ゴッホの一生は本当はこうだったのかもしれない
自分の気持ちを絵で表現しようとする人の気持ち
絵で気持ちを伝えたい。画家や描くのは、その一瞬を切り取ったもの。そこから何が伝わるか、感じ取れるものは人それぞれなんだろう。描いた画家の生きざまを考えながら絵を眺めると、心は激しく揺れるみたいだ。
画家として有名すぎるゴッホ。彼がなぜ評価されることになったのかを漫画として仕上げたこの作品。実はフィンセント・ファン・ゴッホには弟のテオドルス・ファン・ゴッホがいたっていうのが物語の始まり。1巻表紙がいかにも悪そうなテオの姿で、貴族絵画に物申し、自由な画風を世に広めようと暗躍するテオを表現しているようだ。
時代はまさにフランスパリで画家があっちこっちで絵を描いているような時代。売れるのは貴族ども。それ以外はゴミのように扱われる時代だった。そんな時代でも、穢れを知らずに自由に絵を描くフィンセント。彼の絵は、写実主義っぽいが、温かな絵。そして、人の感動を同時に伝えてくれる表現力のある画だった。それをどうしても世に認めさせたい弟のテオ。他にも、才能ある若者たちが、自分たちの自由な画を認めてもらいたいと思っていたし、テオはそんながんばる若者たちのため、自ら腐った貴族の芸術に正面からぶつかっていく。カッコいい奴だ。市民の心を打つ絵に画家の階級なんて関係ない。それを見て心動かされるかどうかしかないはずだ。果敢に挑むテオみたいに、誰かのために何かをできる人こそが、時代を作っていくんだろうね。
フィンセントの絵は、確かに本当に実在するモノをモチーフにしているらしいね。そこにこんなあったかいエピソードがあったのかは定かじゃないけど、そんな優しい人が描いた絵なら、観てみたいと思うのが人間ってもんだろう。泣ける話ばっかりだったよ。しかも、モチーフとなる人の話から、フィンセントにはその情景がありありと浮かぶらしい。才能ってこういうことなのかな。
テオの想い
「さよならソルシエ」は全2巻だけのお話。1巻では、いかにしてフィンセントを認めさせようかとがんばるテオのことを描いている。フィンセントにとってテオは大事な弟で家族。テオにとっても、フィンセントとその才能は何にも代えられないくらいに大切なもの。フィンセントが売れっ子になることがテオのやりたいこと…。怖い顔して、本当に優しい奴なんだよ、テオは。しかし、テオの本当の気持ちは、もっと複雑なものだったと知った時、これはいい話では終わらない、悲しすぎる物語だと知るのだ。
第2巻では、テオの本当の気持ちに迫る。
本当は、画家になりたかったんだよ。絵を描いて、それを売って、生きていきたかった。だけど、そんな才能がないって、兄さんの絵をみて気づいてしまったんだ。だから、僕は兄さんが画家として羽ばたくことが、僕の夢でもあるんだよ。そう、僕の夢。なのに、兄さんはかなえようとはしてくれない。僕がやるしかないじゃないか。どうして、世にそのすばらしさを見せたいって思わないんだ?兄さんを愛しているのに、憎いと思うんだ…。
なーんていう気持ちが聞こえてくるわけだ。テオなりに、画家に一番近い場所で、生きていたかったんだ。そう思うと苦しすぎて、やるせなさがハンパない。がんばって勉強すればうまくなれたかもしれないじゃないって話じゃないんだよね、芸術って。うまいかどうかより、心を打つかどうかが重要な話。だからこそ、テオは身を引いて、兄を応援する側に回った。ただ、テオの気持ちは押し付けでもあるし、正しいとも言えないんだよ。フィンセントにはフィンセントの生き方がある。それを否定することはあってはならない。それでもお互いができる限り寄り添ってきたのは、フィンセントもテオみたいになりたいと思っていて、テオもフィンセントみたいになりたいと思っている、お互いを認め合った素敵な兄弟だったからなんだ。対立なんかしてほしくなかったよ?それでも、どちらが正しいかが判断できない、難しい問題だったんだ。
兄弟愛か夢への渇望か
ラブラブ~なんてなし。画家としての地位をめぐる、熾烈な争いのお話だ。フィンセントとテオの兄弟愛は美しくて、同時に憎たらしくもあり、お互いにないものをお互いが持っていて、それを求めてもいる難しさが、うまく表現された作品だ。2014年、女性が支持する漫画ってことでヒットしたらしいこの漫画だが、確かに、男女の間の気持ちによく似ているとは思う。本当はこうしたいけれど、素直に伝えることが相手のためにはならないとわかっていて、それでも願っていることを気づいてほしいって思っている。離れたいとは思わなくて、一緒に生きていきたいのに、一緒にいるのはとても苦しいと思う…心が揺れるね…
しかも、フィンセントとテオのお別れが相当悲しすぎる。フィンセントが暴漢に襲われて亡くなってしまうなんて…画家の道と関係ないところで、何も解決策が得られないまま、兄は先に逝ってしまう…テオにとってみればもう絶望でしょう。彼の欲しかったものの、未来がなくなってしまったのだから。そこから、テオはフィンセントを狂信者として噂を立てまくり、その絵を最強の売り物へと変化させる。自分のため?いや、兄のため…?死んでから有名になる画家の、1つの説かもしれないと思わされるくらい、苦しく、せつなく、考えさせられるストーリーだ。
芸術作品って何だろうね
もうね、流行りとか、はっきり言って謎。美しかったらいいじゃない。誰かに、何かが伝わるなら、それでもう価値は高いよ。なんてことない絵だってあるんだし、主義がどうとか、わからない。
その時代に異質なものが、時を経て理解されることは、昔の人にとってはすごく光栄なことだけれど、それを知ることができない彼の気持ちを考えたら、喜んでいいのやら、悲しんだほうがいいのやら、わからないよね。生きているうちに輝いて、死んでから非難される人もいれば、芸術の考え方は理解できないものが多い。
ただ何となく、美術館にいけば気持ちが伝わってくるっていう感覚はわかるんだよね。時を越えてその絵は残っていて、それを受け継いできた人たち・見てきた人たちの怨念のようなものがみなぎってるような気持ちになる。人の気持ちを表現するときに、手段は言葉か、表情などの言葉かしかなくて、決してテレパシーで同じ気持ちを伝えられるわけじゃない。だから芸術はあって、耳を介して、目を介して、伝えようとがんばってるのが芸術なんだろうね。
この短さでこのクオリティ
テオとフィンセントという、同じゴッホの物語。そりゃフィクションだってわかってるけど、ある程度は本当のこともあるんだろうから、もしかしたら、真実かもしれない。もう誰にもそれはわからなくて、その当時の人だって間違いなくゴッホの気持ちがすべて理解できていたわけではないし、推し量る以外に手段はない。歴史と、その偉人に想いを馳せると、なんか優しい気持ちになれるよね。ぐーーっと胸が苦しくなったあとに、ちょうど隙間ができて、なんかがんばろうって思える。
長くするんだったとしたら、2巻と言わず8巻くらい続いてくれたってよかったのにね。それくらいいい漫画だった。愛も芸術も知ったように言えないけど、理解できそうな気持ちにはなったね。今度美術館に行ったら、まずは歴史から楽しもう。そしてめいっぱい考えて、思いを馳せよう。そんな気持ちにさせてくれる物語だった。
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