原作のキャラクターをもっと忠実にしてくれ
福士蒼汰くん万歳
福士蒼汰くんのイケメンさ・爽やかさが、瞬のまっすぐさとリンクしていていいなーと思う。彼のおかげで全体としてよくまとまった感があった。福士蒼汰くんは甘―い映画に多く出演されてるので、ホラー系というか、グロイ系の映画は新鮮だったね。
それでも、神さまの言う通りの壱は、ただの殺しゲームが繰り返されるので、この終わりだと相当つらいものがある。この作品は、漫画においても壱だけでは到底完結できない作品で、弐があってこその作品なのだ。実写化でもう2作品くらい作ってくれるかは謎だが、そこまで語ってくれなきゃこの世界観は伝わり切らないと思う。
その他のキャストで言えば、できれば天谷は神木くんじゃなくて、本郷奏多がよかった。この2人、よく似ているキャラとして登場するが、悪っぽい雰囲気はやっぱり本郷奏多なんじゃないかって思っている。映画の「ガンツ」のイメージがかなり強く残っているので、グロい映画もしっくりくるんだよな~。しかも、この映画における天谷は、瞬と敵対するキャラとして描かれている。それ、全然違うから!それだとまったく話変わってくるから!!
また、重要なクリストファーくんや翔子ちゃんがいないじゃない。そりゃー最終的に重要だったのは瞬・いちか・天谷だったってのはわかるけどさ…ラストの「運」は翔子ちゃんなんだって。マトリョーシカの後に神でリリー・フランキーって…違うよ。神小路かみまろはそんなおっさんじゃない。もっと神っぽい。
原作ではいちかはまだ生きてるのに
解せないのは、原作での大事な翔子ちゃんの代わりに、幼なじみのいちかが死んでしまうこと。いちかが死ぬのはもっと後なんだっつーの。ヒロインなしで瞬と天谷だけじゃ話の厚みが変わってくるっていうのに。早々殺すなんてひどすぎる。そこまでストーリー変えるなら、次回作あるならもはや生き返らせてほしいね。いわゆる「仮死ってる」状態だったってことで。翔子ちゃんいないのに、いちかもいないなんて…瞬を成長させてくれたのは、天谷だけじゃないんだよ。いちかあってこそなの。
突然やってきた死にゲーの世界観はよかったんだけどね。退屈をぶち壊す衝撃は、絶対「だるまさんがころんだ」から始まらないといけなかった。退屈で、つまらない日常が一瞬で非情なまでの世界と化す恐怖。そしてどこかにちらっとある、恐怖と同時に感じる奇妙な気持ち。楽しんでいるかもしれない…?いや、俺はこんなことはやめたいし、誰かが死ぬのはもう嫌だ!と思う気持ちと、ゲームの「攻略」を楽しんでいるかもしれないと知る怖さ。不気味な気持ちが「神さまの言うとおり」では大事なんだ。最後には誰かを想って何かを捨てれるのが瞬であり、原作ほどしっかり表現できていたとは思えないけど、それなりにがんばって表現されていたんじゃないだろうか。
それにしても、「失敗したら死んでしまう」ってどんなことになるだろうね…。普段、失敗を恐れずチャレンジして、ダメなら修正して…ってやってますけど、何か?死と引き換えの窮地に立たされた時、果たして人は人らしくいれるだろうか?
がんばってグロさを抑えてる
「神さまの言うとおり」では、殺し方ががっつり1発なんだよね。首ふっとばしたり、体ぶち抜いたり、木っ端みじんに爆発させてみたり。潔いと言えば潔い。ただ、それを実写化したら相当やばいことになるじゃない。血しぶきとか、あれビー玉やん…よく工夫したなー。R18でも、やっぱり人を人と扱わないような殺し方って、放映するのも禁止されてたりするのかなー…。
ゲームで選ばれたものの中では、だるまさんがころんだが一番衝撃的で好きだね。突然始まってわけがわからない状況の中で必死に行動する瞬が最高なのである。あの頭のキレ具合とか、行動力とか…カッコいいんだわ。原作だと、瞬じゃなくて別時間軸の人たちが重要になってくるけど、ときめくのは瞬なんだよね。そしてあの血しぶき…戦慄のデビューってこういうことを言うと思う。実写で表現しきれないのは非常に残念だよ。
自分的には、人を神が殺すシーンよりも、人が人を襲って集団リンチをやったり、裏切りに裏切りを重ねたりするほうが、よっぽど汚らわしい上にねちねちとダメージが強力で、恐ろしいねって思うよ。本当に少しずつ、心と体が汚れていくような…残酷っていろいろあるけど、一瞬で死ぬほうが楽なことって多いと思うんだわ。そして、人が醜いことを知って、安心する自分が居ることを知るという恐怖とか…エグいよね。道徳とか全部吹っ飛ばした先に、残るのはなんだろうねってことも伝わってくるから、血しぶきよりグロいのはそっちなんじゃないかって思ってる。
瞬と天谷は2人で1つ
彼らはまったく別の人間で、考え方も全然違ってて、人からの評価も違ってる…はずだった。瞬の中にある正義感と好奇心。天谷の中にあるサイコパス的な思考。もちろん、原作でも相容れる2人なわけじゃないが、相反しているようで共通している、というのが瞬と天谷であり、敵でもなく味方でもなく、でも絶対にお互いを必要としているような、そういう世界観が醍醐味。「お前は俺と同じだ」っていう漫画の中での天谷のセリフがすごい印象的なんだよね。絶対必要な要素だと思ってたんだけど、天谷がなんか全然違うから、正直困った。瞬の複雑な気持ちがつくり出されるのって、天谷のおかげなのに…!第1作でそれがなかったということは、続きが出たとしても方向性が変わることはないのかもしれない。弐の終わりを知っている人からすると、きちんと瞬と天谷の関係性は明確に表現してもらって、漫画と違う方向に進んでほしいんだよね…
そういえば、この映画をつくった監督は、「悪の教典」の実写版をつくった三池監督らしい。「悪の教典」はかなり忠実だったなーと思っているので、「神さまの言うとおり」も近いものになったらよかったのに。CGでどうにでもなるものじゃないのか?
続きを予感させて終わる
瞬と天谷のゲームはまだまだ続く。衝撃のゲームスタートから、怒涛の連続死にゲーをみせてもらったのが今作だった。三池監督作ってくれるかな…いちか、生き返らないかな…
神小路かみまろだって、まだまだやりたいことあるでしょ?っていうか本気出してないでしょ?リリーフランキーさんあんなちょいだしで使ってる場合じゃない。彼にはまだまだ活躍してもらわねば、困るんだよ。
生きてることにありがたみを感じられなくなってる人は、この映画をみていろいろ感じたらいいんじゃないだろうか。退屈な日常ってすげー幸せだなーってこととか、退屈をつくっているのは実は自分で、自分が動き始めたらなんだって輝きを見せることもわかってくると思うよ。生き続けたければ、神に抗うしかない。そんな状況になったこともないくせに、適当に人生嘆いているのはもったいなさすぎる。パニックホラーというか、サバイバルというか、“必死”というのがどういうことなのかを深く考えさせてくれる作品が「神さまの言うとおり」だと勝手に思っている。
瞬と天谷の見る世界がどうなるか、神の子としてあがめられて、世界がどう変わっていくのか、どうせなら漫画では出せなかったような神の子たち以外の状況も知りたいよね。ただのデスゲームじゃなく、深ーいお話なんだから、こんなもんで終わってほしくはないのだ。どうかよろしくお願いしたい。
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