不倫の末の略奪婚に幸せは見いだせるのか - 水曜日のエミリアの感想

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水曜日のエミリア

4.504.50
映像
4.50
脚本
4.00
キャスト
4.75
音楽
3.75
演出
3.75
感想数
2
観た人
4

不倫の末の略奪婚に幸せは見いだせるのか

4.04.0
映像
4.5
脚本
3.5
キャスト
4.5
音楽
3.0
演出
3.0

目次

略奪婚の末に幸せはあるのか

不倫とはいかにして始まるものなのか。不倫が止められないものならば、略奪の先には幸せが待っているのだろうか。この水曜日のエミリアは愛されることに固執した女性のストーリーである。人間は愛することよりも愛されることを求める生き物だ。この物語の主人公であるエミリアもその例外ではない。エミリアは美貌と知性に恵まれていたにも関わらず、自から既婚男性のジャックを誘惑し不倫の末に妊娠し略奪婚を果たす。

愛されたいという欲求に胸が締め付けられる

自らジャックを誘惑したのには、エミリア自身も気が付いていない彼女の父親からの愛されたいという一種のファザーコンプレックスから来る想いからであった。一般的に女性は、思春期あたりから父親とは徐々に距離を置くようになる。その思春期を超えていくことで大人になり、自身の中にある父親という男性像を脱却し、他の男性と恋に落ち愛について学んでいくのである。しかしエミリアの場合は思春期よりも前に父親が母親を裏切った事実を知ってしまったために、それ以来父親との心の距離を埋められずにいる。現代のゴシップを賑わす不倫カップルのすべてが思春期前後に問題を抱えていたとは言いがたいが、家族を壊す行為である不倫に走る人間の心理を深堀するとカップルのどちらかがこのような心の問題を自分でも気が付かないうちに抱えているケースも多いのではないか。不倫と聞くと背徳の世界であるように感じられるが、背徳の世界へのきっかけは本当に些細なことがきっかけで誰にでも起こりうるのではないかということを考えさせられる。エミリアの場合はジョンが既婚であり妻子もあることを知りながら意図的に近づいている。これは満たされなかった父からの愛情を、女の武器を使って手に入れようとした結果ではなかったのだろうか。どうしてこれほど愛とは執念深く本人の気が付かないところまで時間が経っても追いかけてくるものなのだろうか。人間以外の生物は子孫を残すために交わり死んでゆく。哺乳類の母親が子供にそそぐ愛情のようなものも、厳しい自然環境のなかで自分の子孫を残していくために目をかけているという行為であって、人間の誰かを愛するという感情とは一線を隔しているように思える。人間は地球上で最強の生物である。最強の生物でありながら目に見えない愛という感情に縛られ苦しめられている。特に愛されることを望む感情から逃れることができたらどんなに楽に生きていくことができるのだろうか。愛されたいという感情は赤ん坊から死ぬまでずっと手放せずに私たちの心の隅に陣取っている。他者から認められ愛されたいという欲求を抑えることは私たちにはできない。しかし愛されることよりも愛することにより人は癒されることもあるのだと教えてくれるのがこの映画である。愛されたいという気持ちから解放されたことにより、エミリアが求めていた愛を手に入れていく段階がこの映画では描かれている。人間が求める愛にたどり着くためのルートは愛されることだけではないことを本作は示しているように思える。エミリアは妊娠したことをきっかけにしてジャックとの結婚を果たすのであるがジャックとの間に生まれた赤ん坊は生まれてすぐに亡くなってしまう。また彼には8歳になるウィリアムという男の子がいた。継母となったエミリアはウィリアムの扱いに悩みながらも不器用な愛情を伝え、ウィリアムを愛していこうと努力する。一方でウィリアムは8歳という年齢で両親の離婚を経験し、その原因がエミリアにあることも理解しているためなかなかエミリアに心を開こうとしない。人の愛し方が歪んでしまったエミリアと、愛を信じられなくなっているウィリアムはすれ違いの時間を過ごしていく。うまく付き合えない時間を過ごしながらも二人は徐々に距離を縮めていく。二人が心通わせていった時間、そこには何があるというのだろうか。おそらくエミリアは傷ついたウィリアムの姿を幼い自分の姿に重ねてみていたのではないだろうか。エミリアはウィリアムを愛し、彼を助けようとすることで自身の幼少期も同時に癒そうとしていたのではないかと思う。親から愛されたい、という二人の共通点がエミリアを前進させたのである。エミリアはウィリアムを愛し彼と等身大で向き合うようになったことでそれまで縛られていたしがらみから解放され凛とした女性に成長していく。

ファッションへの現れ

映画のなかでエミリアの感情がファッションでも表されていると思う。ウィリアムとエミリアの出会いの季節は冬のため、エミリアは厚手のコートやセーターに身を包み略奪婚をしたという設定にしてはちょっとやぼったいファッションをしている。しかし映画のラストでは季節は初夏になりエミリアはシンプルなブラックのスーツというすっきりとした印象のファッションになっている。略奪婚の末に幸せはあるのか?というタイトルの疑問に戻るが、私はあると思った。家族を壊し自分のものにするという行為によってエミリア見つけたのは、男性から受ける愛ではなく、自分自身から発信していく愛であった。このご時世、不倫は珍しくなくなっており、非難の対象になることに変わりはないが、不倫を通じて自分を見つめ自立していくエミリアの姿にうらやましさを感じてしまった。この作品は不倫は絶対ノー派の人も、不倫経験者の人もじっくりと自分の中にある愛にまつわる欲求に向き合いながら鑑賞してほしい。

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エミリアとその周りの家族たち

ナタリーポートマンのファッションからストーリーを見る。この作品を選んだのは、キャストのナタリーポートマンの作品だということだ。彼女の作品は、いろいろ見ているがとにかく演技力が高いことと彼女のスタイルも素敵でいつも憧れる。今回のこの作品のナタリーポートマンは、ファッションも個人的にとても好きで、NYらしい都会的で気取らず、大人なカジュアルファッションが良かった。季節は冬でダークカラーのざっくりしたニットに、細身のデニムを合わせ黒系のロングブーツにインして、ラフな感じでトレンチコートを前を開けてベルトで結んで着る、そこに柄ものグレー系のストールを軽く巻く感じだ。このトレンチコートとストールは何度も出てくるが、彼女の住んでいる家のインテリアの色と合っていて、とても馴染んでいたのが印象的だ。この時は、自分のスタイルを考える余裕がなく、コートはマフラーはいつもの場所にあり、それはさっと手にとって出...この感想を読む

5.05.0
  • chloechloe
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