嘘のようで本当かもしれないゴッホのお話 - さよならソルシエの感想

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さよならソルシエ

4.334.33
画力
4.50
ストーリー
4.50
キャラクター
4.17
設定
4.17
演出
4.17
感想数
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嘘のようで本当かもしれないゴッホのお話

4.54.5
画力
4.5
ストーリー
4.5
キャラクター
4.0
設定
4.0
演出
4.0

目次

心情表現豊かなお話

人の心に響く絵とは何か?それをかの有名なゴッホ、そしてその弟がこんな感じで広めたのかもしれない…という歴史をいじった物語がこの「さよならソルシエ」。生きている間にフィンセント・ファン・ゴッホ(以下、フィンセント)はまったく評価されることがなく、それが死んでからいきなり名をとどろかせる。これにはいったいどんな秘密が隠されていたのか?そんな秘密の1つの説を、テオドルス・ファン・ゴッホ(以下、テオ)の視点を中心に描いていきます。まさにタイトルの通り、魔術師らしく暗躍する感じのテオ。当時のフランスパリでは貴族たちの権威のもとに描かれる、いわゆる品格のある題材をモチーフにした絵画だけが価値のあるものとして流通していました。それをぶっ壊して、尊敬する兄の絵や、似たような若者たちの自由で市民の心を打つ作品が評価される時代になるようにするのがテオの目的です。そのために、自分が嫌われ役となり、正面から腐った芸術信仰にモノ申していきます。いやーイラストがかっこいいし、セリフがかっこいいし。行動する目的といい、兄や絵に対する素直な気持ちが言えるテオは素敵ですね。そんなテオの気持ちに賛同した若者たちも、できることをやろうと活動をしていく。こういう風雲児なしには人は変わろうとしないのですから悲しいものです。

そしてフィンセントの絵のシーンなんか…泣けるやつばっかり。同じ景色も、人間も、見る人によってはまったく印象が違って当たり前です。それを見ると思い出に想いを馳せてしまうような…そんな瞬間を絵として切り取り、時間をとめて封じ込めてくれる。それがフィンセントの絵だなーというふうに思えます。すべてが優しく、価値のないものはないと伝えてくれる。これをテオは見抜いているんです。彼のその千里眼は才能というべきか、嫉妬から生まれるものというべきか…

テオの光と影

1巻では、フィンセントの存在は何にも代えられないもの・お互いが心の支えになっている!といった明るい気持ち・これから変革が起こるであろう期待が大きく描かれています。テオが芸術をみんなのものとして広めようとする活動をしつつも、兄の自由な画家のスタイルには干渉せず、そのままでいればいいと言葉を発していますし、言葉もなにもなくてもつながっているみたいないい話系か?というのを予感させました。テオの一見わかりづらい市民への寄り添い方に、はじめは戸惑う人がいましたが、その優しさに救われている画家たちだってたくさんいましたからね。一見すると美しい貴族のような男で、笑顔も不敵な笑みだし、兄とは似ても似つかぬような風貌であることで、ただ誤解されるだけ…そう思っていたのが1巻終わりの一言でどんでん返しをくらいます。

本当は 画家になりたかった

え?と思いましたよ。真っ黒な背景。これはもう泥沼化の予感しかない…案の定、2巻では逆にテオの心の闇に焦点が当たります。テオはずっとフィンセントが愛される画家になると確信していました。自分にはない才能で、必ず世に名をとどろかせ、世の中の人のためになると。そのために、素朴だけれど人の心を揺さぶる兄の絵が評価される時代を築こうとしているのは確かでした。しかしそれは裏を返せば、自分が持てなかった才能を持っているにも関わらず、それをお金のためにも何もためにも使おうとしない兄への嫉妬や憎しみがあったからこそだったのです。自由に絵を描いているだけでは、何にもならない。フィンセントが評価されることがテオにとっても自分が評価されることと同じこと。そんな想いがあったんだろうなと推測されます。そして結果どよーんとした展開に落ちていってしまう。フィンセントはテオみたいに自由に羽ばたく人になりたいと思っていたし、テオはフィンセントみたいな才能あふれる画家になりたかった。二人は本当に大事な家族だった。人の闇を学んだテオにとって、汚れなき兄は自分の心そのものだけれど、それが朽ちることなく輝き続けることだけは、絶対に譲れないテオの願いだった…兄弟の対立は避けられなかったんですよね。世の中のためになることを望むことも望まないことも、どちらも間違っているとは言えないのに。

