今でも忘れられない、一生記憶に残る記録です
衝撃
元々小説は苦手で全く手に取ることがなかった私が、唯一手に取り最後まで読み切ったのがこの作品でした。読もうと思ったキッカケはこのドラマを見たことと、ノンフィクションであるということです。脊髄小脳変性症という言葉は、あれから10年以上経った今でもパッと出てくるほど、私にとってこの作品は忘れることの出来ないものになりました。はじめはただ躓いただけで、誰にでも在り得る何でもないことだと、作品に出て来られる皆さんだけでなく、読者である私もそう思ってしまうようなことが病気のキッカケでした。躓くなんてことは私自身もよくあることで、あまりにも身近なこと過ぎて、病気に気付くことがこんなに難しいことなんて思いもしませんでした。そんな些細な症状が、最終的には身体を動かすことも出来ず寝たきりになる、そんな恐ろしい病気がこの世に存在し、完治する治療がないなんて、衝撃でしかありませんでした。
頑張るとは
当時小学生だった私は、この病気と戦う木藤亜也さんやそのご家族の方々を思い浮かべては、頑張っている、凄い、などというよりは、辛いという気持ちの方が強かった気がします。自分や家族が同じようになってしまったらと考えれば考える程怖くなりました。なぜなら壁にぶつかりつつも病気と闘う木藤亜也さんが、出来ることを努力して行っていたにも関わらず残酷にも病気は進行し、出来ていたことが出来なくなるというのが現実だったからです。努力は必ず報われると言いますが、一生懸命病気と闘い努力していた人が報われないのは何故なのだろうと、矛盾を感じたからです。木藤亜也さんの直筆の日記を見て、前向きな言葉よりも辛さが書かれた言葉が、何よりもの本音だと感じます。当時小学生だった私は、頑張るとは辛いものだという印象を抱いたことが、綺麗ごとでも何でもない素直な感情だったのだと思います。
強さ
辛いという感情の他に、木藤亜也さんは強い方だという印象は昔も今も抱いています。私が木藤亜也さんの立場なら、正直頑張れそうにありません。私が木藤亜也さんを強いと思った理由は、前向きだったということではなく、時に辛い本音をノートに吐き出しながらも、ご家族の方々と共に頑張っていたことです。この作品は、木藤亜也さんのものとお母さまのものがあり、私は両方の作品を読みました。病気と闘うのは本人だけでなく家族も一緒であり、本人が辛いのは当然ですが、支える家族も辛いのだと、この本を読んで感じました。皆がもどかしく、辛いのです。本人は病気に耐え、出来ることに励む強さ、家族は木藤亜也さんを全力で支える強さ、色んな強さがあることを感じます。辛さを感じながら闘うことは、本当に大変なことだと思います。自分にも起こりうることかもしれませんが、正直私はここまで強く闘えるか分かりません。そう思うたび、木藤亜也やご家族の方々は本当に強いなと感じます。
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