サバイバルをリアルで感じることができる名作
冒頭から引き込まれるストーリー展開のうまさ
この映画はフェデックスで働く、トム・ハンクス演じるチャックが飛行機事故で遭難してしまうところから始まる。フェデックスでの仕事はいかに早く荷物を目的地まで届けるかという事に従事し、一分一秒を惜しむ生活をしている。冒頭で彼がどれほど多忙なのかがよくわかる。恋人ケリーと出会う日を決めるのに、お互い手帳を見ながら予定をすり合わせないといけないところや、大晦日に会う約束をする時間さえも惜しむあたりとか、バタバタとした感じが良く表れていて、こちらも意味もなく落ち着かなくなってしまうくらいだった。トム・ハンクスの演技はそういう多忙な感じを十分に出しながらもビジネスマンという感じでなく、どこかコミカルで優しげでこの役にぴったりだったと思う。
映画が始まってすぐくらいからチャックがロシアの作業員たちを教育している場面がある。早口でずっとしゃべり続けるところが面白く、ロシア人は英語わかってるのかなと思いきや、横で通訳者が必死になって同時通訳しているところなどついつい笑ってしまった。チャックの早口と周りのロシア人たちの急ぎようの相乗効果で、こちらもどんどん前のめりになってまるで追いかけられるように感じるくらい、スピード感があった。
とはいえ、このあたりはまだコメディ感もあり、だからこそここから始まる怒涛の展開の予感がする。
飛行機が墜落していく映像
乱気流のせいなのか、いきなり飛行機の空気圧が変わりチャックはトイレから飛ばされそうになる。なんとかシートベルトをしたもののケリーからもらった懐中時計を取り戻すために、なんとベルトを外してしまう。このあたりは気持ちはとてもわかるし、映画の展開では必要なものだとわかっているのだけど、「だめだだめだ」と手に汗を握ってしまった。結果荷物を固定しているところまで吹き飛ばされ、飛行機はどんどん落ちていく。このあたりの映像展開は素晴らしく、上下に激しく揺れたかと思うと時々前方のパイロットの席の窓が目にはいる。そこにはどんどん近づいてくる海の表面が見える。この繰り返しがチャックの目線と同じで、こちらはチャックが感じている恐怖を同じように感じることができる。これはかなりスリリングな映像だった。
海に落ちてからはあらゆるものに翻弄され、気絶しながらも島に流れ着いた時はよく生きていたものだったと肩から力が抜けるほどの緊張感ある映像の連続だった。
リアルすぎるゆえにつらすぎる試練の数々
個人的にはサバイバルものが好きなので、そのテーマがあればいろんなものを観たり読んだりする。その中でもこの映画を上位に上げる理由はそのリアリティにある。島に到着してしばらくの呆け具合、都会人特有の鈍臭さなどがトム・ハンクスの朴訥な演技と相まって実に現実的で、観るものを映画の世界に連れ込んでしまう。
よくある面白くないサバイバルものでは、いきなり何でもできたり知ってたりする展開とか、後は人がきれい過ぎることとか、現実的にそれはないだろうというものがよくある。でもこの映画ではそういう違和感がまったくなく、それでいて一人で生きることへの恐怖、つらさ、垣間見える希望というものが感じられる。
こういう原始的な生活に慣れていないからこそ、彼は数々の怪我を負う。その痛さがあまりにもリアルで、それがこの映画を何度も繰り返して観る事ができない理由になっている。そうした試練は彼をこの島で4年も生き延びさせる礎になったことは間違いないだろうとは思うのだけど、あの怪我も虫歯を自分で抜くのも本当に痛すぎて、映画としてやっていることはたいしたことではないのかもしれないけれど、ちょっとしたトラウマレベルとなっている。それもトム・ハンクスの演技とこの映画の抜きん出たリアリティゆえだと思う。
画面が変わって4年後