少女漫画ではない

少女漫画の分類で出会ったこの物語ですが、ラブ要素なんてありません。しいて言えば、フィンセントとテオの兄弟愛をそれとして見るような感じかな。でも2014年に女性が支持する漫画として流行ったこの漫画は、確かに女性っぽい気持ちを表現しているんですね。本当に大切で、大事にしたくて、これからもずっと共にありたいのに、憎くて憎くて、自分の思い通りにならないことが苦しい。なんで?俺たち兄弟だろ?分かり合えるはずだろ?…その切なさが、恋みたいです。1巻後半で、心を揺さぶられる作品に出会えたときの気持ちを「恋」だと表現したテオは、まさにフィンセントの作品に恋をして、ずっと追いかけているような状態です。決して手に入らないけれど、いつも近くにある。大好きなのに苦しい。なんでその才能を生かすことをしないんだ!切ないな…少女漫画じゃないけど、胸の苦しさはとても似ています。

しかも、フィンセントは暴漢に襲われて死んでしまいます。そこでただ苦しむのではないのがテオ。フィンセントを本来の人格とは全く別の狂信者として仕立て上げ、フィンセントの絵を世の中に広めるために行動したのだから…それが二人の生きた証。いつまでも共にある。二人でゴッホという人間・ゴッホという画家は作り上げられたのだから…これが本当の話でも全然すっと馴染めるなーというくらいの展開だったと思います。

芸術って難しい

芸術って難しいです。だけど、時代によって好まれる流行は違うから、その時代に異質なものだった考え方が、後々受け入れられるというのはよくあることだと思います。現に、レオナルドダヴィンチがあの何もない時代に飛行機のことをすでに考えていたりもしたのですから。当時は圧倒的に材料も何もなかったのに、人間の想像力って無限大なんだなということを思い知らされます。芸術には流派があり、流行があり、生まれては消え、まためぐってくることもあれば二度とめぐってこないこともある。変わらないのは芸術を通して人間としての何かを伝えたいということだけでしょうね。言葉を介さなくても伝わる何かってやつを。

たった2巻で伝えてくれたものは大きい

たった2巻なんですよ、これ。フィンセント死んじゃって、もうテオの生きる意味もないし、ある程度史実に沿った流れで進んでいるのでしょう。それでも、悪代官!って感じの貴族階級との小競り合いや、テオが権威を失墜させる行方、フィンセントの絵による小さな人助けをもっとたくさん重ねていっても楽しめそうだなとは思っていたのでちょっと残念ではありました。1巻からいきなり6巻くらいにとんだくらいの終わり方だなと思います。

それでも、テオという人、フィンセントという人の生き方を見せてもらって、愛ってなんだろうなー芸術ってなんぼのもんだよって想像して、絵を見てみようかーと思っただけでも、文化に目覚めた気がして嬉しく思います。芸術の世界を知ることは、歴史を知ることにもなるし、ゴッホ兄弟みたいな画家の気持ちを知ると、人間のことをもっと深く知ることになるんでしょうね。表紙から抜群のインパクトがあるし、タイトルの意味は後半になってようやく二人の芸術家とのさよならなんだって気づくあたりも、うまく作られたお話だなと感心しきりです。

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ゴッホの一生は本当はこうだったのかもしれない

自分の気持ちを絵で表現しようとする人の気持ち絵で気持ちを伝えたい。画家や描くのは、その一瞬を切り取ったもの。そこから何が伝わるか、感じ取れるものは人それぞれなんだろう。描いた画家の生きざまを考えながら絵を眺めると、心は激しく揺れるみたいだ。画家として有名すぎるゴッホ。彼がなぜ評価されることになったのかを漫画として仕上げたこの作品。実はフィンセント・ファン・ゴッホには弟のテオドルス・ファン・ゴッホがいたっていうのが物語の始まり。1巻表紙がいかにも悪そうなテオの姿で、貴族絵画に物申し、自由な画風を世に広めようと暗躍するテオを表現しているようだ。時代はまさにフランスパリで画家があっちこっちで絵を描いているような時代。売れるのは貴族ども。それ以外はゴミのように扱われる時代だった。そんな時代でも、穢れを知らずに自由に絵を描くフィンセント。彼の絵は、写実主義っぽいが、温かな絵。そして、人の感動を同時...この感想を読む

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