徹底して「ハルヒ」と真逆に作られながらも基本の軸とテーマを大事に保った快スピンオフ
目次
「ストレス」がキーワードだった「涼宮ハルヒの憂鬱」
いわゆる「ゼロ年代」を象徴するメガヒット作品となった「涼宮ハルヒの憂鬱」ですが、雑多な人材が集まり、現実にはない部活を作ってワイワイやっていくという「謎部活もの」の先駆けだったり、定番のSF的題材を効果的に盛り込んでいるという以上に、重要な一つの要素があります。
それは「ストレス」がテーマだということです。優れたルックスや運動神経、種々のセンスにも関わらず、自分が大勢の一人に過ぎないと知らされた、と思い込んでいる入学当初のハルヒはとにかくイライラしストレスを溜めています。自分の能力を駆使するように未来人や超能力者、宇宙人を集めたまではいいものの、彼女はちょっとしたことで機嫌を損ねます。
すると閉鎖空間が発生し古泉のストレスは強まりますし、「一般人」でありバランサー役のキョンの視点からすれば、「ワガママなお姫様」の機嫌を見ながら、時折起こる理不尽な危機に対処しなければならないわけでストレスの極みです。みくるや長門にしても負荷を笑い飛ばすような性分ではないので、どうしても「しんどさ」の種のようなものは生じてしまいます。
アニメ版で初の本放送時、時系列をまったくバラバラにして放送する「初見泣かせ」の異例の手法を取り入れたのも、後に「エンドレスエイト」の際、本当に同じエピソードを八週連続で流すという「暴挙」が行われたのも、作中の「ストレスフル」な状態を意識し、さらに強調しようという意図が垣間見えるものでした。一方で、キョンがハルヒをキスによって閉鎖空間から連れ出した時のように、あるいは「エンドレスエイト」が無事終了した瞬間のような、ストレスからの解放は、強烈な、他の作品にはないほどのカタルシスを生み、それが作品の強烈なインパクトにつながったのだとも言えます。
この精神的負荷の構図は「らき☆すた」などの同年代の日常アニメとは明らかに異なりますし、「僕は友達が少ない」などの謎部活ものの作品とも違う点であり、ある意味魅力的なキャラやストーリー以上の「核」をなすものとも言えます。
いくつもの改変な実験を経て、丁寧かつ徹底的に「ストレス」を排除した「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」
本作「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」は、そんな「ハルヒ」の人気を受けて生まれたスピンオフ作品ですが、キャラが可愛らしくデフォルメされていること以上に本編とは真逆の試みがなされています。
例えば、本編ではキョンの殺害を試み長門に始末されてしまった朝倉 涼子も本作ではデフォルメキャラとして長門の世話を焼いたりしてくれるお茶目さんという立ち位置になっています。つまり、外部的にもSOS団への深刻なストレスとなる存在はいない、ということになってきます。また、ハルヒも結構上機嫌なため、顔色をうかがう心配もありません。
また、デフォルメ自体も定型というよりは「ストレス」を軽減させる手段という趣きがあり、実際に、序盤では3DCGによる描画だったのに、回が進むにつれ2Dアニメへと変わっていくことになります。
「ストレス」という「核」を失ったSOS団は、本編と同じ人たちが同じような活動をしているにも関わらずまったくの「別物」であり、「ハルヒの憂鬱」で時折顔を覗かせるような「上司」たちの派閥争いからくるピリピリ感もなく、コンピ研とドッジボールに興じたり節分をしたりサンタの捕獲を試みたりと、実に折々賑やかに日常を過ごしています。
(エッチなものも含む)ゲームやアニメにハマった長門は読書よりもそちらの方に没頭しており、部室にフィギュアを飾ったり、服を持ち込んでコスプレしたりと実に楽しそうな毎日を送っています。こうした日常が満喫できているということは、SOS団は「任務」など何も関係なくても同じように存続できるという証明であり、また魅力的なキャラや設定という「軸」の強さを示しているとも言えるでしょう。
もっとも、現実においてストレスのかかりがより軽い謎部活ものがいくつも大ヒットしていることを考えると、これも必然だということになるでしょうか。
活写される「本来」のハルヒたちの姿によって作品全体のテーマがより明確に
だとすると、まったく違うキャラを使って掛け合いをすればいいんだ、という結論に至ってしまいがちですが、決してそうではありません。「ハルヒちゃん」は「涼宮ハルヒの憂鬱」における極めて大事な部分を保持しているからです。
「ハルヒ」は、閉鎖的なストレスに満ちた作品ではありますが、その解決を通じて大事なテーマを示しています。それは、「人間賛歌」です。閉鎖されて居心地の良い、何でも思い通りになる狭い空間に居続けようとしたハルヒに、キョンはもっと広い世界の方が魅力的で楽しいと、彼女をキスによって「外」に連れ出します。
このシーンは、「新世紀エヴァンゲリオン」の内にこもる状況、あるいは「セカイ系」とも総称される「狭い」世界観が全盛だった時代の空気を、「面倒なことは多くても、でもやっぱり学校や外の世界は楽しいんだ!」と力づくで吹き飛ばすような象徴的なシーンでした。このあたりの頃から学校や自らの環境を肯定する「らき☆すた」などの「日常系」が隆盛し出したのも決して偶然ではないと思います。
また、本編のキョンは、自身の置かれている難しい状況を熟知した上で、理不尽な要求をしたハルヒにキレてみせたり、長門や古泉とも時に真剣に向かい合いますが、これもSOS団員を大事な仲間であり人間と思っているが故の行動でしょう。
一方、ストレスから解放された「ハルヒちゃん」の世界では、そうした厄介な形には陥っていないので、皆バンバン積極的に喋りまくり動きまくります。騒がしくもありますが、彼らの年齢から考えればむしろこのぐらいのテンションが当然でもあり、見ていて微笑ましくもあります。ハルヒ本編の新作はまったく出る気配を見せていない一方で「ハルヒちゃん」の方は順調にエピソードを連ねているのも、よりコメディ色が強い世界の中で、ハルヒたちの「真実」が活写されているからではないでしょうか。
そして、これだけ楽しい人たちが賑やかにしてくれていると、観ている側としても学校や部活っていいなあ、やっぱり面白いよな、という感想に至るわけで、「色々あっても外に出ていこうぜ! 楽しいから」的な本編のテーマは完全に拡大再生産されていると言えるでしょう。
作品の根本を真逆にしながらも、本意にあたる部分を一切良い意味で変えず提示しているという点で、非常に丁寧に、原作の思いを大事に作られた、見ていて心地良いスピンオフ作品です。
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