SFホラーの真髄を満喫できるストーリー
原題「Four Past Midnight」
この「ランゴリアーズ」は原題「Four Past Midnight」に収められている4作のうちの2作を収めた作品だ。別の2作は「図書館警察」に収められているのだけど、それぞれ中編とはいえこの4作が4作とも名作で、アメリカではこのようなビッグタイトルを惜しげもなく1冊に収められるのかとうらやましく思った。昔の映画がありえないくらいビッグタイトルが同時上映だったりすることがあるけれど、それくらいお得感のある作品ではないだろうか。日本では2作に分かれているからしょうがないけれど、それはそれで、じっくり楽しめる良さがあるかと思う。
ただこれは好みがあるかもしれないけれど、日本でのこの2冊はそれぞれ別の翻訳者が担当している。私がスティーブン・キングの本を読むときは白石朗氏の翻訳が多かったから馴染みがあるのか、この小尾芙佐氏の翻訳は私が記憶する限りでは読んだことがなかったので、時々文章に違和感を感じたのは否めない。英語を日本語に直している以上日本語の文章ではあまり見ない言い回しなどがあるのはしょうがないので、その場合は頭に文章が入ってこないので、何度も読み返して意味を図ろうとする。それがあまり続くと目すべりする読みにくい内容となってしまうのだ。これは翻訳本のデメリットではあるが、白石朗氏や池田真紀子氏ではあまり感じなかったことを思うと、そこは個人的な好みなのかもしれない。
眠りから覚めた者たちが見たもの
まったくの通常飛行だった飛行機が時空の穴を潜りぬけてしまって違う世界に辿りついてしまう。こういうのは作中でも出てくるが、「マリーセレスト号事件」や「バミューダトライアングルの遭難」を彷彿とさせる。この「ランゴリアーズ」はその時空の穴を潜り抜けた瞬間に眠っていたものだけが体を備えたまま違う世界にたどり着く。この設定がなんとも新鮮でワクワクした。眠りから覚めた者たちが見たものは、起きたまま時空の穴を潜った者たちの残した体の一部である。体内に埋まっていたと思われる歯の詰め物やペースメーカー、ボルトなどである(服は残していなかったのは少し疑問だったのだけど、どこかでそれに触れていたと思う)。この不気味さ、目の見えない少女の目が見えないゆえに研ぎ澄まされた聴覚と第六感が残された者たちの恐怖を増幅して、ストーリーはどんどん進んでいく。
この作品はどちらかというと、文章の成り立ちや意味、比喩、その響きの美しさを楽しむというよりは、直接脳に映像を送ってくるような無駄な装飾のない文章といった感じがする。だからテンポもいいし、若干場面がわかりにくいところがあっても勢いでどんどん読んでしまうものだった。それはまるで映画を見ているような感じさえした。
彼らが辿りついた世界には他の人間はもちろん、音も味も匂いも全くない世界というのもリアリティがある。なんといっても誰もが通り過ぎたあとの過去の世界なのだから何もないはずだ。もっていたマッチもだんだん火がつかなくなる。逆にその世界のものを彼らが乗ってきた飛行機に持ち込むと時間が戻り元通りになる。この設定は実にしっくりきてリアリティがあるので想像もしやすいので読みながら気持ちがいいところだ。
盲目の少女の非情な決断、哀れなクレイグ
「ランゴリアーズ」は登場人物であるクレイグが作り出した架空のものだが、彼らがたどり着いた世界で出会う怪物でもある(無を食い尽くすものとして黒い軌跡を残し不気味に動き回る様は頭の中でまるで映画を見たように記憶に残っている)。ドップラー効果をイメージするような音を立てながらどんどん近づいてくる恐怖描写は、手にじっとりと汗をかくくらいだった。
登場人物の中で最もその人となりを描写されているのはこのクレイグだが、ヒステリックなビジネスマンである彼が父親の権力から逃れられないまま大きくなったことが良くわかる。決して悪人ではないのだけど、その人格はどうしようもなく歪んだまま固まってしまっている。その彼に刺されながらも苦しい息の下から彼は必要になると、その生をニックに懇願し、天使のような清らかさを見せた彼女は結局自分たちが助かるために彼をスケープゴートにしたという結果に、ちょっと頭が混乱した。あの優しげな表情が自分たちのためだったということに理解が追いつかなかったのもあるが、その優しさに一瞬でも救われそうになっていたクレイグが自業自得にせよ、哀れに感じた。
残念だったヒロイズム満載のラスト
アメリカ映画特有のヒロイズムが苦手な私は、ラストはあまり気に入らなかった。その上ニックが犠牲になるというのはそれまでの流れから言うとあまりひねりがなく感じられた。しかしベサニーの「やらせようよ!」というセリフは卑屈ながらも自分は生き延びようとするエゴがリアルで、あれで若干場面が締まったような気はした。
とはいえ、現代の世界に戻ることができ時間が戻ってくる瞬間の描写は素晴らしく、本当に映画を見ているようだった。
イメージなのだけど、これくらいの小説ならスティーブン・キングはもしかしたら2日くらいで書き上げるのかもしれない。それくらい勢いと映像が感じられる物語だった。
「秘密の窓、秘密の庭」
映画「シークレット・ウィンドウ」がこの原作と言うことを知らなかった。あの映画はジョニー・デップのどこにも馴染めない感じのうまさとかジョン・タトゥーロの気持ち悪さとかを覚えているが、具体的なことは忘れてしまっていた。なのでこの物語のラストにも驚くことができて結果的には良かったと思う。
この作品は「ランゴリアーズ」とは違い、ホラー色の強い作品となっている。いきなり執念深く追い掛け回され知人を殺されていくストーリーはよくあるものとはいえ、ハラハラしてしまった。全く無関係の人間から向けられる敵意と好意ほど迷惑なものはない。それなりに落ち着いていた生活を一変させるその恐怖はとてもリアルだった。
結果、モートの精神から分裂した人格が行った殺人かと思いきや、本人が信ずるあまりそれが実体を伴いだしたかもしれないという恐怖のストーリーは、デヴィッド・アンブローズの「覚醒するアダム」を思い出した。あの小説は存在しなかったものが周りの人たちの想像力によって形をなしてくるといった様がリアルで怖かったことを覚えている。「秘密の窓、秘密の庭」のシューターもモートの精神から分裂した人格で存在しない人物としてストーリーが終わると思いきや、実体を備えてきているかもしれないというじわじわとした恐怖描写が個人的には好みだった。またラストのメモの謎もいい。もう一度映画を見たいと思った作品だった。
スティーブン・キングの作品で作家が出てくるものはよくある。「ルーシーの物語」や「ミザリー」などがそれにあたる。「ルーシーの物語」は高名な作家の妻が主人公なのだけど、夫が有名すぎて妻としてのアイデンティティの確立が難しい、いつも夫の付属品のように感じるのだというセリフがあった。今回の「秘密の窓、秘密の庭」でもモートの妻が同じような感覚を訴えている。「~夫人」などと呼ばれることがそれほどのストレスになるというのはちょっと理解しにくいが、そのような苦悩、感覚は個人の独立性が高いアメリカ人ならではなのかもしれない。もしくはスティーブン・キング自身がそういう会話をしたことがあるのかもしれない。妙に印象に残ったセリフだった。
この「秘密の窓、秘密の庭」、なんとなくポエティックでさえあるこのタイトルの反面、追いかけられて知人たちが殺されていくといった純ホラーともいうべきスリリングさと、あのラストを含めた衝撃的なストーリー展開を兼ねそろえている。個人的には「Four Past Midnight」の中では一番の作品だと思う。
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