思いがけない発想に驚く作品たち - メイプル・ストリートの家の感想

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メイプル・ストリートの家

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思いがけない発想に驚く作品たち

2.52.5
文章力
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ストーリー
2.5
キャラクター
2.5
設定
2.5
演出
2.5

目次

キング・ホラーとしては若干弱めな印象か

この「メイプルストリートの家」には、全部で5つの作品が収められている。その5つが5つともが、どうしてこのような設定を思いつくのかキングの想像力に今更ながら屈服させられるような思いがする。
ただ、たとえば「クージョ」や「ローズ・マダー」のようにパンチのある表現力や竜巻のような展開、緻密な表現力は、感じられないように思う。もちろん長編と短編の違いはあるけれど、言ってみればホラー度は少し弱めではないだろうか。けれどその反面、どうしてこのような展開になるのかという思いがけない楽しさは数多くある。
新たなキング作品の一面を感じたような、そんな作品たちだった。

リチャード・バックマンの小説から

リチャード・バックマンは言わずと知れた、スティーブン・キングの別名ペンネームである。この名前で同名タイトル「かわいい子馬」を執筆していたのだけど、彼自身様々なアクシデントに見舞われ、この作品は没になった。だけどその中でも一部分だけ、ここだけで十分に短編になっていると彼が感じたところがこの新生「かわいい子馬」だった。リチャード・パックマンが書いたというその長編小説はあまりに不出来で書き上げるのに非常に苦労したとキングが語っている。小説とはもともとあるものを湖から引き上げる作業に過ぎない、と語っていたキングらしくない、いわゆる“難産”ぶりが印象的だった。
その作品だけど、残念ながら私にとってはあまり物語に入り込めるものではなかった。時間というものは年とともに形を変えるものという認識をもってそれを乗りこなさなければいけないということを知っておくべき、といった抽象的なテーマは決して嫌いではないのだけど、いかんせん翻訳特有の文章がここではあまりその良さを発揮できず、ただ読みにくい文章というだけに感じてしまったのだ。孤独な祖父と彼を慕う孫という構図も心地よいものだっただけに、少し残念だった話だった。

ホラーと思いきや意外な展開で驚かされる「電話はどこから」

今でこそほぼなくなってしまった“混線電話”だけど、これは実際実に背筋を凍らせるのに十分な恐さがある。私自身も2、3度経験したことがある。今から20年以上まえ、携帯電話などはもちろんまだ普及していない時代、固定電話で友人たちと長電話するのが常だった(親機から親にいやがらせされたことも、今ではいい笑い話だ)。その時電話していた相手はもう思い出せないけれど、遠いところからずっとぼそぼそと話している女性の声がずっと聞こえていた。それも不気味なことに、こちらが話しをやめて耳を澄ましてみるとその声が遠くなるようで、余計鳥肌が立ったのを覚えている。奇妙なことに電話相手にはそれが聞こえなかったらしく、それもこちらの恐怖を煽ったものだった。だからこの「電話はどこから」を読み始めた時には当時のことを思い出し鳥肌がたったのと同時に、ジャパニーズホラーに近いキングホラーがきたのかと期待してしまった。
この“混線電話”最強はやはり泣き声だろう。この話も泣き声で混線が入り、それを聞いたケティはてっきり全寮生活に入った娘からの電話だと取り乱し、あちこちに電話をかけて彼女の安否を確かめる。娘は平気だったものの、今度は母親かも、いやきっと妹だと、女性特有の心配性ゆえか、気が済むまで走り回る。結局納得しないながらも(絶対他人の声ではなかったと言い張る彼女の頑固さにはいささかうんざりしたけれど、その理由も後でわかる)、夫に慰めながら眠りにつく。そしてこの夫がその晩心臓発作で死んでしまうのだ。
この夫が心臓発作で死んでしまうのは展開としては面白いのだけど、それまでそのような雰囲気が一切なかったためちょっと無理やり感を感じてしまったのは事実だ。この物語としては夫は死ななければならないためしょうがないのだけど、どうも話のための話の感じがしてしまったのだ。
結局あの混線電話は、未来からケティ自身が当時の自分に向かって、その晩心臓発作で死んでしまう夫に救急車を呼んでという悲痛な願いが届かせたものだった。想像したホラーとは違っていたけれど、これはこれで意外な展開で楽しめた。
またこの物語はシナリオ風といった感じの書かれ方をしていて、斬新な感じがしながらも意外に物語の筋がきっぱりとしてわかりやすく、新しい発見ができるものだった。

