続編の不利と無理 別路線で行った方がよかったかも?
目次
一作目の大成功を受けての続編 結果はいかに?
本作は1981年公開、アニメの枠を超えて邦画年間興行収入No1となった第一作、「銀河鉄道999」の続編だ。
前作は原作マンガの名場面に加え、キャプテンハーロックやクイーンエメラルダスが惜しみなく登場して、これでもか! と視聴者を盛り上げる清涼感の強い冒険活劇だった。
本作ではその清涼感は薄れ、静かな演出が目立つ。
監督のりんたろう氏は一作目でやりつくした、として再登板を固辞していたらしいが、結局駆り出されてしまったのは大人の事情であろうか。
大ヒット作の続編としてどうだったのか、考察しよう。
3分あまりの予告編がものすごくよくできていた
劇場公開前の予告が凄くよくできている。(現在でもYouTubeなどで視聴可能)
大ヒット作の続編の常套手段として、まずは前作の名シーンやエンディングを見せて視聴者の記憶を呼び覚ます。
そしておもむろに今作の予告がはじまる。
あれから二年、動乱の時代が来た。そして若者はたくましく成長した、というナレーションとともに銃を撃ちまくる鉄郎。
おおー! 超かっこいいぜ、一作目から成長したんだな、鉄郎! とファンは歓喜に沸く。
しかし、メーテルがプロメシュームの後を継いだというフリが入り、ええっ! と視聴者を驚かせた後、うるわしのメーテル登場!!!
メーテルの笑顔にメアリー・マッグレガーが歌う主題歌「SAYONARA」がかぶり、そりゃあもう期待するでしょ、という予告だ。
この予告を見て本編を見ると、確かに予告の通りの進行なんだけどなんか期待したのと違う…という気になる。
それは何故か?
とにかく暗くてだるいシーンが多い!
テンポが良かった前作とは異なり、とにかく暗くてだるいシーンが多い。
特に前半の11分、鉄郎の地球での戦いを描いているが、予告で見たかっこいい鉄郎のシーンはわずかしかなく、惰性で戦っているかのように見えるところが残念でならない。
第一作であれほどの旅を乗り越えてきた彼なのだから、もっとパルチザンの象徴になっている、という設定でも良かったのではないか?
実際ミャウダーは、鉄郎が惑星メーテルを破壊したことを英雄視しており「たいへんな大物」と言っているのだから、見せ方として無理はなかったはずだ。
旅の目的の不明瞭さもあって、鉄郎の長所である行動力と瞬発力(ある意味での無鉄砲さ)が見えない。
演出的にも下を向いている絵が多く、なんともけだるい。
そして待ちに待ったメーテル登場が48分で実現、実に全130分の中で1/3を過ぎている。
ここから旅の目的が明らかになったり、少しは和む展開があるのか、と期待するが、それもお預け、という展開に視聴者はしょんぼりしてしまう。
あれほどに待ち望んだ再会に、感極まって走り出す鉄郎だが、抱擁やキスはおろか、手を取り合う場面や、再会を喜び合う演出すらない。
メーテルはその行動目的を語らず、鉄郎は彼女がプロメシュームの後を継いだというミャウダーの言葉を思い出して上手く話せない。
そこは狙った場面なのだろうが、そのために視聴者はずっとフラストレーションをため続けることになる。
だからこそ、冒頭のパルチザンの戦いでは鉄郎の主導性が必要だったのだ。
劇場で寝てしまった人もいるのではないだろうか? と思うようなだるさが中盤まで続く。
モブ機械化人が無個性すぎる点、同じ映像を繰り返し使用するいわゆるバンクが多いのも絵面を退屈にさせている。
みんな全てを知っているのに、一人おいてけぼりの鉄郎
999のシリーズでありがちな展開として、鉄郎以外の登場人物が物知り過ぎて、鉄郎&視聴者の置いてけぼり感が半端ない。
第一作にはトチローというキーパソンがいて、彼と鉄郎の関係に感謝したゆえに、ハーロックとエメラルダスは鉄郎を援護する、という流れが明確だった。
しかし今回は1時間30分の時点でようやくメーテルの思惑が明らかになるまで、旅の目的が無いのだ。
鉄郎はただメーテルに999に乗れと言われたから乗っただけで能動性は皆無に近い。
前作は最初は機械の体を手に入れるため、母の仇である機械伯爵を倒すために旅立ち、それを果たしてからは機械帝国を倒す、という大目的に変わる。
今回も鉄郎は機械帝国を倒すという目的は持ってはいるが、なんともぼんやりしている。
更に途中から、ハーロックとエメラルダスは鉄郎と黒騎士ファウストの戦いを見守る立場になり、この映画全体がここにたどり着く茶番で、鉄郎以外のみんなはその茶番の演技者だったのかとさえ思えてしまう。
黒騎士ファウストの存在意義
ストーリーの流れとして、鉄郎が父を超える過程を描き大人になる、というのは理解する。
しかし視聴者にカタルシスを生みにくいのは、あの鉄郎の父であり、ハーロックに友と呼ばれる男が、何故、絶対悪プロメシュームに服従しているのか、ということだ。
黒騎士ファウストは惑星大アンドロメダを、飢えも死もないユートピアとして紹介しているが、ここで彼は「命の火」のからくりを知っていたのだろうか。
彼は幽霊列車の護衛、管理を務めており、人間をさらってくることに加担していたのは確実で、知らなかったとするのもかなり無理がある。
知っていたのであれば完全悪を構成する一員として、機械化世界がユートピアと語る資格はないのではないだろうか?
