「69」を超える痛快お笑い小説
復讐劇と昭和歌謡曲のハーモニー
この本の概要は社会に適用できないイシハラグループと自称している若者グループ6人のうち1人がミドリ会というグループのおばさんを殺し、殺されたおばさんのグループが復讐をしてそれに対してまた復讐をするという復讐の繰り返しの物語となっている。若者のグループのうちイシハラとノブエという若者は村上龍の著書「半島を出よ」でもメインキャラクターとして登場していた。本の表紙は松田龍平が飛行機に乗っているもので、調べたら映画化されていた。
昭和歌謡大全集というタイトルは、そのイシハラグループのみんなが昭和の歌謡曲が好きで物語の随所で歌うところからきているようだ。第1章から第10章までのすべての章の見出しが「恋の季節」、「星の流れに」といった曲名になっているが、残念ながら私はそれらの曲名を見てもほとんど知らなかった(サビを聞いたらわかるような曲ばっかりなのかもしれない)。
若者グループに対する嫌悪感
この本のイシハラとノブエはまだ20代だが「半島を出よ」のときは既に40代後半の設定で、「半島を出よ」のイシハラとノブエのもとに集まった若者たちは殺人を犯した者たちが大半で本当に何が起こるかわからない状態だったのに対して、昭和歌謡大全集の若者たちはみんな変わってはいたが「半島を出よ」ほどの危険性を最初は感じなかった。でもイシハラグループの一人がおばさんを殺した時の動機や衝動、刹那的なところで彼らのイメージは変わっていった。「半島を出よ」の若者と同じ種類の若者だとここで理解した。彼らはその感情がどこから来るのかわからない社会や親に対する憎しみを一般市民に向ける。私はこういう登場人物が出てくると彼らが異質だと判断するし彼らに対してひどく嫌悪する。異質だと判断する理由は、彼らが相手の痛みを想像できないからだ。嫌悪する理由は、自分と社会の両方において何が間違っているのかを考え続けてそこから自分の生き方を探るというのは超難題だが、それをやらなければ真に生きている実感など得られないということから逃げて答えを探してもがこうとしないところだ。あとがきで村上龍は、「例えば夜の新宿や深夜の渋谷を歩いてもまったく何も感じない、想像力を刺激してくれるようなことがない。あらゆる人間が世界のどこかの誰かの真似をして生きているような印象を受ける。基本的に人間は、サバイバルを繰り返しているはずなのに、そのかけらさえ感じない」と言っている。私はそのことに同感するが、先に書いたとおり生き方の模索という難題から逃げている彼らがサバイバルをしているとは絶対に考えない。
物語をワクワクさせる過剰な個性を持つ登場人物
私はこの本はあまりメッセージ性のないお笑い小説だと思っている。村上龍もあとがきで、これほど書くのが楽しかったのは「69」以来だ思うと言っている通り、読んでいる要所要所で顔がにやけたところがあったし、実際に声を出して笑ったところもあった。
村上龍が今の世の中には刺激してくれるようなことがないという憤りはこの本の一人一人のキャラクターの個性の強さで訴えているように思えた。登場人物全員が唯一無二なキャラクターだからだ。例えば最初にミドリ会に復讐されたスギオカが殺されたところを目撃していた女子短大生は病のオーラを発していて、その病気のウェーブは南の島の強大なマングローブも枯らしてしまうのではないかという強烈なものと表現されている。また、ミドリ会への復讐としてトカレフを購入した店の主は皺の中に顔があるというような、ハリウッドのSFでもこんな顔は絶対作れないといった、100年使い込んだ雑巾を酸に浸したような皮膚をしているといった表現がされている。更に、ロケットランチャーを手に入れるためにミドリ会が接触したサカグチという元自衛隊員は、髪の毛のてっぺんから黒の革靴の足先まで今まで女に縁がなかった、本当に縁がなかったという雰囲気が汗の匂いから漂う人物だったと書かれている。過剰とも言えるこういった表現で描かれたキャラクターたちは小説の中の世界をワクワクしたものにする役割があると思う。
ミドリ会がロケットランチャーで反撃した後イシハラグループはイシハラとノブエの2人だけになってしまう。この事件で警察は本格的な調査に乗り出し、マスコミもいろいろと騒ぎ立てたがミドリ会の存在が疑われることはなかった。イシハラとノブエはもちろん警察に尋問されたが、ノブエはナイフで顔を大きく切られていてしゃべれなかったしイシハラはわけのわからない言葉をしゃべっていて「おばさん」などの言葉は発言していたものの理解不能の内容だったため分裂病として扱われたからだ。この時のイシハラの調書の意味不明さ加減を読んで本当に声を出して笑ってしまった。村上龍もこんな意味不明な文章を書いて楽しいだろうなと思うし、この人笑いのセンスあるなーと思った。
イシハラとノブエは1年ほど反撃することもなく過ごしていたが、やがて復讐心が出てきてミドリ会を全滅させることを決意する。調布市に点在しているミドリ会のメンバーを全滅させるために2人が考えたのが調布市ごと燃料帰化爆弾で吹き飛ばすことだ。この時点でギャグ小説のような位置づけとなっていたので調布市の市民を巻き添えにするといった残忍性を感じることもなく気軽に読むことができた。村上龍は「エログロ」と表現されることもあって確かにエロさやグロさの濃さが他の作家より多いと思うしこの小説にも少々散りばめられていたが、それほど真剣に読む必要がない内容だったためか鼓動が早くなるようなシーンはなかった。村上龍の中では一番軽く読めた本だと思うが彼の本の中では低い評価となった。
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