映像として頭に蘇る2つの作品

スティーブン・キングの作品でどんなのだったかなと内容を思い出すとき、映像として覚えているものが多く、本で読んだのか映画で観たのか一瞬わからないときがある。「ローズ・マダー」や「キャリー」「ランゴリアーズ」などがその中に入るのだけど、ここに収められている「クラウチ・エンド」や「十時の人々」もこの種類にあたる。二つともモンスターが思いがけないところから出てくるものだけれど、この出方が実にリアリティがあり、モンスターとはいえ実に読み応えがあった。
スティーブン・キングがどこかで書かれていたことで妙に心に残っている言葉がある。「ホラーを馬鹿にする人は想像力が欠如している」という言葉だ。全く同じ言葉で書かれていたわけでないけれど、そんなような意味が書かれていたと思う。それは正に私がいつも思っていたことで、スティーブン・キングにそう言われたことで今までのネガティブ感情が全部成仏した思いだった。
その彼が書くホラーにはいつもリアリティがあり、だからこそただのホラーだけでない恐ろしさを感じる。実際自分の身に置き換えてしまうからかもしれない。
この2つの作品はまさにその意味ではその通りのストーリーであり、また同時にスティーブン・キングの類まれな想像力に脱帽する思いだった。

継父をどうにかしなくてはと決断した子供たちの戦い

タイトルにもなっている「メイプルストリートの家」の始まり方は、実に不愉快なものだ。病弱な妻(彼らにとっては実の母親)をまったく大事にせず粗末に扱い、自分たちにも手ひどく当たる継父の行動は、子供をもっていると許せないものとして目に映る。また暴力は一切ないのもまたたちが悪く、この子供たちが腹に据えかねている描写はキングらしい細やかな文章でかかれ、感情移入してしまうところだ。
この子供たちがある日家の壁の木の割れ目の中に金属めいたものが見えることに気づく。子供たちの過剰な反応からどのような気味の悪いものかとこちらは構えているのだけど、その正体がしばらくわからないのもストーリーから目が離せないところだった。その正体は最後まで金属のままだったのだけど、気味悪くなってくるのはその金属がどうやら成長しているらしいことだ。今までなかったところにまで金属の壁ができ、そしてワイヤーが束になってねじれながら自らの意思で地面に入り込んでいく様は、とても映像的に書かれている(前述した映像として頭に蘇る作品の中に、これも入るべきだと今気づいた)。そしてワインセラーにはまるでコックピットのような配置で様々なボタンやスイッチが作られ息づいている場面から、その“コックピット”状のものがカウントダウンをしていることも相まって加速的にストーリーが展開していく。この展開の早さはまさにスティーブン・キングらしい的確かつ表現力の高い描写で、読み手に息もつかせない。一瞬今自分がいる場所を忘れるくらい、ストーリーにのめりこんでしまった。
結果継父だけ家に閉じ込める状況を作り、子供たちが直感したように、その家は継父ごと“離陸”してしまったのだけど、この“離陸”というのはいささかコメディチックであり、少し素に戻ってしまったところだ。個人的にはそのまま地面に潜り込んでいくとか、いきなり家ごと地面が陥没してしまうとかのほうが好みだったと感じた。
この5つの話を含む「メイプルストリートの家」は、スティーブン・キングホラーを味わうにはいささか薄味かもしれないが、それでも短編のよさを十分に発揮した読みやすいタイプのキング作品だと思う。

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