法廷ものとしても恋愛ものとしても中途半端 - ヒマラヤ杉に降る雪の感想

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法廷ものとしても恋愛ものとしても中途半端

2.52.5
映像
3.0
脚本
3.0
キャスト
3.0
音楽
2.0
演出
2.5

目次

イーサン・ホークの演技が観たくて

前観た「ゲッタウェイ・スーパーマグナ」が、面白くなかったわけではないけれどただただカーアクションばかりでイーサン・ホークが出てるのにほとんど演技らしい演技がなかったことで、余計彼の演技を観たくなりこれを借りた。図書館の予約システムで映画の名前のみで借りたので、パッケージを見たときにかなりがっかりした。日本人が出ていたからだ。日米共同製作とか日本の俳優がハリウッド進出とか銘打っているもので面白かったものはあまりない。というより、「ブラックレイン」以外に面白いと思ったものがない。なので今回もハズレだなと思いながら観た。そしてその予感はあながち間違ってはなかったけれど、すこしだけ良かったかなと思えるところもあった。それはかなり珍しいことでもある。
それでも、もしこの映画が素晴らしいと周りの評価がいくら高くても、イーサン・ホークが出てなかったら見てなかっただろうなと思う。
それにしても自分がこの映画をどうして観ていなかったのかが謎でもある。「リアリティバイツ」「恋人までの距離」「ガタカ」「大いなる遺産」ときてこの映画を当時観ていなかったのは、ある意味ラッキーだったのかもしれない。

日米合作でありがちな違和感

日本人役で中国人や韓国人がでているのはよくあることだけど、この映画ではハツエを演じる工藤夕貴始め、その家族を演じる役者はほぼ日本人で構成されていたから、夫のカズオがリック・ユーンというのはちょっと違うだろうと思った。どうみても日本人ではないし(ちなみに彼が悪いというわけでない。「エンド・オブ・ホワイトハウス」では冷徹な役がよくはまっていた)、ここまで日本人でまとめたなら思い切って日本の俳優を使ったほうがよかったのではないかと思う。もちろんアメリカ人が東洋人の区別などつくはずもないけれど、こういう小さな違和感はたくさんある。それは、日米合作という映画が面白くないと思う一因でもある。
映画「ブラインドネス」でも伊勢谷友介が運転中目が見えなくなったときだか忘れたけど、独り言を英語で言う場面があった。設定がアメリカ育ちでもなんでもない以上、独り言だの妻と会話するときだのは母国語を使うはずだと思う。その強烈な違和感で、その映画はその時点で観るのをやめた記憶がある。この「ヒマラヤ杉に降る雪」にもそれと似た違和感を多く感じた。
まず、妻と夫、家族での会話が英語(日本語を交えてはいたけど)というのがおかしい。日系アメリカ人で日本語を既に忘れてしまった代ならともかく、そうではない以上、どうしてそこで英語?とつっこんでしまい映画にのめりこむことができなかった。ましてや法廷で、罪に問われている夫に対してハツエが「偏見が心配だわ」などという危うい言葉をなぜわざわざ英語で話すのか。そここそ日本語で話すべきでないのか。どうもそういうリアリティの欠如があちこちにある。

日本人俳優がいるのだから指摘したほうがよい文化

なんで日本人がいるのに監督にそれを言わないのという場面はよくある。渡辺謙が出ていた映画「ゴジラ」でもあまりにもひどくていたたまれなくなって途中で観るのをやめた。今回はそれほどひどいところは目につかなかったけど、気になったのは被害者が殺された傷跡を見た検視官が、この傷は剣道の使い手がつけたものだと言い切るところがあり、そこからカズオの回想シーンが始まる。父親らしき人が幼いカズオに剣道を教えているのだけど「面!メーン!」と言いながら明らかに面ではない。突きだったり胴だったり。面は掛け声じゃないですよとどうして監督に一言教えてあげなかったのか。あと時々出てきていた折り紙で折られた鶴。あれも少しおかしい。私たちが折りなれた形でないように見えた(一折足りないような気がする)。そういう細かいことは本当に大事なのに、日米合作となるとそれがなぜか疎かになっているような気がする。ああいうのは共演している日本人は見てて気持ち悪くないのかなと思う。

