の、漫画の脇の豆知識的書き込みにもあった、教室にうんこが落ちていた事件の詳細が語られている。原作ではそのうんこを花輪君が踏んづけて悲惨な目に遭っていたが、あの話は本当にあったことで、そのエピソードに高貴な花輪君を登場させてうんこを踏ませるさくらさんのセンスにくすりと笑いたくなる。

こうした、架空の人物と実体験のコラボがすばらしいのだ。

原作でたまちゃんとまる子のお母さんの宝物のオパールで遊んでいて失くすエピソードがあり、原作ではうっかりたまちゃんが自分のスカートのポケットに入れて持ち帰ったことで、お詫びに菓子折りを持ってくるという話だったが、実際はまる子が何度探しても見つからなかった鏡台の下から出てきたようである。なぜ第三者が見つけると出てくるんだろうと言う漠然とした疑問が書かれているが、こういう経験は大人になってからも何度かしている人は多いのではないのだろうか。

探しているものに利害関係がない第三者に探してもらうとあっさり見つかってしまうというのは、探すことへの焦りがないため、視野が広くなっているからかもしれない。

原作と事実から、面白さだったり、さらに深く考えて見たり、マニアックにちびまる子ちゃんを楽しむことができる。

切ない話もあり

さくらさんの幼少期の思い出は、必ずしもドジで笑える話ばかりではなく、一期一会の出会いと別れの話などは、ちょっと泣けるような話も多い。エッセイの中に、お姉ちゃんに大学生の家庭教師がついていた話があり、その先生については漫画にもなっていたが、そんなに泣ける話でもなかったと記憶していた。

お姉ちゃんと先生の勉強の邪魔をしていたことや、当時流行していた切手集めの趣味のため、先生がまる子に切手をくれるエピソードなどは大筋漫画と同じである。しかし、漫画以上に、先生がまる子に気を使って遊び道具を作ってくれたり、家庭教師すべきお姉ちゃんより、その妹のために切手を収集してプレゼントする心遣いができた人だったことに、さくらさんは、先生は今の大人になった自分よりずっと大人だったと感激している。これは、さくらさんやこのエピソードに限らず、昔の人は今のこの年齢の人よりずっと大人だったという思いは、案外普遍的感情で誰しも感じたことがあるのではないだろうか。

そして、最終日に気軽に先生と「またな」とだけ言って別れるシーンなども、それが根性の別れと知らずにまた会えると安易に別れたことへの、なんともいえぬ切なさがにじみ出て、泣ける話となっている。

原作では先生がくれた切手のノリが溶け、ランドセルの底に張り付いてしまい、人に自慢する時はランドセルを覗いてもらうという間抜けなオチになっていたが、本当は切ない一期一会だったのだ。

ここまで自分に感謝してくれている子供がいたら、当時先生だった男性も、本望であろう。

都市伝説を否定する事実

ちびまる子ちゃんでは、さくらさん一家の現在について、インターネット上で拡散した事実に反する都市伝説という建前で、おかしな噂が蔓延している。

中でも、ヒロシさんが無職で、祖父母の年金で暮らしていたという話は、このエッセイでしっかり八百屋をしている描写があることから、嘘であることがわかる。都市伝説で広がっている話は、正直、おもしろくもなく、実際のさくらさんの人生の方が余程爆笑できるエピソードや感動できるエピソードが詰まっている。そんなことを証明している一冊でもある。

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