知らなかったのであれば、事態が明らかになった時、狼狽する演出があってしかるべきなので、やはり知っていたのだろう。
プロメシュームはメーテルの述懐では昔は良い母だったというが、どう考えてもそれは大昔の話だ。
黒騎士は妻(?)が鉄郎を身ごもるまでは人間だったはずで(機械の身体に生殖能力があるなら話は別だが)彼が機械化したのは18年前以降のごく近年のはずだ。その時点ではプロメシュームが尊敬に足る指導者だったのだろうか?
そのあたりの説明も一言くらいは欲しかったように思う。
それなりの理想と正義があってプロメシュームに従い機械化した、という説明があれば納得感もある。
その上で、最近になって暴走するプロメシュームを苦々しく思い、一定の地位に達したことで命の火のからくりも最近知った。
そしてプロメシュームを止めようとしたが、既に機械の体になっている自分には彼女に反抗できない安全装置が組み込まれている。
それができるのは生身の身体である鉄郎しかいない、そのために偽のメッセージでわざわざ呼んだ、とか一言入れても良かったと思う。
(この設定にしたって知り合いならハーロックに頼めばいいじゃないか、という解決法もあるのだが…)
鉄郎に倒されるために命を長らえていた、という説明も成り立つが、その間に命の火はどんどん吸い上げられ、罪もなく殺される人は増えていく。
メーテルはプロメシュームを倒し、大アンドロメダを破壊するつもりでいろいろなことを内密に進めていたのだろうが、この黒騎士の行動はどうにも茶番にしか見えない。
黒騎士ファウストは、いわゆるダースベイダーと同じシチュエーションである。
しかしベイダー卿はルークを救う直前までは悪に徹しており、救うとなればそれ以外の行動はとらない。
その徹底ぶり故に納得感もあるのだ。
悪なら悪らしく、あるいは中途半端なら中途半端なりの描きようがあったと思うのだが、どちらにも寄らず、なんとも消化不良だ。
何でも説明すればよいと言う訳ではないが、本作は放置しすぎの部分が多すぎて消化不良の感が否めない。
やっぱり続編は難しい…
結論としてはやはり続編で成功するのは難しい、という一点に尽きる。
何しろ期待値が高い上に、基本的に制作側の熱量の維持も難しい。
これが制作側の希望で立ち上がった話ならアイデアも豊富にあったかもしれないが、ヒットを受けての商業性だけを満足させるための続編という流れでは、製作者のクリエイティブ精神を高めるのは困難だろう。
ここまで書いたフラストレーションの多さ、納得感の少なさも、これが第一作ならそんな流れの映画なんだな、と思うのだが、あの清涼感たっぷりの作品の続編であるがゆえに不利に働いたのだ。
加えて、前作の謎を全て明かす、という宣伝もされていたので、見る側としても細かい所に目を配らざるを得なかったことも不利な点だった。
第2作と言えどもルパン三世のようにまったく別の解釈をする手もあったのだろうが、純粋にヒット作の続きを描くことがいかに難しいか、を本作は物語っている。
最後にもう一点書いておきたいことがある。
惑星大アンドロメダでの戦いを終えてからは鉄郎の表情に笑顔が灯っている。
当然彼はメーテルと地球に戻って一緒に暮らそうと思っていたのだ。
彼女は惑星モザイクに停車する前に「どこかの惑星で死ぬまで一緒に暮らしてもいいわ」と鉄郎に告げている。
プロメシュームを倒し惑星大アンドロメダも滅んだのだから、もう二人を妨げるものはない、と鉄郎は確信しているのだろう。
しかし、エメラルダスはメーテルに鉄郎と一緒に行くことはできない、と言う。
それはまあわからんでもない。
男子の意見としては全力でわかりたくないのだが、まあそこは大人としてわかることにしよう。
しかし、それであれば尚更に、最後の抱擁くらいはしてほしかった。
第一作では鉄郎とメーテルが触れ合うシーンが何度もあった。
寒がる鉄郎を温めるためにメーテルは自身の服で包んでくれたりもした。
微笑み合い、会話するシーンは何度もあるし、彼女は別れ際にキスを残した。
そして悲しい別れではあったけれど、最後に目を合わせて微笑み合う機会をくれた。
美しい思い出をとことん美しく演出したこと、それがヒットの要因でもあったと思う。
しかし、本作では大アンドロメダの崩壊シーンで鉄郎がメーテルの手を引くカットが2度あるだけだ。
敢えて接触を書かないのは鉄郎が大人になっていくための儀式なのかもしれない。
しかし、これほどすっきりしない進行に耐えた視聴者のためにも最後にご褒美を上げるべきだったと私は思う。
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