イシュマエルとハツエの恋

独自で調べていくうちにイーサン・ホーク演じる記者イシュマエルがハツエの夫の無実を証明する証拠をつかみ、それを元に疑いが晴れるというストーリーなのだけど、あちこちに消化不良を感じるのは否めない。
まずイシュマエルがつかんだ証拠がこれというはっきりとしたものでないこと。だからいつどこでつかんだのかわからず、後であああのときかと感じるしかない。証拠つかんだ、よしこれでいけるといった高揚感などまるでなく、なにか物足りない。それはもちろんイシュマエルのハツエに対する恋心もあるし、彼女の夫を助ける理由、嫉妬心、様々な心が邪魔をして純粋に好きだった人を助けるという気持ちになれなかったのもわかるけど、にしてはその描写があまりにも中途半端で感情移入ができない。
だからこそ、イシュマエルとハツエが幼馴染で恋を交し合ったという設定が必要なのかどうかもわからない。確かに幼少時代のイシュマエルとハツエが戯れているシーンは詩的で美しい(ハツエの子供時代の少女、どこかで見たと思ったら「さよなら渓谷」の女性記者だった。子役の頃こんな大役してたんだと少し驚いた)。だけどもそれだけで、現在のハツエはまるでその思い出とは無関係に現実的に生きているし、イシュマエルだってそれを今まで引きずるほどの大恋愛だったとも思えない。そもそもどうしてハツエにしてもイシュマエルにしても、どうして恋に落ちたのかその描写があまりにも少ない。その瞬間を感じる描写が一瞬でもあれば一気にリアルになったのにと思う。
だからいっそのこと2人が幼馴染だったという設定をやめて、イシュマエルがただ人種差別を訴える記者でハツエを取材していたなら、もっと重みがでたのかもしれないとさえ思ったりした。

人種差別と偏見の時代

ジャップなどという言葉が平気で飛び交う時代、白人を殺したという罪で法廷にでなくてはならなくなった日本人はかなり不利な状況にあることは想像に難くない。被害者を解剖した検視官は日本人が殺したという先入観に満ちて証言するし、土地を売った妻もかなりの憎たらしい役(この人は名わき役だと思う。彼女が出てきたらちょっとうれしい)だったし。その中で判事(この人は悪役がよく似合う。「24」の演技は印象的だった)がこの事案では関係のないパールハーバーのことを持ち出し、偏見をあおるつもりかと思いきや、彼はカズオの弁護士同じく人権派だったことは正直驚いた。
ただ差別派と人権派があり、最後人権派が勝つという勧善懲悪というスタイルは何かハリウッド的なうそ臭さを感じさせる。もっとこのあたりを深く描写して(だからこそイシュマエルとハツエの幼少時代のエピソードはいらないと思う)、ハリウッド的でなくミニシアター系にすればかなり面白くなるのではないかと思った。

映像美にこだわりすぎているような映像

この映画には様々な美しい映像が出てくる(前述したイシュマエルとハツエの遊んでいる場面とかその筆頭だ)。でもその効果にこだわるあまりストーリーが疎かになっているような気もする。
それが一番気になったのが、ハツエがイシュマエルに出した手紙を朗読するシーンだ。彼女の言葉が様々な場面でリフレインされ、結局どんな手紙だったのか、何を伝えたいのかさっぱりわからない。あまりにも繰り返すので若干うっとうしくなったくらいだ。イシュマエルがそれを読んだときの衝撃を伝えたいのかもしれないけど、そんなもの映像で伝えなくてもイーサンの演技で十分だから、余計な演出に感じる。
私はこの監督の「アトランティスの心」も「SHINE」も好きになれなかった。そもそもこの監督が好きでないのかもしれない。
とはいえ、工藤夕貴の演技は悪くなかった。日本人らしく控えめながらも情熱を秘めた感じが出ていたと思う。オープニングクレジットでは8番目だったけど(役からしたら後ろすぎる気もしたけれど)、十分存在感があったように思う。
そしてイーサン・ホークは今回もセリフが少なかった(バックミラーでハツエを見る顔は良かったけど)。イーサン・ホークの演技を観たい欲求はまだまだ収まりそうにない。

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