島の生活に試行錯誤しながら、画面は4年後に変わる。魚をとるのもバタバタして鈍臭かったチャックは動く魚を銛で一発で仕留めることができるくらいに成長していた。ちょっとぽっちゃりしていたのもスリムになっており(そしてあの筋肉のつき方も現実的だ)、そしてどこかしら表情が乏しくなっていた。話し相手はウィルソンだけだし(余談だけど、彼の「ウィルソーン!」というあの台詞と、「4年後」と字幕が出たときのチャックのワイルドな表情は、私の家で時々出てくるジョークのひとつになっている)、海は周りの珊瑚礁のおかげで波が高く出ることはできない。自殺を考えたのも無理はないと思う。ケリーの写真と、開けずにとっておいた天使の羽のついた荷物が、彼を生き延びさせるともし火になったのだろうか。生活のサバイバルは慣れればどうにかなっても、精神のサバイバルはその後に来るものなのだと思う。それを乗り越えさせたのはきっとその2つで、精神の均衡を保つことができたのはウィルソンとの会話なのだろう。
サバイバルものではやはり、どうやって生活していたのか、水は、食料は、とその解決法を見たいものだけど、この映画は食料に関してはあまり触れていなかった。どちらかといえば精神的なサバイバルのほうに重きを置いていたように思う。そしてそれらは余計な描写や音楽、説明なしに、簡潔に現実的にこちらに見せてくれている。それもこの映画の魅力のひとつだ。
人間の世界に戻ってから
潮に運よく流れ着いた簡易トイレの壁の帆のおかげで、内海の激しい波を切り抜け、チャックは外海に出ることができる。しかし途中の嵐でウィルソンが流れていってしまう。その時のチャックの悲しみようは、肉親を亡くした悲しみそのもので、つい涙腺がゆるんでしまった。わかってはいたけれど、彼にとってウィルソンがどれほど大切な存在だったのかを再確認した(個人的見解だけど、物語の途中でもウィルソンを投げ捨ててしまう場面がある。あの時の悲しみ方とこれとが少し違いがあったらもっと感情移入できたかもしれない)。
まもなく貨物船に救出されて人間の世界に戻ることができたチャックを襲った現実は、恐らく彼自身も予想していたものかもしれない。しかしいまだ表情には乏しく都会の世界に馴染めずにいた彼を力強く戻したのは、ケリーの力だろう(個人的には4年や5年で新しい相手を見つけて子供までもうけてしまうのは若干展開が早いのでは、とも思ったりしたけれど)。ただケリーの家の玄関で立ち尽くしていたチャックを、「起きていたから」と待っていたように家に招き入れる自然な態度と、その日のセレモニーでチャックが見たケリーの態度が違いすぎて、少し違和感を感じた。ちょっと落ち着きすぎているように思えたのだ。しかしそこはそのおかげでアメリカナイズされた感動ものと一線を画すことができたのかもしれない。
とはいえ、ケリーと時間を取り戻すように抱き合うところはチャックの切なさを思うとつらすぎた。おかげで前を向いて歩こうと思えたのかもしれないけれど。
最後の場面の解釈
どこかに車を走らせているチャックの助手席に積まれているのは、最後まで開けなかった荷物と新しいウィルソンを持って(このウィルソンは本当のお届け先に届けるつもりなのだろうという解釈なのだけど、本当はどうなのだろうか)。自分の精神を保ち生きながらえることができたのは、この荷物を誰か待っているかもしれないという思いだけだったのだろう。もしかしてそれが唯一外界との信じられるつながりだったのかもしれない。
その荷物を届けた後チャックが茫然とするあの道路。あのどこにたどりつくかわからない広大な道路。あれはチャックが人生の選択がこれからは限りなくあるということを示唆しているのだと思う。
この映画はサバイバルが終わった後もまたサバイバルがあるということを容赦なく示している。生還者が英雄でないリアリズムがまたここにもある。戻ってなおハッピーエンドでないところが実にリアルな名作だと思う。
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